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I died for Beauty — チ。—


I died for Beauty — but was scarce
Adjusted in the Tomb 
When One who died for Truth, was lain
In an adjoining Room —

He questioned softly “Why I failed ” ?
“For Beauty” , I replied —
“And I  — for Truth — Themself are One — 
 We Brethren , are ” , He said —

And so, as Kinsmen, met a Night — 
We talked between the Rooms —
Until the Moss had reached our lips —
And covered up — our names —


私は美のために死んだ
ところが墓に落ちつくやいなや
すぐ隣の部屋に
真実のために死んだ人が横たえられた

「どうして私は落ちてきたんだろう」彼はそっと問いかけた
「美のために」と、私は答えた
「なるほど、では ——
   私は真実のために ——
   二つは一つ —— 
   兄弟だよ、私たちは」

ある日の夜 ——
私たちは同胞として出会い、
部屋の間で語り合った
やがて苔が唇まで達し ——
私たちの名を ——
おおいつくすまで ——



6月末に発売された『チ。ー地球の運動についてー』(作・画 魚豊 小学館)
の8巻、
最終集を読みました。

線と言葉に込められた途方もない熱量に圧倒され、久しぶりに夢中になれたマンガです。


言葉としてまだうまく感想がまとめられないのですが、
とにかく感覚的に思ったのは、

ああ、こういう生き方っていいな。

ということでした。

物語には「地動説」を信じ、命をかけた人たちの生き様が描かれています。

フベルト、
ラファウ、
バデーニ、
オクジー、
ヨレンタ、

彼らはみな、何かのために生きていた。

「美」…

「真実」…

そのためにならじぶんの命を投げ打ってもいいと思えるほどの、
何かのために。

…いや、しかし考えてみると、それは地動説だけじゃない。

この物語には、地動説と反対の立場をとる人もいました。
弾圧する人もいました。

ピャストやノヴァク。

それにもかかわらず、彼らもまた、自分の人生を自分のために生きていないという印象の点では、僕にはやはり同じに思えたのです。


一日中好きなだけ眠っても、
美味しいものを食べても、
誰かと遊びに出かけても。

やはりそれだけでは、
つまり、
ただ「生きる」というだけでは、
やはり僕はこのままどこまで行っても満足はしないだろう。

自分の生活に対して、僕は最近そんな風に思いはじめていました。
そんなことは分かっていた。

そして『チ。』を読んで、
魂を揺さぶられたあとでは、
もはやそんな状態に、いてもたってもいられなくなった。

そして僕は、
とにかく何かがしたい。その一心で、
気付けばペンを握りしめ、
ディキンソンの、この詩を訳していたのです。

(たぶん続く…)


『THE COMPLETE POEMS OF EMILY DICKINSON』
THOMAS H . JOHNSON, EDITOR

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