『恋はデジャ•ブ』を観ると絵本『100万回生きたねこ』を思い出す
ドラマ・映画好きなキャリアコンサルタントxyzです。
今回は、わたしの大好きな俳優さん、ビル・マーレー主演のラブコメディー『恋はデジャ・ブ』という映画をご紹介します。
ビル・マーレーは以前こちらでも取り上げた映画『おつむて・ん・て・んクリニック』(邦題のセンスな……)で精神科医泣かせのお騒がせ患者役を演じていた人です。
(ゴーストバスターズの人、と言った方が伝わるのかな。)
『恋はデジャ•ブ』の原題は『Groundhog Day』、アメリカの早春の恒例行事の名称です。
またしても、邦題のセンス……。おい!なぜそこに「恋」を入れる?タイトルに恋や愛のつかないラブストーリーがあってもいいでしょ?安易にその辺の言葉使うと急に陳腐な響きになるからホントやめて……。
春の訪れを占う日
題名の、Groundhog Day。この日は、日本で言うと啓蟄でしょうか。長い冬から春へと、生き物が動き始める時です。
Groundhogとは動物で、ウッドチャックという、もぐらのようなねずみのような小動物です。
グラウンドホッグデーのイベントはこんな感じです。
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この春の訪れを占う有名なウッドチャックの名前は、奇しくもこの映画の主人公と同じフィル!w
(このウッドチャックの正式な名前はPunxsutawney Philといいます)
長い冬の始まり
さて、この映画の主人公、人気テレビキャスター兼気象予報士フィル・コナーズ(ビル・マーレー)は、グラウンドホッグデーの取材で、ペンシルバニア州の田舎町パンクスタウニーに行きます。
ニューヨークのフィルがパンクスタウニーのフィル(ウッドチャック)を取材w
この毎年恒例行事の取材、フィルはやる気ゼロ。退屈で面白くない、と仏頂面でやっつけ仕事モード。なんでこのオレ様がこんな仕事を?という態度。
フィルの仕事仲間で番組ディレクターのリタ(アンディ・マクダウェル)とカメラマンのラリーは、取材中ずっと文句たらたらのフィルを持て余し気味です。取材クルー三人だけなのに雰囲気悪い悪い……二人はフィルのことあんまり好きじゃないと思うw(仕事仲間だから仕方なく付き合ってる感じがすごく出てます)
取材を終えて日帰りするはずが、午後からの突然の大雪で道が封鎖されてしまい、NYに帰ることができず、田舎町にもう一泊する羽目に。早くNYに戻りたがっていたフィルはますます不機嫌に。
(本当に何もない田舎町なんですよ……だからフィルの気持ちもまぁわかりますが)
そして、翌朝目を覚ましてみると、何かがおかしい。偶然なのか、なぜか昨日と同じことが起こる……全く同じことが。初めは何が何だかわからなかったフィルも、広場で昨日と同じグラウンドホッグデーのイベントを開催しているのを見て、ある恐ろしいことに気がつきます。
今日も、2月2日、グラウンドホッグデーだということ。つまり、昨日を繰り返している。
そして、さらに恐ろしいことに、2月2日は延々と繰り返されるのです。次の日も、その次の日も、またその次の日も……!
そう、2月2日の無限ループです!
しかもこの摩訶不思議なループ現象を認識しているのはフィルだけで。
タイムループ
ループとは、輪/環のこと。
タイムループものとは物語の中で登場人物が同じ期間を何度も繰り返すような設定を持つ作品です。
タイムループは広い意味でタイムトラベル(リープ/ワープ)ものですが、タイムトラベルは大きく2タイプに分かれるのではないでしょうか。
①問題解決型
②巻き込まれ型
①時空を移動する能力があり(あるいはひょんなことからそのことに気付き)その能力を自覚的に、自在に使うことができる。
②不可抗力で時空を移動してしまう。本人の意思に関わらず起こり、またなぜそうなるのかわからない。
この『恋はデジャブ』はまさに②の巻き込まれ型。
ある朝起きてみたら、突然昨日が繰り返される世界線になっていた。
さて、フィルはどうするのか。このタイムループに対峙していくなかで自分を見つめ直す様子がコメディタッチで描かれていきます。
終わらない冬
同じ一日を何度も繰り返し経験しているので、その日に起こる出来事をすべて熟知してしまうフィル。
なぜ同じ日を繰り返すのか。
初めは色々と原因やトリガーを探そうとしますが皆目見当がつかないので早々に諦めます。
退屈な街で、退屈な人々と、何も変わらない一日の繰り返し。
絶望したフィルは、自暴自棄の果てに悪巧みをして警察のお世話になったり、あらゆる方法で死のうとしたり、取材嫌さにウッドチャックを誘拐したり(!)しますが、朝になるとまた何事もなくwペンションのベッドで目覚める……n回目の2月2日が始まる、つまり生きてる、そして何も変わっていないのです。(誘拐したはずのウッドチャックも、ちゃんと箱の中に戻っていた……)
死ぬこともできず、2月2日にリセットされる無限ループにのみこまれたフィル。
この終わりない悲劇を逆手に取って、フィルはある事を始めます。
それは、仕事仲間のリタを口説くこと!
