
【二次創作】負け犬のもみじ饅頭
私の家は会社まで歩いて5分だ。その間に遊具がブランコだけの公園がある。今ごろは会社で営業の日報でも書いていたはずなのに、私は公園で一人、そのブランコに揺られていた。
「こんなに工場勤務が続くなら、最初から入らなかったわ」
東京で過ごした4年間で、すっかり私の広島弁は抜けている。まさか独り言まで東京弁とはね。地元に強烈なコンプレックスを持っていたことがあったが、いざ離れてみると地元が恋しくなった。東京の名門大学の出身の私を地元の自動車メーカーは快く迎え入れてくれた。
「大森くん、きみなら優秀な営業マンになれるよ」
と最初は歓迎していた角田営業部長の言葉を信じたのが間違いだったのか。一週間ほどの営業研修が終わると、彼の仏の顔はどこかへ消えてしまった。
「まずは現場のことを知らないとね」
笑顔を消した角田部長の細い目は、俗世の全てを断ち切るように鋭く、抵抗する意思を萎縮させた。仏の顔は営業上の顔であり、この顔が本性なのだ。この二面性はある意味、営業が天職かもしれない。
私の配属された工務店はメーカー直営の、地元密着型の車の修理工場だった。しかし、朝から夜まで機械と向き合い、ネジを締めたり圧力のかかったタイヤを整備するのは東京ですっかり骨を抜かれた私には耐え難いものがあった。
ものの一年たらず、具体的には半年ほどで私はさきほど辞表を出し終え、途方に暮れていた。地元の自動車メーカーとはいっても、広島、いや日本を誇る自動車メーカーだ。そこに就職したことを両親は喜んでいた。そんな私がたった半年ほどでメーカーを辞めたと母が知ったらどんな顔をするのだろうか。このまま東京へ帰ってしまうことも考えたが、実家へ顔を出そうと思っていた。
バツの悪さにうなだれていると、なにかギターの音色のようなものが聞こえてきた。深いため息をつき、ふと顔を上げたさきに、対岸のベンチで華奢な若者……いや、ランドセルがあるので小学生か。少年がギターを弾いていた。
背は私より10センチほど高いように見える。小学生にしてはかなり体が大きいらしい。
公園の中央にある時計塔は昼過ぎを指していて、こんな時間に一人で居るなんてどうしたのだろうと気にかかる。私のため息の間を縫うようにして、ギターを奏でる音がリズムよく刻まれる。
「きみ、こんな時間になにしてるの」
意を決して話しかける。実家にまっすぐ帰るには早すぎるし、小学生の彼をなんだか見過ごせない。返事は返ってこない。
「ねえ、きみ」
その少年のギターの旋律が、曲の盛り上がりを見せ前で急に止まった。
「は? おれに言ってんの?」
公園は元の静寂に戻る。代わりに彼の厚く整った唇から発せられるその声が、私の元まですっと届く。二重で大きな目が私の過去を見透かすように覗き込んだ。
「そう、きみ」
一瞬だけたじろいだが、すぐに我に返り怯まず続けた。
「なんだよ、知らない人とは話したくないんだけど。とくに男とは」
全ての人間を跳ね返すような冷たさは、辛い別れを経験したかのような深い憂いを帯びているように響いた。
「もみじ饅頭、余ってるんだけど要る? おじさん、いま会社辞めてきて、これもらったんだけどさ。オレンジ味苦手なんだ」
退職金代わりにもらったそれはきっと営業の見舞い品の余りだ。
彼は何か答えようとして、口を閉じた。ピックを握り返し、ギターのボディを撫でているその手は僅かに震えているように見える。少し考えているようだった。
「それ、おれに渡してどうするの」
ようやく開いた口からは彼の警戒が張り詰めている。それもそのはずだ。昼過ぎに知らない謎のサラリーマンから話しかけられただけでなく食べ物を渡されようとしているのだ。公園には風化した「不審者に注意」のポスターが剥がれかけている。いままさに私はその不審者である自覚があった。
「何もしないよ。あっ、でも確かに怖いよな」
その「不審者に注意」のポスターを一瞥すると、彼もそのポスターに目をやった。
「オッサン、不審者ってやつ? それ以上近づいたら殴る」
出てくる言葉がすべて私に向けられた敵意だ。もしテレビで彼を見かけることがあれば、アイドル枠であることは間違いないだろう。その整った顔立ちの彼から敵意を向けられると世界の全てから隔絶されたような寂しさがある。
