見出し画像

「打っては返すある種の波のような人混みで揉まれ、抗っては漂流する自分という存在」

すべきことを一通り片付けることができたゆえ、珈琲の香りに包まれたユートピアへと出向くべく、まるで中学校の入学式に出向くような心持ちで外へ飛び出した。

そういえば今日は祝日だった。そんなことを出た後になって思い出した。

だけど自分にとっては思い出したところで関係ないから、忘却という名の捨て箱へその突出してきた記憶を捨て去った。

お気に入りの炭酸水を片手に、いつも通り最寄駅を目指す。乗車時間は決まっていないが、発車3分前になってから焦って爆走し、時間ぴったりに着いた電車に飛び乗るのは毎度お決まりのことだ。

いつものように息切れをして、炭酸水を摂取しながら、体の中が酸素と水で混沌となりゆく過程を無心で経験する。そしてそれが落ち着くのを、時間という絶対神に委託して目的地を目指す。あぁ神よ、学習しない私をどうか許したまえ。


そうこうしているうちにみなとみらいに着いた。そういえばお昼を食べてなかったのを思い出したので、近くの立ち食い寿司屋で海鮮丼の持ち帰りをすることにした。

食事にかける時間は1日30分と決めているので、お気に入りの曲を聞きながら体の中に忙しなくかきこんでいく。あぁ自分は、海で泳いで鍛えた魚たちを口にして、生命の回復の儀式を行っているのだと感謝しつつ、時間の焦りと葛藤しながら米と魚を食べ続けていく。

食べ終わったのでごみをまとめて移動を再開した。所要時間は3分だった。


駅が地下にあるので、地上に向かって足を運ぶ。出た瞬間に驚いたのは、人が波を打っていることだ。

つまり、人という人が忙しなく歩みを繰り返している。そうか、今日は祝日だからか。ここで忘却という名の捨て箱に捨てたものをもう一度拾い上げることになるとは思わなかった。

人混みという波を世界の端っこでその様子をずっと眺めているのは好きなのだが、それを極力体感したくはない。けれどその波に漂流する側に乗るか、自分がその波に争ってでも行きたい側になるか。それを理解した上で体感するだけなら、この海に身を投げる価値がある。

今回は抗うことを決めた。世間体と健康のことを気にするならば、避けた方が良かったのかもしれないが、そうこう言っている場合でもない。珈琲を飲むという目的でこの地に降り立った以上、選択肢が他にあるわけはない。

代償となるのは神経と体力を使うことだ。疲労感に苛まれたことから、目的地に着いて2時間ほど珈琲を飲んで会話を交わし、今度は流れるままに漂流しながら、自宅への帰路を辿ることにした。そんな一日であった。

いただいた費用は書籍に使わせていただきます!