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考える、待つ、断食する

ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』高橋健二訳 新潮文庫

シッダールタとは、釈尊の出家以前の名である。
生に苦しみ出離を求めたシッダールタは、
苦行に苦行を重ねたあげく、
川の流れから時間を超越することによってのみ幸福が得られることを学び、
ついに一切をあるがままに愛する悟りの境地に達する。
成道後の仏陀を賛美するのではなく、
悟りに至るまでの求道者の体験の奥義を探ろうとしたこの作品は、
ヘッセ芸術のひとつの頂点である。

(あらすじより)


『ヘッセの読書術』を図書館で拾い読みしたりしていましたが、
ヘッセの作品をこうして本の形で読んだのは、
今回が初めてです。

「本の形で読んだのは」
というのも曖昧な言い方ですが、
実は、
『少年の日の思い出』
という短編が、
中学の国語教科書に載っていて、
読んだことがあります。

と、
しかし、
この話をするとシッダールタから解脱してしまうのは明らか。

そのうえ長くなりそうなので、
これはまたの機会に譲りましょう。


さて、
『シッダールタ』ですが、
まず、
文章がとても美しい。

たとえば、冒頭を見てみましょう。

家の陰で、小ぶねのかたわら、
川岸の日なたで、サラの木の森の陰で、イチジクの木の陰で、
シッダールタは、バラモンの美しい男の子、若いタカは、
その友でバラモンの子なるゴーヴィンダとともに、
生い立った。

(7ページ)


ざざ、ざざあ、
文体のリズムから遠い昔の、
異国の地をなぜる、
風の音が聞こえてくるようで、
この冒頭で、
掴まれた、と感じました。

読み進めると、
静かで沈潜的な、
仏教の原風景が目の前に、
ありありと立ち現れ、
そうして僕らもシッダールタと一緒に、
世界を見る旅に出る。


ところで、シッダールタはどんな人物なのか。
シッダールタの自己PRを見てみましょう。

「……あなたが学んだこと、成しうることは何ですか」
「私は考えることができます。待つことができます。断食することができます」
「それだけですか」
「それだけだと思います!」

(70ページ)

これは、
実際にシッダールタの就職活動の面接の場面なのだから、
笑ってしまいます。

笑ってしまうけど、
僕はこの小説を読んでいて、
この三つは強いな…
と思いました。

とくに二つ目の、
「待つ」。

シッダールタが出家を思いたち、
それを父親に知らせに行くシーンは、
父親の許しが出るまでひたすら「待ち」の姿勢で、
めちゃくちゃ面白かった。

いや、ふつうあそこまで待てませんよね…
子どもなら、駄々をこねたり、
言葉で説得しようとしたり、
大人でも、どうやらダメそうだと分かると、
「考える」を始めそうなところです。
しかし、
シッダールタは「待つ」。

そうだよな、
待つってそういうことだよな、
としみじみ読みました。

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