【創作】魚って名前の料理イカンバカール
太陽の光が白い砂浜に落ち、アダムのよく焼けた肌を反射している。
ぼくはボルネオ島の郊外にあるランパヤンから1時間、海を渡ったマンタナーニ島に来ていた。アダムはこの島のダイバーで、ぼくとダイビングのバディ(同伴)を組んでくれた。
「ミッキーさん、お昼はどうする?」
まだ10歳の彼は、ぼくのミツクニという名前をうまく発音できなかったので「ミッキー」と呼んでもらうことにしていた。
「お昼ご飯、きみたちと同じものでいいよ」
「じゃああっちの食堂で食べよう」
ぼくはそこで、英語の行き違いが起きている気がした。
「アダムも普段からそこで食べてるの?」
「ボクはあんなに高価なもの食べられないよ」
「ぼくがみんなって言ったのは、アダムたちのことなんだ。ごめんね、いっしょに食べるのはできるかい?」
「それは料金に含まれてないけどいいの?」
「もちろんさ」
食堂にはフルーツやサラダ、西洋風の見慣れた料理がガラスのケーㇲに入っていて、その定食が12リンギットだった。日本円で500円くらいだと思った。
オーストラリア人だと思われる観光客が指さしで注文をしている。なぜ東南アジアにまできて食べなれたものを食べるのか。気持ちは分からないではなかったが、ぼくは旅先の現地の人の生活の一端を少しでも感じたかった。ここまで色々なことがあったが、アダムとコタキナバルのビーチで知り合ってから彼の年齢と、たくましさに感銘を受け、彼と同じものを食べたいと強く思っていた。
「ちなみにいくらくらいなのかな」
ぼくはアダムの案内に従って食堂の裏手に回った。食堂の裏では大量のごはんが捨てられていて、ごみ箱から強烈な悪臭を放っている。
「こっちこっち」
彼はジャングルを進んでいたのでついていくことにした。
「ごはんはね、1リンギットもらえたら、それで充分だよ」
茂みを掻き分けるのに夢中だったから、なんのことかと思ったが、そういえばごはんの値段を聞いていたのだった。
「それでいいの」
「ほんとうに充分」
アダムはそういうとニッと白い歯を見せた。
太陽の木漏れ日の指すガジュマルの木は細かく絡み合い、獣道を薄暗くしていたが、彼の歯は浜辺で見た時より白く感じた。すぐに彼の自宅が見えてきた。木造だが日本の田舎にもありそうな立派な家だ。
「ただいま!」
彼がそう言うと奥から子供が3人ほど飛び出てきて色々と騒ぎ始めた。彼に与えられた昼休憩は1時間ほどで、洗面台にぼくを案内するとアダムは慣れた手つきで食事の支度を始めた。とはいっても、彼の母が用意した昼食を冷蔵庫から出して盛り付けるだけだ。
「ミッキー、ナシはどれくらい食べるの?」
「少なめでいいよ」
ナシは米のことだ。ここのごはんは米がすこぶる多い。何も言わなければ3合分くらいは出てくる。それはサービスではなくふつうの量なのだ。
「はい、今日はこれだったみたい」
少なめといったのに、さらには山盛りのごはんが盛られていた。米は高く盛られたキャベツでよく見えないが、おそらく2合はある。アダムから食器を受け取った子供たちを見ると、ぼくと同じ量だった。少な目で合っているのだ。しかし、心なしかぼくのほうがキャベツが多い。アダムなりのサービスだと思った。
「ありがとう、これはなにかな?」
皿を並べると一杯になった机の上で見慣れた食べ物があった。
「Ikan Bakar」
「ん?」
「イカンバカール」
たぶんそんなようなことを言った気がする。
「そういう名前の魚かな?」
「魚の名前はわからないよ、でも魚は魚さ。それと野菜」
「いつもこういうのを食べているの?」
アダムがイカンバカールといい、その説明を「魚」と呼ぶこの料理はどう見ても青魚の素揚げだった。
「ミッキーはなんでもきいてくれるね」
ぼくが小さくいただきますと唱えたのと同時くらいに彼が言った。イカンバカールをほぐしながらぼくは答える。
「迷惑だったかな?」
「迷惑だなんてことないよ。でもパパはなんでもきくと怒るときがあるんだ」
「ぼくもよく怒られることがあったよ。『なんでも、聞けば答えてもらえると思うな』って」
「パパも同じこと言ってた」
「ぼくたちは知らないことの方が多いのにね」
「Ilmu itu seperti air di lautan」
「なんて言ったの?」
「イルム イトゥ スプルティ アイル ディ ラウタン」
今度はゆっくり丁寧に発音してくれたが結局よくわからなかった。
「『知らないことは海みたいなもの』ってこと」
「どういうこと?」
「ボクもよく知らない。けど本土の学校に行ったお兄さんがよく言ってたんだ」
「かしこい人だったんだね」
「ボクよりはたくさん質問をしていたよ」
「だから学校に行ったのかもしれないよ。学校は、なんでも聞ける」
「お父さんは怒っていたよ、もっと知るべきことがあるって」
ぼくは少し考えた。
「すくなくともアダムは、お父さん多くのことを知っているかもしれない。でもそれはお父さんも同じようにね」
「どういうこと?」
「イカンバカールってこと」
「わからないや」
「わからないってことを知っているってことだね」
ハハハとアダムは適当に笑った。ぼくも説教じみたことを言ってしまって年寄りみたいだなと思って笑った。お互い何で笑ってるのかわからないが、笑った。ぼくは山盛りの昼食を食べ終えた。アダムやほかの子供たちは、大量のナシを捨てていた。
「ミッキー、なんで大人ってこんなに食べるのかな」
「それはぼくにもわからないけど、日本では食べられる分だけをたべるよ」
「なんで?」
「“モッタイナイ”からね」
「MOTTAINAI?」
「ぼくらは限りある資源を捨てることに抵抗があるんだ」
アダムはそれをきいて「そっか」とだけつぶやいた。食べきれない量をよそって、ごみ箱に捨てたのは単にそれがこの国の習慣だからなのだと思った。
「だからといって、ぼくのまねをする必要はないよ」
とだけ付け加えておいた。アダムはまだ何かを考えているようだったが、彼の生活を少し覗けた気がした。それからアダムの出生名を教えてもらえたが複雑な発音で覚えることはできなかった。彼も最後までぼくをミッキーと呼んでいた。
きっと、彼は大人になったらミッキーがきたんだとみんなに自慢するだろう。