あと9年8ヶ月で死ぬなら焼山寺でなにを焼くのか。
なにもクソも山ん中じゃ脂肪以外は燃やせない。
遍路に行って帰って、まだ体が回復しきらない。
今更になって、十二番札所 焼山寺で3回すっ転んだ箇所が痛み始める。
残り時間(占いによる)も、カウントを初めてか3ヶ月が過ぎたわけだ。
たった3ヶ月しか過ぎてないわけか。
10年て長ァ。
10月30日(水)
適当に新幹線に乗って、四国に飛ぶ。
航空機なんか久しぶりに乗る。荷物の預け方から発券の仕方まで全部うろ覚え。
手荷物のお預けでは大っ変にごたついて、空港スタッフさんにはたいそう親切にしていただいた。彼らのホスピタリティたるや。
こういうゴタる初心者に慣れてもいらっしゃるんだろう。
先週いただいた内定受諾の返信を、四国のお宿から送った。
これで、晴れて、内定者となった。仕事の心配はカットスロウ。
離職から入社までの期間も、無職、てカウントでいいんだろうか。
私にはどうにも、モラトリアム期間の方が呼び名としてしっくりくる。
とはいえ「焼山寺で遺体で発見されたのは、職業モラトリアム期間の〜」とか報道された日にゃ、痛いわな。
本来は、入社準備期間、なんだろう。
10月31日(木)
札所巡り1日目。
この辺はzineにして書いちゃったからあまり多く書くこともない。
zineに残してないのは、主にお宿の話だろうか。
昨日からお世話になってるのは霊山寺徒歩数分の民宿「観梅苑」さん。
朝食付き1泊プラン。皆さん車遍路なのか、遍路関係ないのか、連れがいるテーブルがほとんどだった。
ご夫婦でやってらっしゃる民宿で、遍路慣れとはこういうことか、という落ち着いた対応をしてくださる。
大鳥居の内側にあるので、夜に行くと燈明行列が見られる。ヘッダーは当該写真。
遍路は空海さんとの同行二人だというが、作法に関してあんまりうっさくいわないのも空海さんだ。
遍路に出てわりと早い段階で、Podcastを聴き出した。
二宮金次郎だって歩きながらインプットして銅像にまでなったんだし、Podcastでインプットするのがあかんということもないだろう。
両耳塞いで事故っても危ないので、片耳だけイヤホンを挿す。
この日は野宿だった。ボイスレコーダを取り出して、zineで書いとくことを、口述でメモる。再生してみたら「部落」の話をすると録音にノイズが混じる、という怪現象が起こっていた。
野宿場所には、遍路の寄せ書きノートが置いてある。
日本語の文章が多いが、時たま英語も混じる。
乞食遍路による「俺みたいになるな」という文章が何ページにも渡って殴り書いてあった。
11月1日(金)
札所巡り2日目。
ここからが遍路のキッツさ開帳となる。
何人かすれ違ってきた歩き遍路の姿も消える。
四国には「乞食遍路」なる歩き遍路がいる。四国の接待文化をアテに、念仏を唱えながら施し求めてスーパーの隣なんかに立つ。
そうした遍路は、主に平地にいるみたいだ。
山道が増え、民家より農地が続く、遍路か少年少女探検隊以外歩かないような人通りの少ない道では、「乞食遍路」は見かけなくなる。
コスパが悪いんだろうな。
焼山寺みたいな山暮らしできそうなとこなら、また違うのかも知れないけども。
遍路は寺の本堂・薬師堂で経をあげる。
この日あたりから、「経をあげる時ツアー客とバッティングすると、人数の斉唱力に自分の経が圧倒される」ことに気づく。
一人でボソボソ読経してる中、隣で20人の般若心経昌和が始まると、自分がどこの何経をあげているやら、わからなくなるのだ。
経をあげる時の集中力がいや増した。
なるほど、お経は外界から自分を引き離す修行、自分に集中する修行、というのは本当だ。
真言宗の経は「イントネーションどうすんだ!?」て文章も多いので、そういう時はツアーの皆さんの読経から学ばせてもらう。
梵字はサンスクリット語だから、基本、読経した後は「で、自分は誰に向かって何を言ったんだろうな」という気分になる。
遍路中は疲労と忙しさで、経の意味まで追求できなかった。
11月2日(土)
「豪雨が来ます。こんな日に焼山寺登ったら死にます」と宿の人に教わったので、ひとつ郊外の札所を巡っただけで、その日の巡礼は終わりとする。
歩き遍路は身軽さが命、というところに、私はクッソ重いMacBook14インチを持ってきていた。
「ぬるま湯デザイン塾」の課題があったからだ。
