文体を模索して
すらすらと読みやすい文章もあれば、読みごたえのある文章もある。
文体とは、と検索してみる。
筆者の個性的特色が見られる、文章のスタイル。(Oxford Languages)
その作者にみられる特有な文章表現上の特色。作者の思想・個性が文章の語句・語法・修辞などに現れて、一つの特徴・傾向となっているもの。スタイル。(goo国語辞書)
作者の個性が現れた文章、ということだろうか。その作者らしい文章ともいえそうだ。
調べるうち、私ははたと「文体」の意味を勘違いしていることに気づいた。
文体とは、単に読みやすいとか重厚だとか、そういう表面的なことではないようなのだ。そもそも作者が、普段から何を考えているか、何を思っているかが大事であり、どうすればそれを伝えることができるかと悩んだ末、もてる文章力と表現力を駆使してできあがっていくものーー。つまり、自分の頭と心、書く力を日々鍛えていないと人を惹きつける文体は生まれないことになる。
自分らしい文体が書ける方法や技術を手軽に得ようとしていた自分が恥ずかしい。
しかし、そうであれば、やれることはもう決まっている。好きな作家の本を読む。名文をノートに書き写す。そして、自分の文章を書く。
写本は、自分の稚拙な文とは違って、書いていて心地がいい。まるで自分から名文が出てきたような錯覚を覚える。分からない単語や表現もついでに調べる。手が痛くなるので書ける量に限界はあるが、読むより書くほうがずっと一文一文を深く味わうことができる。
今日は、宮本輝さんの『二十歳の火影』に収められた「文学のテーマとは、と問われて」と、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』の冒頭をノートに書く。
小説の場合、はなしの展開や風景、セリフの一つひとつに、何かしら自分の感性がにじみ出るようになってきたとき誰かの心に届くようになるのかもしれない。
心に引っかかった何か、自身の経験と絡まってせり上がってくる何かを表現できる日がくると信じて、今日も本を開き、感動し、また文を書く。