
【ジャンクヤード】Twitter海まとめ92.5【邪馬台国特集】
ドーモ、三宅つのです。例のアレでTwitter上に邪馬台国が相当高まり、ついカッとなって関連RTが増えすぎたので特集します。ヘッダー画像は千葉県の芝山町立芝山古墳・はにわ博物館の展示で、邪馬台国とは関係ありません。
つのは邪馬台(ヤマト)国の中心は奈良盆地東南部にあったと考えていますが、フィクションであるFGO次元ではどうだか知りません。邪馬台国に新撰組や女信長埴輪戦士や縄文土器が存在するぐだぐだ時空ですし気にしません。ライターの人は当然きっちり調べた上で書いてるでしょう。ツッコむのも野暮というものです。ただし邪馬台国論争にはマジでうんざりしていますので、この機会に邪馬台国や卑弥呼、倭国についてまっとうな学術的知識が広まることを願っています。イチから説明するとものすごい手間がかかるため、今回はドバッとまとめただけです。徐福伝説も含め、そのうち「つのpedia」でまとめるかも知れません。
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鋼鉄ジーグ
#邪馬台国 #卑弥呼 #鋼鉄ジーグ
— ひふみ (@hifumi_x) October 9, 2020
女王ヒミカ率いる邪魔大王国(じゃまだいおうこく)という日本史に真っ向挑戦する永井豪さんのロック魂!!ハニワ幻人全滅だっ!! pic.twitter.com/rK8SpcSXGo
※司馬氏と卑弥呼が戦うダイナミックなロボアニメです。卑弥呼の時代に形象埴輪はまだありませんが、ハニワと戦うのは鋼鉄ジーグがモチーフのひとつであろう可能性は大いにあります。
卑弥呼
今開催されている期間限定イベント「超古代新選組列伝 ぐだぐだ邪馬台国2020」にて卑弥呼さんを描かせていただきました!
— toi8 (@toi81008) October 9, 2020
よろしくおねがいします! pic.twitter.com/31CqTfD4rF
ロータス戦記「キンスレイヤー」、今回も見開きで描いてます! pic.twitter.com/kuTQ9ZV5y1
— toi8 (@toi81008) June 18, 2017
※日本版『ロータス戦記』のイラストの人ですね。FGO海の卑弥呼はやたら豊満で脇を見せつけて来ますが、ソシャゲのキャラの乳は盛れば盛るほど儲かると魏志倭人伝にも書かれています。
邪馬台国論争
— 世界分岐観測所(中の人:染島@新米YouTuber) (@sekaibunki_lab) October 9, 2020
・畿内(近畿)説
・九州説
・東遷説
・四国説
・ゆかり王国説←NEW!!#FGO pic.twitter.com/hmGyn039cq
※中の人は福岡出身ですが、邪馬台国が九州とは限りません。創作作品の多くが邪馬台国をヤマト以外に置いているのは、ヤマト王権の起源と直接関わらせると政治的にめんどくさいというのもあるでしょう。
関連書籍
とりあえず関連書籍紹介……?
— 株式会社 雄山閣 (@Yuzankaku_Inc) October 9, 2020
まずは畿内から。
「邪馬台国-唐古・鍵遺跡から箸墓古墳へ-」https://t.co/sgz8L3clux#卑弥呼 #邪馬台国
こちらも畿内から。
— 株式会社 雄山閣 (@Yuzankaku_Inc) October 9, 2020
「魏都・洛陽から倭都・邪馬台国へ ―『親魏倭王』印の旅ー」https://t.co/iAat0hAGAy#卑弥呼 #邪馬台国
盛んに飛び交う邪馬台国=ゆかり王国説。本当のところは一体どこまで分かっているのか。気になる方は、石川日出志『農耕社会の成立――シリーズ日本古代史①』(https://t.co/fHEdI37J9n)の第五章「生まれいづる『クニ』」の「4 考古学がみる『邪馬台国』」をご覧くださいませ。
— 岩波新書編集部 (@Iwanami_Shinsho) October 9, 2020
日本古代史はやばい本がたくさんあるので、とりあえず読んだことがある範囲で真っ当で面白い本を挙げておきます。
— たられば (@tarareba722) October 9, 2020
FGOに卑弥呼と邪馬台国登場で興味を持ったかたはここらへんとかからどうぞ。
古代史の基礎知識 (角川選書) 吉村 武彦 https://t.co/yrq226HTrx @amazonJPより
【王権誕生 日本の歴史02 (講談社学術文庫)/寺沢 薫】稲作が伝来する縄文時代晩期後半から弥生時代全期間を経て、「倭の五王」の出現前史となる古墳時代前期までを扱う。実年代ではおよそ前6世紀末か… → https://t.co/JUuFfTbYP4 #bookmeter
— coolflat (@coolflat) February 7, 2020
岡田英弘『倭国の時代』(ちくま文庫)
— 筑摩書房 (@chikumashobo) February 11, 2020
日本建国以前の列島の状況を知るには当時の文献が欠かせない。しかしそのことで誤解が生じたのも事実。世界史的視点から「魏志倭人伝」「日本書紀」の成立事情を解明し、卑弥呼出現、倭国王家成立、日本国誕生の謎に迫る。2009年2月刊#ちくま1000「本」ノック807 pic.twitter.com/OREQtSva0D
倭国
— 読書メモ (@Fg4mNLSPr7MbYWb) August 28, 2017
岡田英弘著
中公新書
日本書記が歴史的現実を再現しているはずが、もともとない
最古の史書だから書いてあることが本当だという理屈は成り立たない
日本書記をいくら分析したところで、初代日本人が新しい国家、社会をいかにあって欲しいか、その理想像よりあまり古くはさかのぼれない pic.twitter.com/Y6YpShPRwk
※とりあえず全部読んで下さい。村井康彦『出雲と大和』もいいのですが、「邪馬台国は日向狗奴国の神武に滅ぼされた」というのはちと飛躍しています。九州の勢力が畿内を征服したという考古学的証拠はなく、倭の五王の上表文にも隋書にも神武東征の話はありません。日本書紀を編纂するにあたって新しく作られた神話でしょう。古田武彦と安本美典はカルト化しており危険なので無視して下さい。
邪馬台国太平洋説
はっ?邪馬台国の位置おかしくねぇ?