「わかったわかった。じゃあ、10数える間にちょっと離れてくれ。その間に、そこの時計塔の隣にもみじ饅頭を置くよ。いいかな」
「えっ」
意外な申し出とでも受け取ったのか驚いた顔つきがまだ子供であどけない。やっぱり小学生なのだと思う。私はもみじ饅頭の入った紙袋を持ち上げて、ゆっくりとブランコから立ちあがろうとした。その瞬間、膝の裏に強烈な痛みが走る。
「痛っ!」
足を攣った私は前方にヘッドスライディングをするようにすっ転んだ。手に持ったもみじ饅頭の紙袋が、私の前方に勢いよく吹っ飛ぶ。
運動不足の私はそのまま顎を強打した。車に轢かれたヒキガエルのように万歳をして、うつ伏せに倒れ込んだ。足場の砂が思い切り舞い上がる。
同時に一気に情けなさが込み上げてきて、目の端から涙が溢れ出る。砂と涙が混ざったそれは、顔面ケーキドッキリのようにはりついているだろう。触らなくても分かった。
ダイの大人が転んで涙を流している顔は見せられないと思い、顔を伏せたままその場で四つん這いになった。溢れ出す気持ちをぐっと堪えて、彼を目だけで見る。駆け寄ろうとする彼が見えて、車のクラクションのような大声をだして警告をした。
「待って! 近づかないで!」
「なんだよ!」
「それ以上近づいたら、私は本当に不審者になってしまう。スーツで砂まみれで、涙で顔は濡れている。そして、もみじ饅頭を渡そうとしている。おまけに会社を一年足らずでやめて、一家の笑い者だ」
余計なことまで口を滑らせてしまって、心のダムが一気に決壊しそうになる。
「オッサン!」
「同情するなら笑ってくれ。私はみっともない大人だ。生き恥だ。もう行くあてもない。本当は手渡ししたかったが、それもきっと汚してしまった。すまない」
「オッサン……」
二、三歩のフミを進める足音が聞こえて立ち止まった。
「おれ、風凛(かりん)って言うんだ。そのことで女みたいだっていじってくる奴も多い。生き恥? こんな名前のおれとどっちが生き恥なんだよ。おれは生き恥なんか無いと思うね」
勢いよく話す彼には不思議な優しさを感じる。
「でも、おれは負けない。会社やめたんだって? それで良いじゃないか。おれはおれを笑ったやつを、笑ってやるつもりだ」
きっと一回りも年齢が下であろう彼は私を励ました。その歳でここまで達観した人生観を持つまでにはいろんなことがあったのだろうと思うと胸が痛くなる。よく見ると、ランドセルはひどく汚れていた。きっとこの時間にこの公園にいるのも何かあったからだろう。
「だから、オッサンも頑張れ。もみじ饅頭は受け取らない。それは負け犬の餌だ」
風凛と名乗った彼が紙袋を持ち上げる音が聞こえる。
「でもその餌は、きっと次に勝つために必要なものだ。オッサンが食べるべきものだ」
ギターを薮に立てかけてから、もみじ饅頭の紙袋を本来の形に直しているのが影でわかる。冷たい彼の言葉から、本当は人間のことが嫌いではないという温かさが伝わってくる。
「すまない。こんな情けな……」
「やめろ、負けが移る!」
私が言い終える前に彼が言葉を遮った。
「今度会ったら、おれがオッサンにもみじ饅頭をやる。だからもう負けるな」
「ごめん」
地面に額をつけたまま謝る私は、上司に土下座をするような姿勢だった。しかし不思議と心は軽くなっている。顔を上げるとランドセルを片方に、もう片方にギグバッグをかけた少年が公園を立ち去るところだった。
私は砂だらけのスーツの汚れを払って、もみじ饅頭を拾いあげた。
こちらの作品は、
つきのさかなさん
https://note.com/fish_in_the_moon
「おまえとおれのはなし。」に登場する風凛くんに絡めた二次創作になります。
元ネタの一次リンクはこちらになります!
一次創作
https://posfie.com/@nakamiwahito/p/UyYVeYb
ツイート元
「おまえとおれのはなし。まとめ」をまとめました。 https://t.co/n42i5wJqx5
— つきのさかな@文フリ大阪 (@nakamiwahito) January 31, 2025