限界高2が振り返る。中学受験期、黒歴史と、ボカロ漁りとアルバムと。
はじめに
受験期とか中学時代。皆さんはどんなでしたか?
僕は今振り返ると障害の特性がよく出てて…
はじめましての人ははじめまして。
Wawa404です。
わわ not found
わーわーページがないよ
で覚えてもらっても構いません。
簡単な自己紹介をしておくと、
僕はついさっきまで高2のどん底精神障害だったもので趣味は音楽かつボカロ(vocaloid広義)リスナーです。
将来の夢は「はぐれメタル」です。
今もまだ完治はしておりません。
現在進路に向かって進もうとしています。
このブログに少しでも興味を持ってくれたら、僕の宝物のAT(オールタイム)256選をプロフィールからツイッターに飛んでURLからみるか、僕の初投稿から是非見てってください。(宣伝)
※これから弱者男性の鬱エピソードがたくさん出てくるのでご注意を…
※このブログは当時の推察・考察、学習記事です。自己分析から、黒歴史を乗り越えることを目的としています。
※下は見るとキリがないですが事実としてここに「僕個人の過去」としてここに記させてもらいます。
ここで目次です
受験期がいつからか
まず僕の受験期の話からですよね、ということで僕の受験期のことについて振り返って行こうと思います。
時期は2022年1月くらいから2023年ぐらいになります。
ということで、この時期のことについて「覚えてないよ」
という人もいると思うので、あと僕が書きつつ思い出していくようなスタイルで解説も踏まえつつ僕の受験期について振り返って行こうかなと思います。
あー今回はまあ「しぐじり先生」みたいな回になるので、温かい目で見て、反面教師にしてください。
2022年を簡単に振り返る
では、2022年についてとそれからについて少し振り返っていきましょう!
今回振り返るにわたって使用していくデータは流行語大賞などについてです。
僕がオタクだからか、「アニメ」で時期を記憶しているので、そこもご了承ください。
では!いってみましょう!
ざっとこんな感じになりますね。
この中で僕が覚えてるのは、
きんにくんの「ヤー!パワー!」
とオミクロン株とヤクルト1000ぐらいですね…
国葬儀っていつだ?安倍総理の国葬っていつだっけ?
今の僕みたいに、昔の僕はnotionもブログも日記アプリもないので、
あんまり思いだせませんね…
SPY☓FAMILYは2022年4月9日に放送開始されたらしいです。
僕の感覚としては近いよりはめっちゃ遠くの記憶に思います
それだけ受験期は多感なことがたくさんあったんで
記憶が「もうそんなに?」状態です。
コロナウイルスもまだ流行っていただろうか?
スパイファミリーといえばアーニャですよね
有名な「セリフ」覚えている方も多いと思います。
もうTwitterがxじゃない頃???
にTwitterで大喜利ネタとして使われていた
記憶が鮮明に思い出せます!
それほど「アーニャ〇〇好き」
構文は流行ってましたね。
では次はネット流行語大賞についてです!
こっちの方がオタクの僕にはあってますね。
僕から語ることはなんだろう、僕ってこの時はグイグイ押されてくるadoを毛嫌いしていた逆張りオタクであったことかな?テレビで何度も何度も押されて、新時代!新時代!新時代!通学路と塾と近くの公園ぐらいの視野しかなくてぼっちオタクだった僕にとってはしつこくてしかたがなかったです。でも2位のタコピーの原罪はかなり好きでした。
当時僕はアンセム(流行り物)アンチ寄りの逆張りオタクでしたね。ジャンププラスはここから読み始めたかな?
