29歳になって思ったこと
「20歳になんてなりたくない」
そう言って死ぬことしか考えていなかった、18歳の夏。メンヘラを拗らせてあの頃の憧れだった人は、なりたかった人は、会いたかった人は南条あやさんだった。10年経ったいまも南条あやさんはきれいな憧れのまま、29歳のあたしの中に残っている。どうして南条さんだったのかも、なにがきっかけだったのかいまはもう忘れてしまったけども。
あの頃のあたしは、生きたくなかった。ただそれだけ。
そして、気付いたら20歳を随分と過ぎてしまっていて、そんな気持ちなんて忘れてしまっていたのに26歳27歳の頃も「30歳にはなりたくないから死にたい」なんて言ってたっけ。それがもう30歳が目の前。そんな時間経っていたの、なんて。
あたし、どうして死にたかったんだろ。
どんな気持ちで泣いていたんだろう。
どんな気持ちで薬飲んで記憶なくしてたんだろう。
どんな気持ちで腕、切っていたんだろう。
どんな気持ちで夜を過ごして朝になるのを待っていたんだろう。
どんな気持ちで生きていたんだろう。
いまとなってはもう忘れてしまったけども、あの頃は生きるだけで必死だった。明日なんて来なければいいと思っていた。生きていることが怖かった。消えたかった。誰もあたしのこと知らない世界に行きたかった。誰の目にも映らない人間になりたかった。
覚えてることは、深夜に泣きながら家族にバレないように腕切っていたことだけ。いまでも思い出すと胸が苦しくなる。だから思い出さないようにしていたのかもしれない。
どうしてこんな内容の物を書こうと思ったのか、自分でもわからない。でも、30歳を前にして死にたいと思うことがなくなっていた。いま振り返ってもあんなにひどかったのに、いま生きたい。30歳にはなりたくないけど。
傷ついて死にたいくらい悲しむのは、2017年で終わりにした。いいことなんて本当に少ない。人生に期待なんてしていない。でも、頑張らなくなってしまったら無になってしまう。そんなのつまらない。
だからこそ、引き寄せと出会って変わった自分をたくさん褒めてあげたい。引き寄せになにも感じていなかったら、いまもネガティヴな性格のままだったのかもしれない。まだ、南条あやさんに憧れていたのかもしれない。
あの頃に出会った大切な友達がくれた言葉。もう10年以上も経っているんだなって思うとなんとも言えない気持ちになってしまうけど、この言葉があったから生きて来られたと思っている。いまはもうなくても生きていけるからご紹介。
「人間生きていればなんとかなる」その通りなんだけども、絶対あの頃に言われていたらむかついていたと思う。でもそうなんだよね。死んでしまったら終わりだもの。生きているから大好きな人とも出会えたし、早く結婚したいなんて気持ちにもなれているし、大好きな物も増えた。
死ぬタイミングなんて、自分で選択すればいいんだよ。死にたいならそれでいいと思う。でも、見放すわけでもない。自分の、あなたの命なんだもん。他の誰でもない、自分の。これ、妹にSNSで言われた言葉なんですけどもその通りだと思う。
無理と思ったら周囲のことなんて気にせず休んでいいんだよ。たまにはズルしてもいいと思う。でも、限界と思ったら死んでもいいと思う。「生きてればなんとかなる」って書いたけども、結局は自分で決めることだと思う。
でも、そのタイミングだけは間違わないでほしいなといま29歳になった柳瀬は思います。あたしはタイミングを間違えなかったから、いま生きててよかったと素直に思えます。いま元気に生きていてよかったって心の底から本気で思います。
だから大人になった柳瀬からはこの言葉を捧げたいです。
「絶対に選択だけは間違わないで」