もの思う葦
太宰治『もの思う葦』新潮文庫
この本には太宰治の、
エッセイやアフォリズムなど、
短めの文章が多く集められています。
読んだ本、世間の風潮、人間関係、文学論などなど。
さまざまなトピックに、
太宰独自の角度から切りこみ、
ユーモラスで見事な表現に昇華していきます。
特に後半は、爆笑しながら読みました。
太宰の、
語りかけるような文体は小説の外でも健在。
読んでいる間、
人間太宰治がそこにいるように感じられる瞬間が、
何度もありました。
そういう時、
太宰の文章の良さの、
秘密を垣間見るように思うのです。
作家は作品(小説)が全てではないか?
という考えもあると思います。
太宰自身、本の中でそう言っています。
なのに小説以外の文章を書いている。
そのことについても、若干言い訳がましい文章を書き、
しかもその文章がまた抜群に面白い。
作家と作品は、
やはり分かちがたく結びついています。
太宰はその結びつきを、
作品内で巧みに利用するのです。
人の悪口や、攻撃的な文章もたくさんあります。
しかし読んでいていやな気持には全然ならない。むしろ笑ってしまうのはなぜか。
それは、悪意から出た言葉ではないからだ、と僕は思います。
相手を傷つけることが目的ではなく、
それが太宰の譲れない信念の表現だから、面白いのです。
「人間は一本の葦にすぎない。
自然のうちでもっともか弱いもの、
しかしそれは考える葦だ。」
こう言ったのは、
フランスの思想家パスカルでした。
太宰もまた、
「弱さ」を前提に作品をつくっています。
自分の弱さと徹底的に向き合い、
表現のレベルまで高めていく。
そういう人が書いた文章だから、
冷たい言葉の中にも、
どこか人肌の温もりを感じるのかもしれません。
作品が重要だと思いながらも、
人が作家の日記や伝記などを読むのは、
作家もまた、
苦悩する一人の人間であると、
発見するためではないでしょうか。
その人間的苦悩に触れることで、
作家の作品をもっと、
多く、
深く、
読みたくなります。
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