やきにく

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最近の記事

自分を守るために性悪になっていた

私は幼少期から傷つくことを多く言われたりされたりしてきたことで 小1.2くらいには傷つく前にバリアを張るくせができていた。 バリアを張るというのは、ただ避けるだけでなく、悪い面を探すようになってしまったということ。 特に人との関わりでそうだった。 人の悪いところをまずは探してしまうし、関わる上で大事なのはその人のいいところではなくて悪いところを自分が許容できるのかできないか、今後傷つきそうかを見てから関係を築いていく.... ということを無意識にしていた。 そして

    • 白い恋人を自分で自分に買って食う

      今日、白い恋人を初めて自分のために買った。 (※白い恋人は北海道のお菓子でお土産として有名?だと思うが、20数年ずっと北海道に住んでいるため全国的な知名度はわからない) このお菓子はお土産で買うものだという先入観があって、美味しくて毎日でも食べたいほど好きな味なのに一度も自分用に買ったことがなかったのだ。 なぜか自分の中にずっとあった謎のルール。 ''白い恋人はお土産でもらったときに食べるお菓子'' だが、このルールを今日やぶった。 確かにコンビニでお菓子を買うより

      • 忙しない日々で幸せでいる秘訣

        今日は旦那さんと、近所にある高級な和食居酒屋にご飯を食べに行った。 私たちはまだ社会人二年目だけれど、外食にはお金を惜しまず使う。 忙しない日々で、ひとつ何かを覚えてもまたすぐ新しいことを習得しなければならなかったり 勘違いされていてもそれを訂正する暇すらないほど時間に追われていたり そういう毎日を美味しいご飯を食べながらリセットする。 美味しいねーって言いながらご飯に集中してるとそのときだけでも、嫌なことを忘れられる。 そもそも私は何か嫌なことがあってからの切り

        • 全て自分の内側にある、とは

          自分の身に起こることは自動操縦だから... 1番外側だと思っている肉体ですら自分の意思以外でどうにかなってしまうこともある。 例えば。老化、疾患、など。 私たちの意識は↑のようにただ自然に起こってることを観察することができる。 つまり意識は肉体を超えて私たちの1番外側にあると言えると思う。 ということはイコール、肉体含めた私自身すべてがなにをせずとも私たちの内側にあるということ。観察できる対象だということ。 ただ観察するというのは、肉体に関しては様々な五感を自然現象

          感情的or理性的

          私はこれまでの人生、生活で生じる人間関係においてかなり理性的に関わってきたと思っている。 友達と喧嘩をしたことはほぼないし、傷つくことを言われても感情的にならずジョークになるような空気感を作ってきた。 そのときの私にとってはそれがベストだった。 社会で人間関係を継続するにはある程度感情を抑えることも大切で、喜怒哀楽に従って人に接していたら相手がとてつもなく疲れると思う。 特に怒り、悲しみの感情を「良くないこと」と思っていたので、とてつもなく腹が立った時ですらヘラヘラし

          感情的or理性的

          好きって...私の何を分かっとんねん

          高校生の頃って周りは恋愛盛りだけど、私は違った。 これは後悔してることの1つでもある。笑 大人になってからは、深く考えず、優しいし楽しいし付き合っちゃお!というノリで恋愛関係になることも増えたし、実際付き合う前に分かることなんてたかが知れてると思ってるのだが(笑) 高校生の頃は遅めの厨二病だったのか(笑)、「愛とはなにか?」本気で深く考えていて。 そんな16年くらいしか生きてない人間の価値観でわかることなんてなさそうな大きめのテーマだが....本気で愛がわからなくて、愛

          好きって...私の何を分かっとんねん

          同じ悲しみを繰り返さないためにはちゃんと傷つくこと

          私が人生で1番しんどかったのは、2~3年前の大学生のとき。 びっくりするくらい立て続けに辛いことが起こりまくってた。今思うとあれはサインだった。 「悲しい、苦しい」という感情から逃げるな、っていうことだったんだ。 昔はなぜかマイナスな感情になるのを避けていた。ダメなことだと思っていた。 感情がわいてくるのは私の意志ではない、ということを知らなかったので、こんな気持ちになっちゃダメだ!明るくいなきゃ!と常にそこを見ないようにしていた。 「明るくてポジティブなのが私だ」と

          同じ悲しみを繰り返さないためにはちゃんと傷つくこと

          すべてが虚構

          私が自分自身の存在に対して疑問を初めて持ったのは3歳の頃だ。 妹が産まれたときだった。 私の家系は縦社会が全て&男尊女卑思考が凝り固まったオジサンオバサンが多いので、まだたった3歳の私に対して「お姉ちゃんになるんだからね」「ワガママ言っちゃダメだよ」「下の子に嫉妬しちゃダメだよ」などと耳タコレベルで言われた。 今思えば3歳なんてまだまだバブ🍼である。 甘えたい、親を独り占めしたい、なんて当たり前だし、そりゃあ下の子が生まれて嫉妬するのも私の意思ではなくほぼ生理現象(親

