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[読書日記]ゲーテはすべてを言った/鈴木結生

”高明なゲーテ学者、博把統一は、一家団欒のディナーで、彼の知らないゲーテの名言と出会う。
ティー・バッグのタグに書かれたその言葉を求めて、膨大な原典を読み漁り、長年の研究生活の記憶を辿るが……。
ひとつの言葉を巡る統一の旅は、創作とは何か、学問とは何か、という深遠な問いを投げかけながら、読者を思いがけない明るみへ誘う。
若き才能が描き出す、アカデミック冒険譚!”

衒学的と評されるだけあって、数々の引用に圧倒される。お話しとしてはとても単純なちょっとしたミステリー。
言葉探しをして、いろんな人と会話し、突然関係ない事件が起こったり、最後には思わぬ人がキーマンになっていてはるばるドイツにまで渡ったり、みたいな。

その道中に置かれた引用引用また引用に本当に圧倒されるけど、伝えたいことは結局なんだったのかな、と考える。教養の薄い一般読者の自分にはなかなか難易度の高い作品のように感じたけど、結局は愛がすべてを繋ぎとめてくれる、それを言葉にして言いたかっただけのように感じた。そう考えると、とても思慮深く、恥ずかしがり屋で奥手なラブレターのようにも感じられた。
主人公の奥さん、義子(あきこ、登場人物の名前が読みづらいのも文章が読みづらくなる要因の一つだと思う)が最初に作ったテラリウムが、主人公統一(とういち)が最初にプレゼントした書物をイメージしたものだったことだったり、統一は本当に義子が好きなんだな、と感じた。
でも家には聖歌やクラシック音楽が流れ、娘との会話が学術的というか教養高いのにはまるで別世界の家族を見ているみたいであんまり親近感は抱けなかったかな。

統一の先生であり義父の芸亭學(うんてい まなぶ、これまた慣れるまで読み方を毎回前のページに戻って確認してた)の言葉が印象的だった。

今はね、きつい時期なんだ。結構退屈でさぁ。でも、もうすぐ福音書と思って頑張ってる。つまらないと思っているところはね、大体自分が理解できていないだけで、色々知ると面白くなってくるものなんだ。でもやっぱりつまらないと筆が乗らなくて。だからといって、楽しいから日に何章もやるってのは駄目ね。それは一周目の時によく分かった

引用が多くてよく分からない人がいるであろう本書に対して自己言及している、つまりよく分からないと思うけど分かると面白いからまあ読んでみてよ、と言われているような気がした。
同じく學の言葉からもう一つ。

...やはり、僕は言葉の方が性に合う。何かと刹那的な感覚に辟易している世代だから、不変的な、それでいて普遍的なものが欲しいんですね。そして、結局、僕には祈りしかなかったんだよ。つまり、今自分が語っている限界のある言葉を、聖霊が翻訳して、神に届けてくれる。それによって、何はともあれ、すべてやがてよしとなる、と信じること。もしかしたら、あらゆる言葉は何らかの形で祈りになろうとしている、ともいえるかもしれない、とこう思うんだね......

深い意味は分からないけど、あらゆる言葉は祈りで、こうあって欲しいとかこうなって欲しいみたいな願望が言葉になっている、みたいな考え方で、それがそのうち実現する、言霊信仰みたいな考え方なのかな、と解釈。なんとなくいいな、と感じる。
関係ない話しだけど、「がんばれ」って無責任な言葉に感じることもあるけど、「がんばれ」って祈るようにそう言葉にするしかない時ってあるよな、と最近思うようになったり。
閑話休題。

名前、漢字の使い方(本書では「スマホ」が「済補」と書かれていたり「結局」と書けばいいところを「畢竟」と書いていたりとにかく普段使わないような漢字が多い)、古典の引用や教養がないと難しい話し(自分が分かったのは漱石の猫の迷亭の話しくらい)、などなど読みづらさをあげたらキリがないような作品だけど、こんな芥川賞作品もあるのだなと面白く読めたし、やっぱりこれは普遍的な愛を言葉にして作品にして作り上げたかったのかなと思った。自分に教養があれば、もしかしたらこの作品がなんらかの作品に影響を受けている、みたいなことも言えたのかもしれないと思うと古典も読みたくなってくる。
著者の鈴木結生さんはインタビューで「クラシックというものは時の精査を経ているわけだから、値段以上の価値があります。」と言っている。

けれど僕達の時間は有限で、読める数には限りがある。僕は今の作品を読んでいたい。
それに本書を読んだことでゲーテに関する知識が少しついたし。
実際同インタビューでは続けて「でも、今の本も読んでほしい。現代作家の作品を読む喜びは、自分と同じ世代にこういうことを考えている人がいるんだという発見。時代をともに生きている喜びを感じてほしいですね」とも言っているし。

同じ回に芥川賞を受賞した「DTOPIA」に比べると、今の感じをグロテスクに表現したのが「DTOPIA」で、今の時代も変わらないこと、昔から続いていて今も普遍的で不変的なことを書こうとしたのが「ゲーテはすべてを言った」なのかな、と両方を読んで思いました。

自分でみつけたわけじゃないけど、この本の表紙や見開きにはマゼンタ、シアン、イエローが使われていて、これは光の三原色でゲーテの色彩論からきているのではないか、という考察がされていたり、あとこれは自分独自の考えなのですが最後のページはマゼンタで締められていてやっぱり愛を表すような色だからなんじゃないかな、とか思ったり。

あと最後に。読み直すとこれは綴喜(つづき)が書いたんだな、と思うとエッカーマンをやらせたかったのか、とか思ったりするし、徳歌と綴喜の馴れ初めは耳をすませばのオマージュだろ、とか思ったり、バーラーで取り出した色の話しでアンミカが出てきたり小ネタも沢山あるっぽい。
読んでみるとこれ見たことあるシーンだな、みたいなものも沢山ありそう。

そんなところで今回の読書日記は筆を置こうかなと思います。


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