ここで覚えてない人と知らない人ののために
「タコピーの原罪」を少しだけ解説
2021年12月10日から『少年ジャンプ+』(集英社)で連載開始。
ハッピー星人の「んうえいぬkf」は宇宙にハッピーを広めるべく旅をしており、地球に降り立ちます。捕獲されそうになったり、食べ物が見つからなかったりと困り果てていると、人間の少女・しずかちゃんが助けてくれました。 しずかちゃんは、タコの様な姿をしている「んうえいぬkf」をタコピーと名付けます。 小学4年生のしずかちゃんは、実は学校で壮絶ないじめに遭っており元気がありませんでした。しかし、いじめの概念が存在しないハッピー星からきたタコピーには、なぜ彼女に元気がないのか分かりません。それでもなんとか彼女の笑顔を取り戻そうと奔走するのですが……。
というお話で、僕が好きなのは、家庭環境が最悪な子供たちをタコピーがいつも救おうとして、言ってしまえばダーク版ドラえもんのような展開と、救いが少年少女自身に求められるというリアリティのある展開、生々しいようで美しい作画だ。
流行の話はこれくらいにして、とうとう現実を見ていこうと思う。
中学3年当時の僕の人物像
これから僕の黒歴史について淡々と語っていこうと思う。
まずは僕の当時の人物像について俯瞰的に語っていこうと思う
Wawa404(当時中学3年生)
地方の塾だらけの少し進学校寄りの中学校出身
メガネをかけたショートヘア天パ(今はミディアムヘア)
10円玉ハゲがストレスにより発生
当時ストレスからかニキビをよく潰し、コロナに紛れてマスクで隠し、悪化し、とうとうbbクリームで隠すという術を中3の後期に編み出した(現在ニキビはほぼない)
卓球部幽霊部員
卓球部底辺層
学年順位は下から数えたほうが早い
アニメをよく見てイラストとボカロを雑食していたオタクで、語る口すらない
スマホはiPhone SE 2020
友達は同じ卓球部底辺層の人が少し、互いに社不であった
個性がない
父親が単身赴任で不仲の母と兄弟のみ
昼休み話し相手がいなくて、体育館裏とかに隠れたり、日陰で涼んだり、机に伏せたり…
周りの人からは後に励まされなくなり、特性をネタにするしかなくなる
いつも遅刻寸前に学校に来る
ざっと見るだけでこんなものだろうか。
もう書いてるだけで痛々しくて触れたくないんですが…
頭のネジがぶっ飛んでいるので書いていこうと思います。
見てるだけで「チー牛」って感じですね…(みんなは自傷はよそう)
ここで一旦吐き出させてください。
「はぁぁぁあぁーーー(クソデカため息)」
年間計画
スマホから発掘された年間計画
これが今から見ていく年間の計画画像が発掘されました。過去の自分ありがとうございました。
実はここから一週間前ぐらいまでトラウマを克服できなくてずっと鬱だったんですよ。(自分語り)
魔王倒しても何もないんですよ!恐ろしいですね!
ではでは中3の自分の僕の地獄みたいな日々を日記がないので思い出を頼りに見ていきましょう!
~中3まで
僕の学校には「整理と対策」という受験対策の本を中2の生徒に購入させられて、毎日チェックをして朝テストをしようという風習?というか伝統のような物がありまして…どこの学校でもあるあるなのかは分かりませんが、僕の学校ではそうでした。
そんな本を僕ら生徒は毎日2~3ページやらされる訳です。この時は宿題を継続してできていただろうか?いや、そんな確証は僕にはない。
そしてそんな限界社不少年に救済?のようなものもなく、僕は偏差値が40台で頭がとても悪かったので、塾に入ることが確定したわけです。今思えば母親は塾は費用が高いからガミガミやらの記憶があったり、中学塾行ったら大学のお金は自分で稼いでとか母親が仕事でストレスが溜まっていたからか、言われたような記憶があります。もしくは、僕の被害妄想かもしれません。被害者ぶって自己分析もできないほど頭が悪くて…過去を振り返ってもしょうがないのですが、続けていきましょう。そして費用の少ないとある集団塾に行った訳です。僕が選びました。ぼくの責任です。個人指導に入る気(((
そんなこんなで体験入学して4月ぐらいに集団塾に入った僕に待ち受けていたのは当然のごとく格差社会みたいな社会の縮図みたいな感じで、当時僕はあまり馴染み人が少ない僕は居場所がなかったんですけど…いや…ね…今振り返ると個人塾しか居場所なかったとおもうよ…行けなかったけど…もうこれまでで手が止まっているのですが。
居場所はSNSでも馴染めなくて、もしあの頃Kiite Cafeとか知ってたらな…と思う現在でした。ちなみに僕がKiiteの存在を知ったのは中3の2022年ぐらいだった気がします。なんとなくそれくらいかな?
