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摂食障害と向き合う/無理しないで生きるには

ご覧いただきありがとうございます。

皆さんはどのようにしてこの記事にたどり着いたのでしょうか?
少しでも私に興味を持ってくださったのでしたら大変嬉しく思います。

この記事では私の自己紹介とnoteをはじめるに至った理由などをお話ししたいと思います。
少しでも興味を持っていただけたり、なにか参考になることがあれば幸いです。


自己紹介

はじめまして。
「とと」と言います。
ざっくりと自分にとって大きな変化となった年をまとめておきます。

  • 2012年 摂食障害を発症し、寛解と憎悪を繰り返す

  • 2016年 社会人になり、ひとり暮らしを始める

  • 2019年 グルテンフリーやプラントベースの食事を意識し始める

  • 2021年 環境に配慮された製品を使用することを心がけるようになる

  • 2024年 摂食障害から徐々に解放される

摂食障害や一人暮らし、社会人生活、コロナ禍など、環境や心境が大きく変わっていく中で、「暮らし」を見つめ直すきっかけがたくさんありました。

自分にとって本当に必要なものはなにか
今まで当たり前のように使っていたものは、本当に必要だったのか

自分の身体にとって、環境にとって、なにが大切なのかを考え、調べるようになりました。
当たり前だったことが当たり前ではなくなって、1日1日が特別であることを知って、未来をより良いものにするために限りある時間を精一杯過ごす。
そんな気持ちをこれからも忘れないために、日々の暮らしを記録していきたい。
もしかしたら自分の境遇や何気ない暮らしの中には、他の人にとって有益な情報が埋もれているかもしれない。
そういうわけで、noteをはじめてみることにしました。
自分の記録用として日々の暮らしを綴っていく中で、なにか参考になるものが見つかれば嬉しいなと思っています。

摂食障害について

きっかけはおそらく高校3年生のときの人間関係や大学受験のストレス。
私の場合は過食嘔吐が主で、ストレスで異常なほどたくさん食べては罪悪感と太る恐怖に押しつぶされて、トイレにこもって嘔吐するようになりました。

摂食障害は拒食症と過食症に分かれます。
おそらく多くの方が耳にするのは拒食症の方ではないでしょうか?
実際、拒食症の方が身体が痩せていくので周囲からも気づかれやすいと思います。
過食症は過食だけのタイプと過食と嘔吐がセットのタイプがあって、私は後者。
過食嘔吐の場合は、体重は大きく変わらなかったり、病的なまでに痩せることは少ないので気付かれることが少ないとも言われています。
ただ、意欲がわかなかったり、1日中倦怠感や疲労感におそわれているなど
目に見えづらい身体の異常
はあります。
また、症状がひどいと吐きだこやムーンフェイスなど目に見える形で身体に異常が現れることもあります。
私の場合は吐きだこはなかったのですが、過食嘔吐が連日となると、顔のむくみは目立つようになっていました。
なにもやる気が出なかったり、朝起きるのがつらかったり、身も心も曇り空が続いているような感覚に陥るのです。

拒食症から過食症になったり、その逆もあったり、拒食症と過食症を行ったり来たりすることもあるみたいですが、私の場合はずっと過食嘔吐。
過食症は普通の人の2食や3食分などの過度な量を一定時間内に食べて、お腹はいっぱいのはずなのに食べるのをやめられなかったり、食べたい気持ちが増してしまう症状です。
そして食べたことの罪悪感や体重増加の不安感から嘔吐をしたり、下剤などを使って過食をなかったことにする行動をとります。
私の場合は下剤は使ったことはなく、嘔吐だけで過食をなかったことにしているつもりになっていました。
食べていない時間も常に頭の中は食べ物のことでいっぱいで、仕事中でさえ

「今日の夜はあそこに寄ってから帰ろう」
「明日は過食嘔吐をしたくないから、今日過食嘔吐して食べおさめしよう」

などと考えることさえもありました。
最終的にはいかにうまく吐けるか?みたいなことも考えるようになって、水と食べ物を交互に流し込んで、吐きやすいように食べるようになりました。

徐々にその頻度が増えていって、大学受験が終わると同時にパン屋さんでアルバイトを始めたこともあり、大量にもらったパンを帰り道で1人で全て食べ切り、帰宅してからトイレに籠って、全てなかったことにできているように錯覚していました。