リタ、仕事もできて知的で美人ですからね。
しかし単なる仕事仲間の(そして性格の悪い)フィルに見向きもしないリタ。
でも、フィルは諦めません。同じ日を繰り返しているから、時間ならいくらでもある。リタのことを知って、姑息な手段を使ってでもリタ好みの男になろうと頑張るフィルw
このループによってフィルには知識や経験が蓄積されていくのだけれど、一方でループを認識していない周囲はそうではないことがわかります。
フィル以外の全員は朝になると2月2日朝の状態にリセットされてしまうので、リタとのどんなに素敵な思い出や記憶もフィルの心の中にしか残っていないという……。虚しい……。
実際、少しずつリタのことを調べ上げて彼女の歓心をかうまではいくのですが、せっかくリタと親密になって盛り上がっても、朝になるとまたいつも通りフィルには塩対応な、以前のリタに戻っています。
(その事実に気がついた時のフィルの落胆ぶりといったら!)
リタとの仲もまた初めからやり直しです。
功を急ぎすぎるあまり、いろいろズルをしたり。リタへのアプローチが早すぎたりして、かえってリタに怪しまれて振られることも何連続かあり(その度にリタに平手打ちされるフィル……8回連続平手打ち……)。
長い冬を楽しむ
やがて、リタに好かれることだけ考えるのではなく、他のことに目を向け出したことから、徐々にフィルに変化が生まれます。
あるできごと(ネタバレ回避のためぼかします)をきっかけに、初めてフィルは自分ごと以外のことで、タイムループで蓄積した知識や経験を活用し、運命を変えようと奮闘します。
他人を救うことにささやかな喜びを覚えるようになったフィル。その善行の積み重ねからフィルに対する周囲の目も変わってきます。
さらにフィルは、本を読み(リタを口説く目的ではなく!)、ピアノを習い始め、いろいろなことに挑戦し始めます。何も変わらない日常のなかで、フィルは成長し、変わっていきます。
どうせなら一日を有意義に、楽しく過ごしたい。
ポジティブな気持ちになってから、フィルは一日を目一杯楽しむようになります。
タイムループの現実を受け入れ、むしろ逆手にとって、そんな日々を他人のためと自分磨きに費やすようになります。
「どうせ、また同じ一日が繰り返される」と思うのではなく、一日一日を大切に生きる。
n回目の2月2日で、フィルは街の人々に愛される、とても多才で魅力的な人になっていました。
全くのピアノ初心者だったフィルが、ラフマニノフをロマンティックに弾けるようになるのです!!!
人はこんなにも変わるものなのです!
リタも、知らなかったフィルの一面(タイムループ後に習得したあれこれ)を知って、次第にフィルに好意を寄せるようになり……。
さてフィルの長かった冬は終わり、春はやってくるのでしょうか?
無事にグラウンドホッグデーは明けるのでしょうか?
(どんなハッピーエンドになるかは、是非映画をご覧になってみてくださいね^^)
明日が来るのは、当たり前?