おかげさまで、この日は十一番 藤井寺しか行かずに済み、課題がこなせた。
予約日を間違えたにも関わらず、空きがあるからと泊めていただいたのは、ファミマの真裏にある「ビジネスホテル アクセス 鴨島」さん。
アメニティの質が良いし、何より立地が抜群。スーパーやドラッグストア・ブックオフなんかが並ぶ商業地ど真ん中。
翌日の焼山寺登山の準備をするには、うってつけの場所だった。
スーパーに登山スティックが売ってるくらいうってつけ。
11月3日(日)
12番札所 焼山寺は、どの遍路紀行本でも「難所」「難所」「難所」と言われる。
よってこの焼山寺山登山をもって
とします。
関節を逆に曲げる、しか退屈のしのぎようがないバチクソな田舎に育ったおかげで、私の関節は在り方が適当だ。突き指もしない。指が大変よく反るから。
関節が四角四面に曲がる方向厳守生真面目野郎だったら、私は焼山寺の、車で救助にも来られない場所で、多分捻挫して動けなくなっていた。
それくらい、足場が悪かった。
SNSでもzineでも、何度でもこすらせてもらう。
ほぼ大地に垂直に立つ壁を、みち、と呼ぶのは。まず吹き出す。
焼山寺の遍路みちには、「残り2.0km」の表示のあと、こういうトラップが3箇所ある。
「残り2.0km」の表示に辿り着くまでにも、この程度の斜角の下り坂、ボルタリング能力を試すむき出しの岩盤、湧き水が出て滑りそうな道が、ままある。
ひとは、四足歩行を捨てるべきではなかったのかも知れない……
そういう悟りを開けるのが焼山寺遍路みちだ。
ここを15kgのバックパックを背負って、登ったというよりほとんど跳ね上がって跳ね降りた。
「つま先か、踵か……地につけて良いのは、そこだけだ!」という世界だった。
くだりの途中、太ももがプルプルし出した。
ジムで鍛えすぎるとよく出る震えだった。登りに切り替わったら解消した。
くだりの方が足の負担が大きい、とはまさに。
テーピングはしていたが、キツくしすぎたせいでリンパの流れが悪化。手がパンパンに浮腫んで、登山中は「ポテチ袋が山に行くとパンパンになっちゃうアレ、人体でも起こるんだー」と思っていた。多分違う。
寺に着いたは良いものの、浮腫で蝋燭や線香などの参拝アイテムが取り出しにくいのには苦労した。
この日の宿は次の札所の近くにとっており、18時のチェックイン厳守だった。寺から徒歩で降りてたら間に合わなさそうだったので、タクシーを使う。
共同トイレが正しくトイレのニオイでさえなければ、料理つきプランで連泊したい、元料理人だろう店主が一人で回してる宿だった。
11月4日(月)
宿の主人が言うには、「ここらで休んどかないと、足が動かなくなる」。
本当だった。
十三番札所〜十七番札所を歩き回った後には、ちょっと危ないほど、左足が上がらなくなっていた。
左足はデカいタコを嬉々として潰した足だった。
十三番札所〜十七番札所は、数時間で回れた。
道中、SATCみたいな中国人歩き遍路四人組を追い越す。そういえば、昨日焼山寺でも彼女たちを追い越した。
この日の宿は、歩いて行ける距離のビジネスホテルにした。
戸の建て付けがゆるく、「トントン」「ガチャガチャ」「ドン!」など賑やかで、
「お化けは……招かれないと内側に入れないという……」
と唾を飲んだあたりで、風や上下階の振動や駅前で電車にシェイクされる立地のせいだと思い当たって、全スルーする。
スルーし始めたら戸は静かになったので、よく揺れる時間帯だったんだろう。
この日が歩き遍路最終日、と決めていた。
11月9日のzineのイベントで「遍路のzine出します」と宣言してあった。当日までに、zineの執筆時間が必要だ。
明日の航空券はとってあり、あとは帰るだけ。
室内で落ち着いちゃったら、必然、遍路反省会が始まる。
中国人SATC羨まし〜い、というのが第一議題。
空海さん以外で一緒に歩いてくれる相手、いいな。いいな。
何十年も生きたのに、私は、同じレベルで同じバカをやらかしてくれる系仲間を作ってこなかった。
つうこんのいちげき。
遍路は修行の旅なので、向き合うことになるのは、とことん自分だ。
本当は最終日にまとめて、でなく、歩きながら向き合うもんなんだろうが、私が道中向き合っていたのは『Rebuild』や『ゆる民俗学ラジオ』なんかの、Podcast番組だ。こういうところなんだろう。