ストレスを感じると無性に食べたくなって、社会人になってからも帰路でコンビニへ寄って、大量に買い物かごへ食べ物を放り込んでいるときがありました。
最初はストレスのはけ口だったものがどんどん習慣化されていって、母親が作った食事でさえ、大量に胃に押し込めるようにもなっていました。

今、様々なストレスと戦い、自分の見た目に対して不安を抱きながら日々を過ごしている人は多いのではないでしょうか。

「自分の身体を管理できない人はだらしない」
「食べすぎてしまうのは意志が弱いからだ」

ダイエットの煽り文句として簡単に投げかけられる言葉たちも、食べてしまった自分を責める1つの要因となり、過食の引き金になり得ます

見た目に対する言葉であふれる世の中は非常に生き辛いものです。

正直、今も完治したかはわかりません。
ただ、たまに過食してしまうことはあっても、嘔吐をすることはありません。
常に「食」のことで脳内はいっぱいだったのに、今は朝昼晩に適正量を食べることができています。
徐々に「食」の恐怖から解放され始めたような感覚です。

なぜ摂食障害になったのか

ざっくりまとめると

  • 運動部をやめて運動機会が減った

  • 受験などの勉強でのストレス

  • 人間関係でのストレス(クラスメイトや家族など)

になるのかなあ、と思います。

体型が気になるようになったのはおそらく高校生頃から。
小中は運動部に所属していたのもあって、いくら食べても太らなかったのですが、高校に入学してからは文化部に所属。
それなのに食べる量はあまり変わらなくて、少しずつ体重が増えている感覚がありました。
実際高校3年生の頃は中学と比べて+5㎏くらい増えたように思います。

そこから大学に進学して、運動機会はもっと減ってしまって、それと同時にクラスの友人関係で悩まされ(上辺は仲良く接していましたが、内心一緒にいても全然楽しめていませんでした)、家族との関係もあまりよくなくなって。
色々なストレスで食べたい気持ちが増していく一方で、太ることへの恐怖はそれ以上に大きくて
どうにもならなくなった結果、過食嘔吐という選択に至ってしまったのだと思います。

摂食障害を発症する人は完璧主義だったり、体重や見た目への自己評価が厳しいかつ低い方が多いみたいです。
私も昔から完璧主義なところがあって、何ごとも平均より上を目指したいと思っていました。
学校の成績も常に上位をキープしていたし、運動会でもリレーの選手に選ばれたり、合唱コンクールではピアノを弾いたり、絵のコンテストでは入賞したり。
自分ではあまり努力しているとは思っていなかったけれど、
その頃は

「いかに自分を高められるか」
「いかに人から高評価をもらえるか」

みたいなところに固執してしまっていたように思います。
ほんとうにいろいろなことに手を出して、途中で投げ出すよりもある程度のところまでは極めなければ気が済まないタイプの人間でした。

noteをはじめた理由

自分が過食嘔吐をしていることについては誰にも言わずに生きてきました。ただ、実家に居たころはトイレで嘔吐していることが家族にばれて、母親からは

「私が一生懸命作った食事を無駄にしないで」

と言われたことがあります。

本当にその通りだと思います。
返す言葉もありませんでした。

一人暮らしを始めてからも過食嘔吐が治らずにいたことは、家族は知らなかったと思います。
気を遣ってか、家族も問いただすことはありませんでした。

人前で過食をすることはないので、家族以外の人にばれたことはありません

もちろん自分から打ち明けた人もいません。
打ち明けた後の反応が怖くて、打ち明けようと思ったこともありません。

私は人に悩み事を相談するのが苦手です。
相談した相手がどう思うか、相談することが迷惑なのではないかと考えてしまう方がストレスになってしまったり、完璧主義かつ無意味なプライドが邪魔をして、人に弱みを見せたくないという考えが根本にあるのだと思います。
なので、今までの悩みやストレスは1人で抱え込んで、消化しきれないものは積もり積もって山となっていくだけでした。

そこで、言葉として口で人に直接伝えられないのなら、文字としてなら伝えられるかな、と考えるようになりました。
実際、文章を書くことは結構好きで、大学のレポートとかもあまり苦ではありませんでした。
文字として吐き出すことで自分の心も整理することができるかな?と思い、
ブログをはじめる決心をしました。
ブログをストレスのはけ口にしているわけではなくて、自分が書いているときや読んでいるときは気持ちの整理ができて、相手が読んでいるときは理解を深められたり、なにか共感できるものがあったり、暮らしのヒントになるものがあるといいなと思って書くようにしています。