          すべてが虚構

          変わりたいと思うのは自分を嫌いだからじゃない

          変わりたいと思うタイミングって色々あるけど 前までは「こんな自分が嫌いだから」変わりたいんだって思っていた。 嫌いな自分とさよならするために変わりたいと思ってしまうんだと思っていた。 けれど最近気づいてしまった。 変わりたいと思うのは自分のことを愛していて、しかも信じているからだと。 変わった未来なんてないと思うほど自分に絶望していたり、諦めていたらもう努力なんてしようとしないだろう。 本気で自分を嫌いだったらもう、自分のための行動全てをやめるだろう。 ああ、わ

          変わりたいと思うのは自分を嫌いだからじゃない

          仕返しはしない理由

          なにか嫌なことをいわれた、嫌なことをされた。 そんなとき必ず倍返ししたくなるのが私だった。 けれどついこの間、とある発信者のYouTubeに出会い気付かされた。 そして自分でも、よく考えてみるとわかる。 他人に対して悪口、噂話をしている人が幸せなわけがない。 満たされているわけがない。 そのような言動をとっている時点で、''私は幸せじゃないです自分で自分を満たせないですなので他人を貶めて自己を保ってますこれが精一杯です''と自己紹介しているようなものだ。 その言

          仕返しはしない理由

          自分の性格の悪さを和らげる方法

          私は短気でイラつきやすい。(しかも口まで悪い) そして少し嫌な事実に直面すると「は?何こいつまじでぶっとばしたろか」などとすぐに思ってしまう。 もちろん全ての現象は私が作り出していることも知っているので、時間が経って冷静になると、そのような現象が起きたのはなぜか?自分自身に問いかけて内側と向き合う時間は作るのだが...。 遺伝的な短気ゆえ(笑)、その場で冷静になることはまだすこし難しい。 そんな私が最近発見したライフハック。 全く関わりのない他人に対して、優しい気持

          自分の性格の悪さを和らげる方法

          この不幸をどう生かそうか

          世の中には、不幸を欲しがる人もいるらしい。 不幸を物語にしたい、映画にしたい、歌にしたい。だから本物の不幸をしりたい。 と望む幸せ者の表現者がいるらしい。 私から見るとその表現者は幸せ者だが、 その幸せ者は私が持ってる不幸を欲しがってる。 それを知ったとき、 ん?これってどっちが幸せ者でどっちが不幸者なんだろう? と思った。 私から見たら幸せ者でも、その人は欲しいもの(不幸)を手に入れられないのだから。 それって果たして幸せ者なのか?と。 そこで私はやっと

          この不幸をどう生かそうか

          俯瞰してみる=見終わった映画をもう一度見るような感覚

          うまくいかない、くるしい、しんどい、もうヤバいかもしれない、詰んだ、本気でダメだ..... そう思ったことが人生で何度あるか。 ずっとこの苦しみが終わらないように思えたことは何度あるか。 でも人間ってかならずハッピーエンドになるように出来てる。 なにをハッピーとするかはもちろんその人によるが、その人がハッピーと感じる要素はもう既に魂にプログラミングされていて(人間に生まれたとたんに一度記憶から消えるが)、それを思い出していく・取り戻していくのが人生という旅だからだ。

          俯瞰してみる=見終わった映画をもう一度見るような感覚

          本当に大事なものは何か

          今手の中にあるものに気づくこと。 綺麗事とかではなくてちゃんと今私の周りにあるものを見れるようになるまで時間がかかった。 今周りにいる人、それから私の家、服....。全部私が選んだものだし私の周りにいてくれるものたち。 それらを失ってからその大切さに気づくなんてそんな悲しいことにはなりたくない。 今同じ時間を過ごせてることをちゃんと味わう。 これを今意識しながら少しずつ実践してる。 昔からこうやって、今の時間に浸りきることをしたことがなかった。 私の親がそもそも

          本当に大事なものは何か

          自分へ

          自分が大切にしている倫理観を守ること 世の中のルールではなくて 自分のルールを守ること 人それぞれルールはあるから、自分が許せないと思うことでも他人は同じじゃないこともある。 自分の正義を押し付けるんじゃなく 自分は自分のルールでただ生きる。 これをしたら自分を嫌いになってしまいそうだと思ったらしないこと。 たとえ頑なに守ってきたものでも、自分の心からの意思で採用したルールじゃないならとっとと捨ててしまえ、 童心に帰って本当に好きだったものを知って少しづつでも

          今抱えてる悲しみも悔しさももう終わったこと

          昔からの癖なのか、悲しかったことや悔しかったことを思い出してひたすらそこだけに浸ってしまう。 例えば食事中でも旅行中でも、構わず。 私は長いこと、今に心を置くということができていなくて、何をしてても常に悲しみや悔しさ、怒り、憤り、不安に心を奪われていた。 過去のできごとや感情が蘇ってきてしまう。 本当にもったいない生き方をしてきたなぁ、と。 少し前に読んだ本に書いていた''過去はもう過去''という当たり前すぎる言葉があまりにも胸に響きすぎて(笑) いや当たり前だけ

          今抱えてる悲しみも悔しさももう終わったこと