前期
夏休みまで
手帳を見ながら考察してみよう。まずは4月の初めに弟の入学式があったそうだ。これもかなり後々プレッシャーになるのだが、それは良しとして、クラスの人の名前を覚えることからはじまっただろうか、中学のこの時期となると、やたらとパンフレットがやたら配られた気がする。ここで一旦僕の手帳をお見せしよう。
この通りまっさらである。ここから、いや僕の手帳はtodoすら書かないようなノープランな楽観主義社で現実逃避真っ只中であった。この頃から友達というか中学始まってから2人ぐらいの友達しかいなかったのか、鬱っぽかったのか、何も記録したくなかったのだろう。この頃見ていたアニメは「かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-」や「SPY×FAMILY」、「パリピ孔明」「水星の魔女」あたりだったであろうか?現実を直視できていない僕であったが、アニメとなると何となく覚えているのである。そんなこんなで受験期なのに親に内緒でテレビのfire sticksで親の契約してるネトフリやらアマプラやらで塾も学校もギリギリなのにアニメで現実逃避していた僕であった。そして時はすぎてゴールデンウィーク。この頃の僕は塾で忙しくて宿題も出来てないで、居残りもあったりしただろうか?僕には自宅学習をすることが出来なかった。
後から知ったがADHDとかASDとかAPDとか発達障害たくさんの言い訳はいくらでもあるのだが、簡潔にまとめると、「自己分析」と「努力」であろうか?これが欠如していた気がする。今の僕のブログは自己分析の楽しさとポモドーロの楽しさと承認欲求で成り立っているが、未だ「学習」方向への欲求がない訳だ。study plusとポモドーロ(focus to do)の連携という形でITに頼りきりになるが、「学習記録」というモチベーションを追加してもいいのでは?と考察する僕である。このブログの執筆中のまとめは最後の方にまとめようと思うので、そこは是非。habiticaとかもいいか((
それから誕生日を迎えて、僕は6月2日が誕生日で、誕生日プレゼントは数ヶ月に中スペックのゲーミングノートpcを貰ったので無しとなった。6/6日から2泊3日で和歌山・伊勢方面へ修学旅行へ出かけることとなった。コロナウイルスのせいで(恨み)だが本当は東京に行く予定だったので、テンションはだだ下がり出会った僕であった。行ったのはアドベンチャーワールドとか和歌山の端当たりだった。僕の記憶では海のホテルがキレイだったなーっていうのと僕ずっとビデオカメラで撮ってたなーって言う記憶ですね。
今でも家に残ってるマグカップを買ったり、パンダグッズ沢山買いましたけど、僕が1つだけ買わなかったものと言えば、ディズニーランドのミッキーカチューシャのようなパンダキャップやパンダカチューシャだろうか?帽子はあまり被らないけど…まあ記憶残ってるだけいいかと思う執筆中の僕でした。おい!社不なのに修学旅行ぼっちじゃないじゃんとツッコマれる可能性もありますけれど…いや修学旅行ぐらい楽しませてください!(ここだけの話悪い思い出の方が記憶に残りやすいですよね)
最後のお伊勢さんで食べた豚串は特別美味しかった気がします。伊勢の川をみながら、アドベンチャーワールドのポップコーンも食べつつ、僕は平地とか標高低いとこの方が好きなんですかね。まあ「好き」を否定する必要ありませんけど。
あ、その後は実力テストありました!内容はお察しで最初だけ良かったものの段々落ちてきます。
あと、僕の学校なんか国のgigaschool構想の影響でiPad使ってて検温のデジタル化とか授業のスライド活用とかあります!ありがたいですね!
その後中間テストありました!偏差値45です!はーーークソデカため息
夏休み
なんやかんやで夏休みを迎えました!夏期講習の課題沢山やった気がしますが、やはり宿題ができない僕であり、全然課題出来なかったり、集団学習と自習室と家の狭い中でコレクションもボカロとかアニメだけで視野が狭かった気がします。志望校は、公立高校にしていましたが、ここで差がついたんでしょうねー。僕は夏休みの終わり頃自分の課題すら出来てなかったのに、ドッカンバトルの周年やらプロセカやらIdoly prideという育成ゲームの初音ミクのコラボで、初音ミクの高画質グラフィックを堪能したりした訳です。気が移ってしまいましたね…閉塞感。ここがダメだった。発散の形を間違えた。でもこの時期に出会った思い出のボカロ曲が3つがある。
夏の魔法・積乱雲グラフィティ・グラデーションだ。
語ると長くなるのでスキップするとする。
ちなみにこの頃のボカロ漁りをランダムにしていて、見つけたら入れてくという脳を使わずに再生リストにポンポンyoutubeでボカロ漁りをしていました。塾で余裕がなかったので。
歌詞の分析とかはAPD(聴覚記憶難)持ちの僕には難しかったんでしょうね。視点をずらせば楽しくなるのに…
↑当時の僕のプレイリストです
秋~年明けまで
あーまずは実力テストの開示からですね。
この頃は夏休み明けで差がつく時期でダメな方の僕であった。全体の中の下くらいかな。この頃は学園祭で体育祭と文化祭?があった。文化祭の方は生徒会のクイズやら、文化部の出し物やらで、自由研究?の出し物とかもあった気がする。
もうほぼ記憶が消えかかっているのですが…体育祭は3位でなんか徒競走が、1位で。学校行きたくなさすぎて、毎日遅刻常習犯になったり、それ関連で先生に呼び出されて面談したり、自分で閉めた首を楽しみつつ深夜徘徊したり、塾にも勉強にもついていけなかった記憶があります。いっぱいいっぱいのときの記憶って残りにくいんでしょうか?
