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日々の非常口

駆け込んだ商業施設のexitで読了。

アーサー・ビーナード『日々の非常口』新潮文庫

文体からにじみ出るある種のゆるさ、脱力感に癒されながら、最近はこの本を読んでいた。アメリカで生まれ育ち、来日以降、日本語で詩作をはじめた著者のエッセイ集だ。日本語への独特のアンテナをもち、都市を自転車で移動する日々から紡ぎ出される文章は、対象との独特な距離感を生んでいて、そこが面白い。
はじめは単に外国の人が書いた破天荒な文章だから面白いのかと思っていた。だが読んでいるうちに、だんだんとそうではないことに気づく。文体のゆるさとは、言葉の、うわべだけのものではなく、アーサー・ビーナードその人の行動のゆるさに由来している。たとえば第四章、風呂のクジラから、金庫の中をのぞいてみよう。

たまに、宿泊先のホテルの部屋に小さな金庫が備え付けられていることがある。
(中略)
どっちみち、旅行中のぼくの「貴重品」といったら財布とパスポートくらいしかなく、ポケットに入れて持ち歩くので、金庫には用がない。でも毎回、せっかく付いているので、と何かを保管したくなり、バックパックから、例えば森の土産に拾った松ぼっくりを選び、金庫の中にそっとおく。暗証番号を決め、扉を閉めてロック。金庫破りがもしこれを……と夢想しながら。
翌朝、扉を開ける。閉めたときよりもその鋼板が、気持ち分厚く感じられ、中を覗けば松ぼっくりはそのまま、しんとしている。金庫で一晩を過ごしたことで、微妙な孤高さが加味され、大事にまたバックパックに。

p181〜182

こういう自由なふるまいに出る人は貴重で、なかなかいるものではない。と思うと同時に、旅行中のふるまいとしてみると、何だか妙な納得感がある。旅だったら、そういうこともするよな。旅は人を、そういう精神の状態におくよな、というような。

このような、(おそらくは性格と、それから旅人由来の)ふるまいの面白さに加えて、今度は頭の中で、英語と日本語を行ったり来たりする言葉遊び的な面白さもまた、この本の随所で味わえる。そもそもタイトルからして遊んでいる。

日々の非常口

英題は、

EVERYDAY EMERGENCY EXITS

これをカタカナで読むと、

エブリデイ エマージェンシー エグジッツ

まさかの俳句だった。(今気づいた。)

ドアの外に人の気配がする。どれくらい篭っていたのか。用は足したことだし、俺もそろそろ、Exitするとしよう。

毎日が 緊急事態だ 脱出だ

水を流し、一句読んでから出た。

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