人生の水風呂に入らなければ
さて、また1年ぶりの投稿。
1年前の春は会社を退職したくてたまらなくて、泣きながらご飯を食べて自分の人生どうしようか必死で思考整理をしていた。
決まって自分の頭の中の混沌とした状態を文字起こしをしたいって思うタイミングは何かに行き詰まっている時なんだけど、
きっかけは今読んでいる本『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(オードリー若林正恭さん著)で、久しぶりに喰らって。
前提として、この頃あまり本を読めていなかったのだけど、
言葉で表現するほどではなかったり、ふんわりと頭の中を通り過ぎていくようなレベルの
絶対に誰もが生きていて感じたことのある社会への罵倒心とか居心地の悪さとかが
生々しく言語で表現されてて、度肝を抜かれたんです(作家さんって本当にすごいです)。
しかもその内容がとても共感できることばかりで。
今の私について簡単に。
・昨年6月に半年勤めた会社を退職して営業職へ再び転職。3社目。
・今の会社ではコツコツと成果を上げることができノルマ達成などさせていただき、客観的にはおそらく「順調に働いている人」に見えている(はず)。
・ストレス発散法を覚えた(サウナ通ってます)。
総じて、何不自由なく生かしていただいている。
仕事でストレスが溜まってもサウナで解消しているし、
人に恵まれているからいろんな人と楽しくお酒を飲んだり音楽をやったりして、幸せ。
なのだが、私だけだろうか?時たま、涙が溢れて朝が来ることが怖くなる時があります。
何に悩んでいるのか?
言語化能力が低すぎるせいで、自分自身がその要因をはっきり認識ができていなくて、
この感情を丸ごと人に説明ができないのもまた苦しくてたまらないことがある。
なのだけど、若林さんの本を読んで少しこの悩み(涙が溢れる現象と言った方がいいかな)の種がクリアになったような気がしている。
会社の上司から評価をされたい。「この人がいないと会社が回らない」と思われたい、思われ続けたい。
会社の同僚から「営業成績の良い人」「営業成績は良いけど威張らない謙虚で気さくな人」「チームをまとめるキーマン」と思われたい、思われ続けたい。
地元の友達から「東京でバリバリ働くキャリアウーマン」だと思われたい。
売上を立てまくって、今よりもっと年収をアップさせたい。
仕事と音楽活動のパラレルキャリアを体現していると思われたい。
一方で、
組織の人と仕事をするのはすごく疲れる。一人で黙々と作業している時間が一番自分らしくいられる。
組織を束ねなければならない役割にいると本来の自分がどんどん遠ざかる。
一人で何かを創作している時が一番生き甲斐を感じる。
私の中の二つの欲求は、真逆の方向を向いている。
その差分が、隙間が、ストレスとなって私の心の健康を蝕んでくる。
だが、私は昨年春の心と体を整えるプロジェクトを通じて、私はサウナに出会った。
(騙されたと思って水風呂に入ってみたら、まんまとハマってしまった)
なので、うまいことサウナに行くことでその差分を埋めてきた。
サウナの体への効果は現代社会を生きる人々にとっては計り知れない。
サウナ→水風呂→外気浴を繰り返すことで血行促進により肩こり・腰痛が軽減されることは言う間でもないが、
交感神経と副交感神経のスイッチに働きかけるので、自律神経系の訓練に役立つと言われている。
水風呂に入ると、脳のゴミがとれる感覚が本当にするのです。
(頭の中に溜めてきたゴミ箱がガシャーンと大きな音を立ててひっくり返されて、脳みそが一度ゼロに戻るような、そんなイメージ)
東京は気がつくとどんどん高い建物が増えて、空が狭くなっていく。
オードリー若林さんがキューバの旅への出発の飛行機の中で「ぼくは今から5日間だけ、灰色の街と無関係になる」と表現していた。
あれだけキラキラして見えていた東京の街が、今では、灰色とまではいかないかもしれないけれど、セピア色に見えることもある。
この間、誰かに「あなたはエリートだもんね」と言われた。
いつだって「他人とは比較しない、自分らしく」をテーマに生きたいと思っていたはずなのに、エリートのレールにしがみつこうとしている自分は確かにいて、
褒め言葉として言ってくれたはずなのに、皮肉にすら感じてしまった。
このままだと私は
世の中や会社から期待されていることに応えたい、地元の友達に見栄を張りたいというもう一人の自分の声がどんどん大きくなって
本来のありのままの自分をもう取り返せなくなってしまうような気がして怖くなったのです。
どっちつかずのこの価値観を一度ゼロに戻して、自分がこれからどう生きていきたいのかをもう一度考えたい。
人生の水風呂に入らなければ。