結局のところ、習慣ではないか


習慣の大切さについては、生まれてから生活をする中で、何となく理解していたとは思う。特に、受験期には習慣の大切さを身に染みて感じた。

ただ、「習慣」という概念をはっきり理解・勉強したのは、大学に入ってからのことだ。

「僕たちは習慣でできている」という本を読んだのがきっかけだった。

*著者は(名前は忘れてしまったが)、ミニマリストの方だった。

何かをなそうとするときには、必ずと言っていいほど「習慣」を形作っていく作業が必要となる。

メンタリストDaigoさんの「自分を変える! 超集中術」(もしかしたら題名間違っているかも…😅)という本にもお世話になったのだが、「意志力」は量が決まっているという記述もあった。


なぜ習慣の話を持ち出したのかというと、村上春樹さんのエッセイを読んだこと、今私が大学の夏休み中であることの二つの理由がある。

まず、現在大学二年生の夏休みを私は過ごしているのだが、最近どうも調子が悪い。

その原因は、時間の膨大さである。

何をしてもいい。(バイトや自動車学校を除く)

その自由さが、逆に大変なのだ。

前のコラムでも述べたが、私はやることが決まっていないと不安を感じてしまう種類の人間であるらしいことが分かった。

夏休みに入ってから、夏休みの時間割なるものを何となく決めた。

これは去年の夏休みの反省で、やることが決まっていた方が毎日が充実することをわかっていたからである。

なので、だいたいのスケジュールは決まっている。

例えば、朝起きて朝食を食べる。だいたいフルーツ・ヨーグルト・トマト・チーズなどを食べる。これは決めたわけではないけれど、何となくこれらの食材が好きであるし、体の調子もよいのでそうしている。

その他は、筋トレをしたり、美容・将来のことを考えることに時間を使ったり、たまにテレビを見たりしている。

本当にたまに友達と遊ぶ。

私の今回の夏休みは、減量するのが一番の目標である。

夏休みに入って二週間ほどは順調に進んでいたのだが、最近は停滞、むしろ後退している。運動量や食事量も変わっていないはず、むしろ運動面ではランニングも取り入れたのに、どういうことなのだろう。

と、急激にモチベーションが下がってしまった。

そうすると、美容関連だけでなく、ほかのモチベーションが下がってしまう。

良くない傾向だと思う。

そんなとき、「習慣」が助けてくれる。

これをしていれば、とりあえず大丈夫というような命綱のようなものである。

それでも最近は、その習慣自体が機能しなくなってしまっていて、精神的に辛い。

(ところで、私がこのnoteを書いている目的は、自分の思ったことを残しておくほか、自分の考えていることを整理するためでもあると気が付いた。

私が思ったことをとにかく出力するために書いているので、文章はぐちゃぐちゃだし、順序もバラバラだが、思ったことを逃さないために勢いで書いていくことが私にとっては大切なので、拙い文章になってますごめんなさい😅)

それで、その習慣が機能しなくなっているところの原因とは一体何だろうという問題に行き着いた。

それは、そもそもの習慣の目的が最近曖昧になっていること、目的がうまく達成されずに達成感がまるで感じられないこと、習慣の中に自分が楽しいと思えることをうまく組み込めていなったことなどがあるのではないかと考えた。

何となく閉塞感を感じたら、「習慣の再構築を行った方がいいですよー」というメッセージなのかもしれないと肯定的に捉えて、丁寧に生活を見つめ直す必要があるのかもしれない。

もう一つの、村上春樹さんのエッセイを読んだことについてであるが、「走ることについて語るときに僕の語ること」というエッセイを読んだ。

(今回の私の文章が少し理論的で長文になっているのも、たぶん村上春樹さんの文体に触れたあとだからだと思います。(笑))

村上春樹さんは小説家であるが、毎日「走って」いる。

小説とランニングの意外な共通点、それは、「習慣」だった。どちらも、集中力・持続力が非常に大切なのだ。

私が村上春樹さんの小説に初めて触れたのは、確か小学生の頃だったと思う。

あの有名な「1Q84」を読んだ。読んだといってもさわりだけで、当時の私には文章が難しすぎたので、断念した。(主人公の名前が青豆だったから、本当に豆が主人公なのだと思っていたし、友達は「IQ(アイキュー)84」とふざけていた)

再び読んだのは大学一年生の時だ。

読み始めはやはり難しく感じた。それでも、読んでいるうちに、なんだか心地よく感じた。

ストーリーは宗教的な部分や暗殺など多少スパイスの効いた要素がちりばめられていたが、私はなんだか心地よく感じたのだ。

それは、文章の丁寧さ、ペースだと思う。

物事が淡々と進むイメージ。登場人物が冷静沈着で、一つ一つの物事を丁寧に捉えているから、なんだか心地よかった。

その心地よさは、おそらく村上春樹さん本人の生活からにじみ出ているものなのだろうと思っていた。

そうして今回読んだエッセイで、「走ることで自分の小説スタイルを確立していた。走っていなかったら、また違ったものになっていた」との文書があり、やっぱり!と感じたのだ。

以上、支離滅裂な文章となってしまったが、習慣について考える日々のあれこれはこのような感じである。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?