‘The Soul selects her own Society —‘ 何を選ぶのか
The Soul selects her own Society —
Then — shuts the Door —
To her divine Majority —
Present no more —
Unmoved — she notes the Chariots — pausing —
At her low Gate —
Unmoved — an Emperor be kneeling
Upon her Mat —
I’ve known her — from an ample nation —
Choose One —
Then — close the Valves of her attention —
Like Stone —
魂は自らの居場所を選ぶ
選んだら —— 扉を閉ざす
その他大勢のすばらしい者たちには
もう姿を見せぬ
もう動かない —— 低い門前に馬車が止まるのに気づいても
もう動かない —— 皇帝が靴ぬぐいの上にひざまづいても
私は知っている
魂は大勢の中からひとりを選び ——
選んだら—— 関心の蓋を閉じる
まるで石のように——
魂が選ぶ「ひとつのもの」とは何か。
3連から考えると、
I’ve known her — from an ample nation —
Choose One —
nationからひとつを選ぶとあるので、
つまり魂が選ぶのはひとつのnationである、ということができます。
nationとは、
国民……あるいは、国家。
続いて1連を見てみましょう。
The Soul selects her own Society —
魂は自分自身のsocietyを選ぶ。
society、ということは社会?…しかしsocietyには人付き合いという意味もある。
societyとはつまり、
人付き合い……あるいは、社会。
さて、ここまでくると冒頭の問いはこう言い換えたほうがいいかもしれません。
魂が選ぶのは人か、それとも場所か。
数日来、この問題についてあれこれ悩んでいるうちに、僕自身の経験の中でこれは魂が選んだなあ、と思えるものは何だろうと考えるようになりました。
たとえば、生まれ育った故郷や家族。これは大切ではあるけれど、選んで生まれてきたわけではないから、そういう感じはしない。
なら、「友達」はどうか。これは確かに自分で選んで付き合っている。けれど、魂が選んだというほど確信をもっていえる強い絆となると、…「親友」?
そういえば高校生のころ、仲のいい友達のことを冗談まじりにソウルメイト(soulmate)と呼んでいたことがあったな…
そんな回想にもふけりつつ、societyという言葉について調べてみると、
語源はラテン語の「socius(ソキウス)」。
意味は「仲間」、「友」、「結び付けられた」……。
語源的には、もともと主に人をさしていたようですね。
しかし今や、societyと聞くと真っ先に社会という訳語が浮かんできてしまうくらい、僕らはそれを場所として認識している。
これはいったいどういうわけなんだろう。
たとえば、自分がいいなと思う人を選ぶ。選んで付き合っているうちに絆が生まれ、だんだんその人と一緒にいることが楽しいとか、そういった、自分との関係性も込みで選ぶようになってくる。この関係性の方が僕たちには「場所」として認識されているのではないだろうか。
だとすれば、societyは人のことか場所のことかというのは、実はあまりよい問いのたて方ではないのかもしれない。それは人であり、そこに自分も入っていけるような場所でもある。どちらか一方を切り捨てた瞬間にそれはsocietyではなくなり、たんなる「誰か」や、たんなる「どこか」になってしまう…
と、僕はそんなことが言いたかったし、ディキンソンがsocietyという言葉でいおうとしたのもそういう微妙な、つまり人か場所か、どちらかに決めてしまうとその本質が失われるようなものだという気がするのですが、今の僕にはなんだかこれ以上うまく言えそうにありません。今回の内容を言葉であらわすことはそもそも、今の僕の能力の、限界を超えていたのかもしれません。
それでも最後にひとつだけ付け加えて言うと、僕はこれを書きながら、僕自身の、一人の友のことを思い浮かべていました。
その友人といるときは、「社会というものがまずあって、そこに僕たちが二人で一緒にいる」という感覚ではないんです。「僕たちが一緒にいる、むしろそこから社会(的なもの)が生じてくる」という感じがします。それほど頻繁に会うわけでもないのに、会えばもうそれだけで、僕と彼でしか作り上げることのできない世界がいつの間にか立ち上がっている。
魂が選ぶsocietyとはどんな場所かと言われたら、僕はその条件として、お互いの能力がいかんなく発揮される、お互いの積極的な関与によって成立する、といった条件を挙げることができると思っています。
そういう場所を誰もが必要としているように見えるし、すでに持っている人は、ある程度満足を得て、もうそれ以上に持とうとはしていない。僕にはそう見えるからです。
ノートに書いたまとまりのないメモのようになってしまいましたが、そもそもこれはnoteなんだからたまにはmemoのように使ったっていいじゃないか、と自分を励ましつつ、いつかまた、言えるようになったときのために残しておきます。
ここの解釈はこうじゃないか、このあたりの考えが整理されてないんじゃないか、考えすぎじゃないか、自分はこう思う、ここがポイントだと思う、みなさんの考えも聞いてみたいです。
『THE COMPLETE POEMS OF EMILY DICKINSON』
THOMAS H . JOHNSON, EDITOR
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