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自分を守るために性悪になっていた


私は幼少期から傷つくことを多く言われたりされたりしてきたことで

小1.2くらいには傷つく前にバリアを張るくせができていた。


バリアを張るというのは、ただ避けるだけでなく、悪い面を探すようになってしまったということ。

特に人との関わりでそうだった。

人の悪いところをまずは探してしまうし、関わる上で大事なのはその人のいいところではなくて悪いところを自分が許容できるのかできないか、今後傷つきそうかを見てから関係を築いていく....

ということを無意識にしていた。

そして人を全く信用していない。


自分でもわかっていたけれど、あまりにも対人関係で傷つきたくない気持ちが強すぎて直せなかった、というか直す気がなかった。


そんなこんなでもう20代中盤に差しかかろうとしている。
けれどこんな私が変わってもいいかも、と思えたきっかけが最近あった。


先日夏休みをもらって地元に帰って3歳からの親友と遊んだ。
親友の相変わらずの温かさと人間性の良さがあらためて好きだなと思った。

この人は必ず人の良いところを見るし、いつか嫌いになるかもという概念がない。
私のようにベースが病んでいない。
一発目から人を疑わない。

思いっきり悪口でも言われない限り自分から離れることはまずない。というか悪いことをされて初めてその人のことを嫌いになる準備を始めるという感じ。

昔から変わらないところにすごく圧倒されたし、それなりに辛いことがあっても自分の足で立ち上がってこうして常に明るい友達を見て、私もこうやって生きてもいいのかなって思えた。

確かにバリアを張っていると傷つくことは減る。ただ、その分心から感動することも楽しいと思うことも嬉しいと思うことも減ってしまう気がしている。

それは対ひとだけじゃなく、自分の気持ちに向き合うことも本当にしたいことに進んでいくこともできなくなってしまう。
傷つかない、が目的だからだ。


今回親友に会ったことで、私もこうやって、傷ついてもまた立ち上がればいいのかもしれないと勇気が出てきた。(ありがとうまじでありがとう)


ただ!

これまでの自分が悪かったとも思わない。

今まで誰も守ってくれなかった自分を自分で守り抜いてこれたからだ。

こういう思考のせいで、実は仲良くなれたかもしれない人を見落としてきたかもしれないし、リスクがあるけれど感動するような出来事を逃したこともあったかもしれない。

ただ今私が昔の傷から立ち上がろうと思えるところまでこれたのは今までの自分のおかげだと思う。


これまでの私もリスペクトしつつ、傷つくことを恐れすぎず心をオープンに。

新しいフェーズに行っていいよ、と自分で自分に許可を出せた夏休みだった。

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