こういうとこがミルフィーユみたいに積み重なって、フォークを刺した時パキッてなる。
第二議題は、「これは、現実逃避ですね」。
特別逃げたい現実があったわけじゃない。
特別「ここにいたい」現実にいるわけでもない、て現実から、そのつもりなく逃避できていた、というだけだ。
改めて、ではどういう現実にいたいのかと問われれば、「宝くじが高額当選するかなんかして一生金の心配をしなくていい生活」一択だ。
最終議題「総合すると、発想がちょっとずつ大変傲慢なんだよな」。
だから修行のみちを歩いた。
わぁ整合性ぴったり。
めでたし。
閉会。
11月5日(火)
帰る日。
朝イチのリムジンバスに乗って空港に行き、土産を選んで、ほとんどをフリースペースに置いてある漫画『響』を読んで過ごした。フリースペースには、四国にゆかり深い作家さんたちの本が置いてある。
空港なんて行きつけないので、どこも羽田並みに広いのかと思ってたら、違った。
土産物屋はぎゅっと同じエリアにあって、遍路で歩き回りたくない足には優しかった。
土産物屋ひとつとっても、空港系列土産物店のホスピタリティたるや。
同じものを近距離で売りあってるのに、ANAやJALの店で買いたくさせる。
帰宅したのは夜だった。
「部屋が汚ねぇ」とまず思った。
今まで清潔に整えられた宿と整然とした寺、生産効率高配列の農地ばっかり見てきたため、自分の部屋が雑然とし過ぎてて愕然とした。
よくこんな中で生きてきたな。
一週間前に入れてそのままだったんだろう紅茶がマグカップの中にあった。
四国の大地を吸って吐いてたため、家のにおいがなんか臭く感じる。
臭い場所で過ごさせるのって虐待じゃなかったっけ。
11月6日(水)
足が痛むからって、休んではいられない。
図書館の返却期限だった。四国からの帰宅日選定には、zine制作の都合もあるが、この「返却期限」が一番モノを言っている。zineは最悪数時間で作る1ページペーパーで誤魔化せても、返却期限はどうこうできない。
本の返却ついでに、靴を選んでくれたスポーツ用品店にお土産を持っていく。
お土産を渡された靴売り場の方は、正直戸惑われていた。
やっちまった。
「帰ってきたら話を聞きたいですねぇ」て接客してくれたから「商売熱心であられるのだな」と思っていた。私だったら遍路の体験談をもとにPOPを作るから。
この世には「社交辞令」という言葉がある。
感謝を示されるより、毎日がつつがなく同じように過ぎる方がいい人だっている。
軽く話すと、店員さんはそそと仕事に戻って行った。
私はやりたいように感謝を示した。
こういう事故は、ある。
この日の歩数は一万歩を越えた。身体があんまり休んでない。
11月7日(木)
足が痛むが、落ち着いてzine執筆できるほど、私の家は整然としてないな、てことで外に行く。
自転車でカフェに行こうとしたら、タイヤに不具合があって、カフェとは逆方向の自転車屋に向かった。
ついでに、父が母を殺した人のノンフィクションを返却しに図書館にも行く。自転車屋と図書館が同じ方向だったから。
そっから真逆にひるがえり、カフェに向かう。
この日の歩数も一万歩を越えた。
zineには絵も文も写真も入るので、ワードでなくクリスタで直接編集することにした。0日目、四国入りした辺りまでは作れた。
zineイベントは明後日だが、「まだ身体が回復しきってないし」を理由に21時台には布団に入った。
不眠症なので、布団に入った時間と寝た時間は一致しない。
11月8日(金)
明日がイベントだ、ということで、カフェに行ってzineづくり作業をするも、終わらない。
夕方、営業さんとの打ち合わせがあった。
こいつ大丈夫か、と思うけどもう週末だしとっととミーティング終わらせてぇ、という空気の営業さんと、
「この時間給料発生しねぇから秒でも早く終わらせてぇ」
と思ってる私とのコラボなので、大変スムーズなミーティングとなった。
11月9日(土)
徹夜して印刷を数冊かけたところで、タイムアップになった。
製本は人手を借りて、イベント会場現地で行われた。ありがたい。
コンビニで印刷していると、情けなくて挫けそうになった。
「若い人が頑張ってっ時に、年長が折れるな!」というエイジズム全開の自己叱咤をした。自分相手にやる分にはいいけど、エイジズムには私は反対だよ。
