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「吉良吉影と内なる道場」Inner MBA 体験記 #7
今回の講師は、2つ前の記事にも登場した Richard 師範代(武術を極めている人なのでこう呼びたくなる) 。
前回にレクチャーのあったセンタリング・プラクティスの続きで、「自己に対するリーダーシップを育む」ために、ストレスに対する自分の反応を知ろう、という内容。
闘う、逃げる、固まる、喪失する
人間がストレスに晒された時の反応で、Fight Flight Freeze + Disassociate というパターンがある。
Fight 闘う
Flight 逃げる
Freeze 固まる、凍結する
Disassociate 喪失する(本来は分離するという意味だが、 Forfeit = 戦意喪失すると書かれることもあるらしいのでこう表記する。その場合、4Fとなる)
例えば、以下は機内でパニックが起きた時の乗客の反応だ。
動物が持っているストレス反応(サバンナで目の前に猛獣が現れた!逃げる?闘う?)を人間も継承している。上のハイジャックのような極端な状況でなくても、日常やビジネスには様々なストレスシーンがあり、様々な反応がある。
例えば、同僚と意見が対立した(Fight) / 資料の準備が始められない(Flight) / プレゼン中に話す内容が飛んだ(Freeze) / 研修が退屈すぎる(Disassociate/Forfeit)
こんな時、身体はどう反応しているだろうか?
必要以上に前のめりになっていたり、肩が上がっていたり、逆に後ろにダラっともたれていたりするはず。そんな時こそセンタリング・プラクティスで身体を中心に戻し(単に座ったり立ったりするだけでもいいらしい)、ストレスに対して身体主導で対処していこう、ということだ。
安全、帰属、尊厳
続いて人間の欲求について。Safety, Belonging, Dignity という段階があるが、これは言うまでもなく有名なマズローの 5 段階欲求の真ん中の 3 つの話だ。
基本的に現代人であればその下の生理的欲求は満たせているが、心理的な安全欲求*、という意味では必ずしもそうでない。
例えば、想像してみよう。
友人に招かれた出版記念パーティで、大物の著者本人に話しかけられたとする。「私の本にはどういう感想を持ったかな?」。あなたの友人は席を外していて、その友人以外に知り合いは周りに一人もいない。そもそもこの著者の本を読んでいない...。
こんな時、先ほどの Flight「ちょっとお手洗いに...」 でも Freeze 「ゴクリ...苦笑」 でもいいが、とにかく心理的に安全な状況に戻りたいと思うはずだ。人間は安全が確保されてはじめて帰属(社会的)欲求や尊厳欲求が出てくる。
身体と心の反応に目を向けることが Self-Awareness である。それがマインドフルネスを上達させる条件であり、あらゆる日常場面を「道場」のように使い、練習を重ねていく必要があるのだと Richard は語る。
ちなみに Richard 師範代は実際に道場のような部屋から毎回の講義を配信している。「道場」という概念は日本人からするとわかりやすいのだが、武道に馴染みのない人向けに 10 分以上の説明が割かれた。曰く、道場はトレーニングジムのようにただ技術を鍛えるわけではなくて、自分、そして他人と対話する場である、と。そして一つの道を極めるために先生と呼ばれる人に師事するのである、と。
ちなみに「先生というのは日本語で "he or she who's gone before."(先にそれをやった人)のこと」という説明があった。これは妙に納得感がある。漢字もよく見たらそうなっているし。だから、どれだけ年下でもキャリアが浅くても、先にその分野を経験していたら彼/彼女は先生なのだ。
Inner MBA の生徒諸君も、内なる道場にまだまだ通わなければならないようだ。
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以上、今回は個人的には聞いたことのある内容のおさらい的な感じだったが、マインドフルネスをトレーニングすることでより素早く、的確にストレスに対処し、心理的安全性を獲得できるようになるのだろう。Richard 師範代がマスターしている合気道のように。
次回、Inner MBA 体験記 #8 「全集中の呼吸」に続く!
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脚注1 この話は漫画『ジョジョの奇妙な冒険』屈指の人気敵キャラ 「吉良吉影」を彷彿とさせた。彼は安全安心で平穏な生活を求めて暮らし、どこかに"帰属"することを拒んでいた(自身の家族でさえ)。しかし、最終的には人間の"尊厳"のために闘う仗助たちに屈したのだった。