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【人間観察】私の周りにいる愛すべき人①

ここルクセンブルクでイタリア語を話すチュニジア人のバイタリティーに溢れる女性と働くとは全く想像してなかった。

特別多くの人々に読んでもらうようなスター性はないかもしれない。
でも、私の周りにいる愛すべき人達。
初回は、チュニジア人のイーナさん(仮名)のことを書きます。

契約社員の場合、契約更新をされるか否かは気になるところだと思う。
同僚のイーナさん(仮名)も同様なんだけど、対して心配はしていない様子。

いくら頑張っても、頑張らなくても、この仕事を始めるずっと前から、神様は仕事の契約を更新するか打ち切るかを決めているの。
だから、もうすでに決まってるってこと。
私は神様の決定に従うだけのことよ。


だから、もし契約更新にならなくても、誰を恨むことも、自分が至らなかったと残念に思うこともないんだとか。

彼女は、イスラム教を信仰していて、私が初めて出会ったイスラム教徒でもあります。

一時が万事こんな感じで、なにかいいことがあったら
「神様、ありがとう!!!」
と大喜び。

なんだか、神の存在が精神の安定に大いに役立っているように見えます。

一神教という意味では、キリスト教もそう。馴染みのあるイタリアはカトリックの国だけど、イーナさんのイスラム教のように、ここまで信仰の深いカトリック教徒の方と出会うことはなかったです。

「信じる者は救われる」というけれど、
嫌なこと、受け入れがたいこと、不安なことを絶対的な存在に委ねることは、救いになる、というのはなんとなく理解できる。でもその裏では、心底信じ、思考回路や人生を神に捧げることでもある気がする。そして彼女はそれを喜んで受け入れている感じです。

彼女の考え方に触れれば触れるほど、私とはことごとく違う。(私はどこの宗教にも属していないと感じています)今まで付き合ってきたどんな人とも―なんというか―根本が違うと感じるのです。深いところで異なると感じるんだけど、その考え方に触れることで、楽に感じたり、興味深かったりと、私の視野を広げてくれています。
共感はしないことの方が多いけど(爆)、それでお互いOK。

息子さん、娘さんの結婚に対しては、
結婚前の体の関係はあり得ない、結婚相手はイスラム教の方とするのが当たり前という考え。

豚肉は食べない、鶏肉や他の動物のお肉も、しかるべき方法で加工された肉しか食べない。

都合により、ラマダン(日の出から日の入りまでの間、飲食を断つ日々が1年のうち定められた1か月間行われる)を数日しなかったとしても、次のラマダンまでに自主的にその数日間断食すれば、許されるのだそう。神様との関係は結構フレキシブル。悪いことをしても罰を受ければいいのよ、という感じさえします。

スマホには1日5回のお祈り用のアラームをセットしていますが、勤務中はOFFにして対応しています。

とにかくポジティブ!

イーナさんはチュニジア人で40代後半の女性。
ヒジャブをまとっているんだけど、それは10年ぐらい前に急に巻きたくなってまとっているらしく、誰に強制されたわけでもないそう。

22年間イタリアに住んでいましたが、仕事を求めて6年程前にドイツに移住。
約1年前から、ドイツから越境通勤しています。
(車で30分ぐらいらしい)

家族はチュニジア人の夫と4人の子ども達だけど、上の二人は結婚していて孫もいるおばあちゃんでもあります。

40代でイタリアからドイツへの移住は、言語習得やあれこれ大変だっただろうなと思います。でも、もともとのバイタリティーで乗り越えてきたんだろうな。私とはイタリア語でしゃべります。

職場では、基本英語が共通言語なのですが、彼女は英語が苦手。
だけど、持ち前のバイタリティーとポジティブ思考、ジェスチャー、ドイツ語でぐいぐいコミュニケーションを取って、切り開いている!!!

その姿から元気をもらったり学んだりしています。

こんな感じの人と出会って、他愛無い話をする仲になるなんて、これっぽっちも想像してなかった。おもしろいです。
ではまた!

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ひろこ
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