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Let my first knowing be of thee—やわらかな光とともに目覚めるとき

Let my first knowing be of thee
With morning’s warming Light —
And my first Fearing, lest Unkonwns
Engulf thee in the night

朝のやわらかい光とともに
はじめて知るのが君で
夜の影にはじめて怯えるのは
未知の何かが口をあけ
君を呑みこんでしまうこと——
どうか、
そのようにさせて下さい


たとえば朝起きて、歯を磨いたり、テレビのスイッチをつけたりする。その前に、柔らかく差し込む朝の光と、そこに照らされた君の姿(あるいは寝顔)を知る。そのことが何よりも最初であってほしい。

たとえば昼を過ごして、夜、ベッドの中で君を失うことを想い、他のことは別にいい、しかしそれだけは本当に怖いと感じる。

そのような日々を私に下さい。

そう、言っているように聞こえました。

この詩は心にスッと入ってきました。ああ、愛だな、と自然に思えるし、素敵だし、ああ、こういう伝え方があるんだなあと大変勉強になります。
(愛の伝え方…僕は大変心もとないです。)

ディキンソンの詩を読んでいると、これを百年以上前の、外国の詩人が書いたのか…と驚かされることがありますが、この詩を読んだときの衝撃はかなり大きかったです。

あるいはどれだけの時代が過ぎ去っても、人間の愛するという気持ち自体にはなんの変わりもないことを、証明しているとも言えるでしょうか。


とはいえ今更なんですが訳している間に、というか、この文章を書いている今になって、
これは恋愛というより神への愛、みたいな解釈もあるんじゃないか(古い英語の二人称代名詞theeや、朝と夜=光と闇の対比表現を使っているあたりが、少しあやしい感じがします)、
または、光と闇の対比にknow(知)とunknown(未知)が重ねられていることを思うと、知能への愛、みたいな解釈もありうるのでは…
そんな疑念が突如として生じ、翻訳の完成を阻む壁として、僕の前に立ちはだかってきたのです。

結果どうしたかといいますと、人への愛をうたった詩であるという全体の解釈はそのままに、

Let A B (AがBするようにさせて)

という一番最初の表現に、神的なニュアンスを読みとることにしました。

どういうことかというと、この英語の文章は、〜させて(下さい)と命令して(頼んで)いるわけです。その頼む相手というのを神様と解釈しました。

考えてみれば、あなたと一緒にいられることを、あなたにお願いする、というのはちょっと間抜けな感じがします。これはやはり、あなたといられることを神様にお願いしていると考えた方がいい。そのほうが、よりロマンチックにもなります。


この詩には色々な日本語を当てはめて翻訳を試してみたのですが、
あなたへの愛を、あなたに向かって語りかけている、と解釈した場合が、原文の簡潔でスッキリとした詩のたたずまいを最もよく表現できていた気がします。

また、朝と夜の対比にknow(知)とunknown(未知)がかかっている問題については、一応日本語訳で「知」と「未知」という文字を登場させたものの、解釈をつくれていないので納得する表現には結実しませんでした…(これは読解力、想像力の問題ですね)

僕の理想としては、たとえば今回のように3つ解釈がある場合には、その1つを基本的には採用しつつ、残り2つの解釈から得られるニュアンスを取り入れて訳文を盛り上げる、ということをやりたかったので(いつもそのようにしたい、というわけではありませんが今回は…)、

まだまだ精進が足りないな、と思う今日この頃です。

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