フィルがポジティブに覚醒する前の出来事。
無限ループから抜け出せず悪あがきしていたフィルは、バーで中年二人組のおじさんとお酒を飲みます。
フィルは二人に尋ねます。
変わり映えしない毎日。
この中年二人組は、フィルのように無限タイムループ現象に陥っているわけではないけれど、ある意味(比喩的な意味での)無限ループの日常を生きている……切ない。
自嘲的な口調に人生に対する諦めやその日暮らしの哀愁も感じます。
(しかしそんな二人組に心配されたフィルは、有名な【コップに半分入った水をどうとらえるか】話で、二人から元気出せよ的に陽気に慰められるっていうw その後この二人、フィルと関わったばかりに悲劇に襲われます><)
わたしたちは、当たり前のように明日が来ると信じて生きています。
フィルのように、同じ一日を繰り返すようなタイムループはあり得ないでしょうがwいきなり命が終わるという形で「明日が来ない」ことは誰にでも十分あり得ることです。
明日が来ると思って先々の予定を立てているけれど、実は今この瞬間ほどに明日は確かなものではないのです。一瞬先は闇、です。
未だ来ない、と書いて未来。そう、来ないかもしれないのが未来。
明日が来ることは当たり前ではない、大変有り難いことで。明日が来るとあぐらをかいていることは実はとても傲慢で恐れ知らずなことなのかもしれません。
明日は来ないかもしれない、という気持ちで今日という一日をありがたく生きる。
今日という日は、たくさんの可能性を秘めた一日で、自分を変えることもできる、そんな特別な一日になりえるのです。
どんな一日にするか、どう過ごすかは自分次第。ただ漫然と無為に過ごしてしまったら本当にもったいない。
人はいつからでも変われる!周りは変えられなくても自分は変えられる!と勇気をもらえる映画です。
フィルがリタに言ったセリフです。
なんて素敵な言葉!
こんな気持ちで時を過ごせたら、そんな瞬間の、一日の、日々の積み重ねが、後悔のない人生になるのだと思います。
絵本『100万回生きたねこ』
さて、よく知られた絵本に『100万回生きたねこ』があります。
読んだことある方、読み聞かせしたことのある方も多くいらっしゃるでしょう。
主人公のねこは不死身の猫。100万回死んでも、100万回も生きたのです。どの飼い主もとてもねこを愛してくれたけれど、ねこは飼い主を全く愛していなかったので、別れが来ても寂しいと感じたことがなく、泣いたこともありませんでした。
しかし、野良猫に生まれ変わったねこは、初めて好きな相手白ネコに出会い、やがて彼女と家族を持ち、一緒に老い、彼女が先に息を引き取りました。その時初めてねこは、別れに悲しみ泣きました。ねこはさんざん泣き明かした後白ネコを追うように死んでしまいます。そして二度と生き返ることはありませんでした。
ねこは白ネコとの出会いと別れを経験して、百万回も続いていた生存ループが終わってしまいました。
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『恋はデジャ・ブ』を観て、この絵本のことをなぜか急に思い出したのです。
愛されるのが当たり前、自分のことばかりだったねこが、初めて自分以外の存在を大切に思い、相手を愛する気持ちを知った後、ねこの無限生存ループが終わり。
フィルも自己中でわがままでズルくて傲慢で……自分のことばかり考えていた時は無限タイムループから抜け出せずにいたけれど、自分以外の存在に目を向け、他者を尊重するようになり、リタと思いが通じ合って、フィルの無限2月2日ループが終わり。
ねことフィル、二者に共通するのは「他者への関心、尊重」つまり「利他の心」が芽生えたことで、無限タイムループの呪いを解けたこと。
慈しみの心がループ脱却の鍵🗝だったのかもしれません。
生きとし生けるものは……
仏教の教えの言葉だそうです。
この後も文は続くのですが、他者への慈しみの心を説いています。
命はさまざまなご縁によって生かされていて、決してひとりで生きることはできません。
たったひとりで生きていると思っていても、自分の知らないところでさまざまな形で多くの恩恵に与り、支えられて生きているものです。
「縁」は「関係性」と読み換えることができます。
人は有限の時間を、さまざまな関係性のなかで生きているのです。
とかく自己中心的になりがちなわたしたちではありますが、慈しみの心=利他の心を大切に、今日という一日を、今この瞬間を、後悔なく生きたい。
この『恋はデジャ・ブ』を観ると、そんな前向きな気持ちになれます。
まるでタイムループかのように退屈な毎日の繰り返し……と思っている全ての年代の人や、他人との関係性にちょっと疲れてしまった人、また個人的には特に中年の危機(by ユング)の渦中にある人には、是非この映画を見てもらえたらなぁと思います。
最後に、映画のラストシーン近くでフィルがリタに言ったセリフを。
こんな素敵なことをさらっと言えるようになったフィル、いい男になりました!
(とっても素晴らしい意訳だなと思った字幕の訳だったので、直訳にはせずそのまま出しますね)
さぁ、あなたもわたしも、今日という日を楽しみましょう!!
最後までお読みいただきありがとうございました^^