イベントには高校の友人が来てくれて、宣伝した甲斐があった。
どこまでもひとさまのお世話になったイベントだった。
長辺と短辺の意味を知った。手製本なら道具にこだわった方がいいことも。ブースとは空間として作り上げるべきだということも。
徹夜明けなので、1日徹夜明けテンションだった。
ここまで、ろくすっぽ休んでいない。
11月10日(日)
朝は久々にゆっくり寝た。
zineイベント二日目。
前日のzineイベントは思いのほか人がきて、撤収時以外イベント会場にいたら、人間一人分邪魔だろうなぁと思えた。
ので、「ひとさまのブースをぐるっと見、かつ撤収に間に合うよう動こう、今日はなるべく体をゆっくりさせよう」と徳島空港で読めなかった『響』の続きを借りて読む。が、とにかく内容が頭に入ってこないし、集中できない。
脳が疲れすぎていると、活字は入っても漫画はキャパオーバーで、追い出しかけられることある。
徹夜がボディブロー的に効いている。頭の回復が間に合ってない。
漫画を読み切る頃には「間に合わなくね?」て時間になっていた。
案の定間に合わなかった。
主催が帰宅した会場で、たまっったま居残っていてくれた友人と、イベント会場「ギャラリー チフリグリ」オーナーさんとしばし歓談し、友人の車で送ってもらった。ありがたい。
昨日から本当にありがたい!!!
「いく」つって「いかない」は一番信用に関わるし、そういうドタキャンは好きじゃない。今に輪をかけてバカだった時分、自分がよくやったから。
前職場から離職票等一式が届く。
11月11日(月)
9月の鬼仮装コンテスト以来長引く顔の肌荒れが復古して、皮膚科に行く。
10月まるっと通院しなかったのは、軟膏が切れたタイミングと辞職してノー保険証ノー被保険者資格喪失者証状態で、保険証手元不在期間だったからだ。
本当は、ノー保険証で歩き遍路なんて行くのもいけない。
マイナカードで乗り切れると思っていて、たまたま今回の遍路では保険証の世話になる悲劇に見舞われなかっただけだ。
朝イチで行った皮膚科では、危惧してたとおりマイナエラーが出た。
来月から保険証と統合されるマイナカードも、国保社保切替手続きがされていない宙ぶらりんだと、どうしたらいいかわからないようだった。マシンめ。
今日中に国保に切り替えることとして、一旦十割負担で支払う。
薬局で、薬剤師が
「じんましんはね、治すんじゃないんです。抑えるんです。花粉症だって、薬で症状はおさまるけど、治るわけじゃないでしょう。それと同じ。
アレルギーの原因は花粉やほこりだけど、じんましんの原因は、主に不眠と疲労とストレス」
と話しているのを聞く。
その情報、人生のものすごく早い段階で知りたかった。
国保の保険証を作って皮膚科と薬局を再度周り、十割払いの医療費を七割返還してもらって、一日終える。
来月社保に入ったら、それはそれで手続きがあるという。マイナちゃんってなんのために保険証と統合するの……?
今日も歩数は一万歩を越えた。
「身体が休んでねーぞ」と無理矢理布団に入る。
ベッドで、郵送されていたコミティアの案内を初めて開く。
コミティア電子カタログにログインして、サークルチェックが始まる。
11月12日(火)
コミティアのブースアイテムを買いに行く。ポップとか値札とか。
そういうものは必要だ、とzineイベントでつくづく学んだから。
教えてもらったことは、実践しないと失礼よなー、と、教えてもらったポケット版の美術史本と、ホッチクルとオルファのカッターも買う。
大方のアイテムは手に入ったが、賽銭箱型貯金箱。
これだけ、ない。
zineイベントでは友人が「やめろ」と言ってくれたバカを、コミティアではやろうと思っていたのに……!
それには賽銭型貯金箱があるとやりやすかったのに!!!
ロフト、ハンズ、文具の森、100均とハシゴして、図書館2館へ寄り、歩数は一万歩を越えた。
そろっと、私の身体も私がいかに休み下手かお気づきのことと思う。
11月13日(水)
賽銭型貯金箱、ヴィレバンならあるでは!?
探しに出た。図書館にも寄った。ドラッグストアにも用があった。
歩数はうん。
結論、賽銭箱型貯金箱はなかった。
歩きながら「秘密結社作ろう〜!」とずっとときめいていた。
私の身体は私の脳から逃げた方がいいかも知れない。