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無理にキャラ作ったって、誰も幸せにならない

「自分を偽らない」ということは、とても大切だなあとつくづく思う。

INFJ的な能力なのか、ただ繊細なだけなのかは分からないが、私は無理にキャラを作っている人は何となく分かるし、そういった人を見ると、「うわあ、この人めっちゃ無理してるんじゃない…?大丈夫…?」といらぬ心配をしてしまうというか、心がざわつく。声や表情だけでなくても、文章とかからも感じ取ってしまう(むしろ文章の方が感じ取りやすいかも?)。

自分を偽って、全く違うキャラの仮面を被ることは誰も幸せにしない。

他人からしたら、その偽りのキャラ=貴方という認識をしてしまうし、私みたいに勝手に何か感じ取る人にとっては「本当のこの人はどんな人なのか分からない」と思ってしまうので、警戒されてしまうかもしれない。

そして自分も、本来の自分と乖離したキャラを演じることで相当消耗するだろうし、「他人はそのキャラ=私と思っている」と思っているので(ややこしい)、承認欲求も満たされず、本当の自分を誰も分かってくれないという負のループに陥る。

ほら、誰も幸せにならない。

なら、どうしたらいいんだろう。
手当たり次第に本当の自分をさらけ出せばいいのだろうか。
多分それも違う。

というか、私は『本当の自分』というものは存在しないように思う。
家族と居るときの自分や、友人と遊んでいるときの自分や、職場での自分がそれぞれ違うように、「『私』という存在は人との間で発生するもの」なので、仮面自体は必要なものだと思うのだ。(ユングのペルソナについて勉強してみようかな…)

なので、理想は『因数分解した自分(※)を核にした仮面』を持ち、それぞれにおいて理解者がいることかな、と思う。※過去記事参照

かなり抽象的な感じになってしまって申し訳ないが、分かりやすくいうと、言いたい放題ワガママを言って甘えられる家族や恋人がいて、趣味の話で一緒に盛り上がれる友達がいて、志を同じくする同僚と共に仕事をする、といった感じだ。
無理にキャラを作るのと何が違うのかというと、どの仮面も「貴方を構成する要素」をベースにして作られているので、それほどエネルギーを必要としないし、気楽だ。さらに、行動にも一貫性が生まれると思うので、よっぽど変なことをしなければ、他人からも信頼されることになると思う。皆ハッピーだ。

何事もゼロから1を生み出すのはとてもシンドイから、自分の持っているものを使って生きていけばいい。
だから自分を偽らず、自然体で生きていこう。


梨女(@xxnashimexx)



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梨女
ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。