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多様性が大事だって言いながらも、人は自分と違った人を潰す世界観の中に今も生きている
「#BlackLivesMatter」
このハッシュタグが上位表示されるようになってから、僕は何事だろうと思ってすぐに調べた。
何が起こったのかはその時はわからなかったが、調べると以下のような経緯ようだ。
①黒人のジョージフロイドさんが紙幣を偽造した疑いがあった→②白人警察官が紙幣を偽造した疑いでフロイドさんを取り押さえた→③フロイドさんはその場で手錠をかけられ、警官の膝で首を押さえつけられた→④「息ができない」と主張するも、約8分以上そのままの状態→⑤反応がなくなり、病院に運ばれた後死亡。
ざっとまとめると、以上の通りだと認識している。
どこまでが真実で、どこまで合っているかはわからないが、以上の過程であることを前提に考えてみたい。
まず、①偽札を作ったことが本当なのであれば、それは法律に抵触する行為であるので、拘束されても仕方ないであろう。問題はその先であり、罪に対する罰が重すぎるし、この行為自体に理解ができない。
正直やりすぎなのではないかと思っている。8分も首元を押さえておく理由もないし、そうすると人間は死ぬとわかっていたはずである。
何を思って白人警察官はこのような行動に出たのかはわからない。結果的にこれは黒人差別を再沸させることに繋がった。
各地でデモが起き、抗議する文章がTwitterで飛び交い、NIKEなどの有名企業までもコメントを発した。その結果、今回のようなことが二度とあってはならないと、人間は反省する。ように見える。
人間は数日たったら忘れる生き物
起こるたびにこのようなデモを起こし、世界中に提言するのは全然問題ないような気がする。でも悲しいかな。人間は数日経てば記憶が薄れていき、1ヶ月もすると記憶の彼方へと旅たってしまうのだ。
そして忘れた頃に、再度似たような事件が起き、そしてデモの繰り返し。その点全然学ばない生き物だと最近すごく思う。
およそ70年前、黒人バスボイコット事件(簡単にいうと当時は黒人を規制する隔離政策があり、それに抗議した事件)が起こり、隔離政策は撤廃されたものの、いまだに残っている根強い問題。
たとえ法律が撤廃され、改正され、制度が整っていたとしても、なぜなくならないのだろう。
自分の中では根底にそういった意識があるのが、一番の問題ではないのかなと最近は思う。
どこか自分と違うものを受け入れることができない、自分と変わっているものは排除する。姿形の違うものに対する嫌悪感、考えたくはないがそういった思想が脳に流れているのかもしれない。
こういう問題が起きるたびに、人類は平和への足踏みをやめ、後退を余儀なくしてしまっているようなそんな気がするのだ。そもそも許容する気がないのかとも思っている自分がいる。
真に多様性を実現するために、世界中で起きている自分たちとは違う異人を叩き落とす文化をなくすために、今こそ全体最適を考えるべきである。少なくとも自分が生きているうちに、実行可能なものを作って役目を終えたいと今は思う。
「Be the light」
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