あとこの頃の僕を繋ぎ止めて居たアルバムです。このアルバムを聴くと「未来」「ミク」が明るくなるように感じるんです。どんどん加速する初音ミクへの片思い…まぁまさに「君が生きてなくて良かった」ですね。
ここで僕を繋ぎ止めていた曲を紹介します。
「Tell your World EP」の「Half Step」です。
この「何も考えないで」「視点をズラせば楽しくなるでしょ」の部分が、無意識に頭の悪い僕でも魔法の言葉になって生きる気力を保てていたきがします。
ここで間休として、自分の将来の夢?のような中1のときの幼い書き残しでも見ていきましょう。
このときの僕は自己分析が出来ていたのに、資金面とかからかPDCAサイクルができてなかったなと思う。僕であった。
あとこの頃といえばモブサイコ3期をみて変に自分と重ね合わせて理想をもったままの絶望というような達観した気持ちになってました。
あとこの頃チェンソーマン終わったっけ。
冬から
あ、あとはなんの変哲もなく、冬に志望校のランクを下げて総合学園志望にして、冬の追い込みをして、何とか受かったよという感じです。でも心だけがボロボロでした。
この時の手帳公開します
年末を「絶望」と例えてますね。どれだけ自信がなかったのやら…
あと学年末テストの結果とか2学期末のテストの結果も絶望に拍車をかけていまして…
ここで新年のおみくじと初日の出でも見ていきましょう!
この頃になるともう卒業写真撮ったり、宿題も少なくなったりして本格的に卒業に向かっていました。クラブの集合写真もその手前ぐらいに渋々いや記録を残すつもりで、撮影に出向いた気がします。正直かなり気まずかった。中2ぐらいからくらぶの欠席が増えて、顧問に「休むなら連絡して」と怒られてばかりで…自業自得ですけど…
そして無事卒業と!卒業は写真撮って第二ボタンとかには全く触れず、ぼっちな僕はすぐに学校を去ったような記憶があります。
あとは試験を受けて受かるのを待つだけで受験前なのにカラフェス引いたり?祈願したり、追い込みしたり!無事受かることができました!
ありがとうございました!
その後半年と少しで転学するとも知らずに…
ちょっとした取材
ちょっとした俯瞰的意見もあるといいなと思い、
おじいちゃんとお父さんにちょっと取材してみた
おじいちゃんによると、
いつもスマホいじってばかりで、自閉症っぽかった僕。あまり喋らなかった。盆と正月に帰ってきても会食するだけで難しかった。お互いに喋らなかった。
お父さんによると、
単身赴任で別々に暮らしていたから、勉強頑張ってるなーって思ったのと、急に志望校変えたからびっくりした!だそうだ。
まとめ
あの頃の僕には友達を作るコミュ力がなくて、口数も少なく、語彙も少なく発散手段がなく、どんどん抱えこんでいった。
属するコミュニティと見えてる世界が狭かった。
勉強のモチベーションがなかった。
書く習慣(日記・メモなど)がなかった。
心の支えの範囲が狭すぎた。
Todo・weeklyの管理や週ごとの目標、振り返りがなかった。
自己分析できてなかった。
これからはStudy PlusやらNotionやらFocus ToDoなどのITツールに頼って勉強の効率を上げつつ教養も取り戻していきたい。
イベントに向けてのカウントダウンとかも使うべき。
リスク管理はちゃんとしよう。
娯楽はスクリーンタイムで1日に制限を設けよう。
試験(挑戦)への対策をちゃんとしよう
さいごに
僕の面倒事に付き合ってくださりありがとうございました!
また、はぐれメタルに近づけた気がします。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!
これから応援もよろしくお願いしますm(_ _)m
良ければプロフからTwitterも見てってくださいm(_ _)m
ポモドーロ使って浮かれないよう頑張ります!
ではまた次のブログで👋