摂食障害について検索すると症状や治療法などが書かれたサイトは見つかりますが、実際に摂食障害で悩んでいる方の生の声を見つけることはなかなか難しいものでした。
それなら自分が書くことで、同じように悩んでいる人が「自分は1人じゃないんだ」と、思えるきっかけになったり、共感していただけることがあるのではないかと思いました。

最初はブログから始まったのですが、ブログを継続するよりも、noteで気楽に自分のペースで書ける方が自分には合っているなと思い、ブログを3年程度継続した後からnoteに移行しました。
ブログに書き溜めていたものをnoteに書き直してみたりしています。

これが私がnoteをはじめるに至ったきっかけです。

インスタグラムでも公表することに

ブログで公表する=摂食障害がバレる
ことでもあったので、最初は誰にも知らせず、こそこそと書いていました。笑
インスタグラムでは長く仲良くしてくれている人もたくさんいたので、ブログ(摂食障害)を公表することに恐怖がありました。

過食嘔吐をしている自分を知ったら、今まで仲良くしてくれていた人たちはどう思うんだろう?
気持ち悪いと思うだろうな。
もう仲良くするのはやめようと思うかな。

そんなことが頭の中を巡って、ひとまずインスタグラムのプロフィールにこっそりとリンクだけ貼っていました。笑
ただ、ある日こっそり載せていたリンクに気付いた友人が、「ブログ読んだよ」と連絡をくれることがあって、とてもやさしい、あたたかい言葉をかけてもらいました。
今までの悩みや不安は吹っ飛んで、全てを受け入れてくれる人がいるんだと、自信と安心につながりました。
ほんとうにどうもありがとう。

実際、「もう仲良くするのはやめよう」と思う人もいると思います。
それはそれで良いとさえ最近は思えるようになりました。
価値観は人それぞれだし、仲良くしたいかしたくないかも人それぞれ。
いろんな側面を知るほど悪いところが見えてきて、嫌いになることだってあります。
全てをさらけ出さない方がいい関係を築けることだってあります。
本当の自分を知ってもなお、仲良くしたいと思ってくれる人がいるのであれば、それ以上に嬉しいことはないけれど、そうは思わない人がいたって、責めることもしないし、無理に追うこともしません。
これを読んだ人が自由に選択できることを願っています。

Instagram:xoxo.o0

グルテンフリーやプラントベースをはじめた理由

命の尊さや動物性食品を摂取することで生じる環境破壊や身体への影響を自己流で学んでいく中で、ヴィーガンやプラントベースの考え方を知りました。
グルテンフリーやプラントベースを意識した食事に変更したのは、もちろん環境のことを考えた行動でもありますが、もうひとつは「罪悪感なく食事ができる」ことも大きな理由となっています。

食べることが太る恐怖に繋がっている私は、食事を楽しむことができなくなってしまっていました
それなら食べても罪悪感の少ない食事であれば、たくさん食べてしまった後の太る恐怖や罪悪感に襲われずに食事を楽しむことができるんじゃないかな?と考えました。
そこから私のグルテンフリーとプラントベースを意識した生活がはじまったのです。

ただ、グルテンを含むものや動物性食品を全て絶っているわけではなくて、「自分でつくるものだけ」意識するようにしています。
外食やテイクアウトするものは、あまり考えずに食べたいものを食べる。
人の目があれば食べすぎたり買いすぎることは防げるし、なにより食べたいのに食べられないことはストレスとなり、過食を誘発する原因になる可能性さえあります。
だから厳格ではなく、ゆる~く続ける。
これが私には合っている方法だと思っています。
私がヴィーガンではなく、プラントベースを意識しているのもそれが理由。
魚介類は今まで通り食べていますし、大好きです。
できることから少しずつはじめる
決して無理はしない暮らし
それが私の理想の暮らしです。

10年以上向き合ってきた私だからできること

摂食障害で悩んでる方もそうでない方も、変化し続ける私の暮らしぶりを見て、少しでも参考になることがあればうれしいです。

みなさんの気持ちに何かプラスの影響をもたらすことができたり、少しでも気持ちが楽になったり。
そんな文章を書けたらな~なんて思っています。

私のひとり暮らしの記録をぜひ覗いて行ってください。

どうぞ、よろしくお願いいたします🌷

とと


■Instagram:日常/ごはん・インテリア多め☟
https://www.instagram.com/xoxo.o0/

■楽天ROOM:実際に購入してよかったもの☟
https://room.rakuten.co.jp/room_xoxo.o0/items


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とと🌻無理しない暮らし
ありがとうございます🌷

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