画角についての言語化(広角と標準)
※全編無料です。
多くの作品を見るようになったり、単焦点やズームレンジの狭いレンズを使うようになったりすると、焦点距離による印象の差を意識するようになる。焦点距離ごとに「こう見える」と思っていることの言語化は時たましているが、結局人に読ませる文字として言語化しないとどうしても私の脳内で漠然としてしまうので、言語化してみることにした。もちろん唯一無二の正解ではさらさらないので、好きな人だけ付き合っていただければ幸い。各画角共通する考え方として、人間が見た時の印象に近づけると見る側にストレスを与えにくいと考える。
広角域(魚眼〜24mmくらい)
私が好きな画角。人の目で言うと、話しかけてみたい人が誰かと話しているのを遠目で見守っている、新幹線がビルの間を走っているのを眺める、みたいな背景+主題の発想が自然になってくる画角。背景と主題が与える印象の強さはほぼ同等。撮影の時も、背景や周囲と主題が対比するような構成が基本になることが多い。背景が大きい分だけ強くなりやすいからこそ、主題にも強さを持たせないと主題が埋もれてしまう。
加えて「ぐっと近寄っていっぱいにする」ことも意識している。広く写るが故に余計なものが入りやすいので、思っているより1-2歩近づいて大きく写して「ちょうど良い」と思うところを少し越えたくらいでいっぱいになっている。広い範囲を写す俯瞰的作品であっても、余計なものはなるべく入れず、伝えたいことで画面をいっぱいにするという原則は変わらないと考える。
標準域(40-60mm)
最近撮り方を言語化できるようになってきた。キーワードは「ちゃんと見た時の画角」。この画角が「標準」と言われるのは人の目に近い画角だからと言われるが、人の目は意識次第で画角が変わるのでその表現は適切でない。ただし、水平垂直圧縮の歪みが少ないという意味であれば標準の写りである。
人間の画角で言うと、「ちゃんと見た時」の画角がこのくらい。イメージで言えば、知り合いを見つけて会釈する時が50mmくらい。給水器で水を入れるくらいの簡単な作業をしている時、手元を見る画角が50mmくらい。主題しか見えていないわけではなく、副題も見えているが、その優劣ははっきりとしている。撮影する時は人間が見ている時同様、「主題をちゃんと見つつ周囲も多少気にしている」くらいの画面構成がやりやすい。
広角と標準を比較すると、広角は強い主題と強い主題をぶつかり合わせる感覚で撮る。最終的な被写体の主張の強さは主題>副題でないといけないのだが、副題も一定の強さがないと主題を小さくする必然性がなくなってしまう。対して標準は、それぞれの主題の強さに応じて優劣がつくように画面を構成していけるイメージ。たとえやや主張が弱い主題だとしても、背景をさらに弱いものにすれば大丈夫。懐も奥も深く、なんでも出来るが簡単にはやらせてくれない、そんなイメージ。
撮影しながらまた私の言語化結果は変わっていくと思っているが、現時点での言語化として残してみた。また別の焦点距離もやってみたいと思う。
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