— 山さん@TSロリ好き (@izumo3279) October 10, 2020
てかサマーキャンプの時と同じ位置にない? pic.twitter.com/Xhm7zgqEHi
※はまぐりとか獲ってるのでこの邪馬台国は海辺にあるようです。
邪馬台國 #01
— ツクヨミ (@Tukuyomi0907) April 11, 2016
魏志倭人伝に明記してあるにも関わらず未だ場所が不明な邪馬台國。そこでGoogleEarthを利用しその所在を解き明かしたのがこの画像。そう!邪馬台國はニューギニアにあった…!?
(1101枚目)#邪馬台国 #神社 pic.twitter.com/4dArsAr1fX
※東夷伝は政治的理由により里数や日数が5倍誇張されており、投馬国への方角が東から南へ曲げられたのでこんなになってしまいます。しかも倭人条には誇張していない数字も混ぜ込まれています。
邪馬台国が太平洋上に出現してしまうバグ#歴史の出来事の後にバグをつけるとそれっぽくなる pic.twitter.com/yDR6bQo1dy
— 抄緬 (@s_men1884) February 22, 2018
※これは魏志倭人伝ではなく、北史や隋書にある「邪摩堆(ヤマト)」への道で、距離も方角もあっています。直線に東南ではなく、ヤマトまでの水陸の道が曲がりくねっているだけです。
でもトゥームレイダーのこれはさ…
— ヒロ (@takamihiro4) May 27, 2020
今までの超人ララがMARVEL風に活躍するシリーズだったら良かったけど冒頭からシリアスで、あ、リアル路線になったんだ!って思わせといてからのこれ
これは卑弥呼を描いた邪馬台国時代の壁画です
これはあんまりだよ、ちゃんと調べて欲しかった pic.twitter.com/JScshGZjQL
お金をかけて作ったトンデモニッポンゲームがやりたかったらトゥームレイダー(2013)がオススメ
— 和仁a.k.a.那由多わんたん (@wani_wantan) July 27, 2020
小笠原諸島グアム近辺に存在した絶海の孤島「邪馬台国」で、卑弥呼のミイラを守護するオニ(鎧兜に太刀装備)と闘ったりします
普通に面白いトゥームレイダーがやりたかったらアニバかUWの方をどうぞ
バカなと思うだろうがほんとだからな。グアム近くにある島の邪馬台国遺跡で大具足で武装したサムライたちに刀で襲われ、ついにボスである魔女、卑弥呼が花魁衣装のミイラとして登場し、死者の魂を吸収して復活しようとするからな。 https://t.co/ehjEKuR9mS
— 萬屋 直人 (@eject3) March 5, 2020
※ほとんどニンジャスレイヤー。
おまけ:ムーと黄泉
人類愛善会ポナペ開栄社。戦前、大本教がポナペ島に開いた布教施設。土着の王族子弟等を取り込んで大いに発展していたらしい。そもそも大本教が南洋くんだりまで進出したのは、出口王仁三郎がポナペが水没したムー大陸(大本用語で「黄泉島」)の残滓だと言い出したからのようだ。
— toshio akai (@chirumegastar) May 8, 2010
黄泉島https://t.co/RtEP0AhOOW
— 三宅つの (@samedininja) October 11, 2020
ムー大陸https://t.co/oyjl9EDGV5
※直接は無関係ですが面白かったので。王仁三郎の託宣がチャーチワードの著作より先だと言われますが、だとしても生物学上の仮説が転じて神智学の与太話になっていたレムリア大陸をパクっただけでしょう。ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』は1888年には出ています。
邪馬台国と吉備
邪馬台国近畿説の集大成か https://t.co/c0gR3vQvMT
— くま (@KUMA0504) August 22, 2019
「邪馬台国時代の王国群と纒向王宮」石野博信 新泉社
ウェブ上に残しておくと、何かと便利なので、特に吉備との関係で前半部分から少しメモした。かなり専門的なので、無視してください。
卑弥呼もでるなら桃太郎卿もでるころじゃないか( ˘ω˘ ) pic.twitter.com/1DZcpqIVHN
— お文 (@ivory0002) October 9, 2020
奈良県田原本町パズル
— 地図パズル屋 古社工芸 (@kosyakougei) September 5, 2020
孝霊天皇の庵戸宮があり、桃太郎・卑弥呼の誕生地?伝説のある田原本町
町全体がなだらかかつ田んぼが多いせいか真っ直ぐな町割りですね🤔
唐古・鍵遺跡に見られる環濠集落のように地名も昔からきっちり分けてたのですかね🤔
販売はこちらでhttps://t.co/5tSpqEHeFn pic.twitter.com/QM4yzzmZTX
※卑弥呼ともされる倭迹迹日百襲姫命と、桃太郎ともされる吉備津彦命は、共に孝霊天皇を父とします。日本書紀にそう書かれています。年代計算すると崇神天皇の時代には200歳ぐらいですが大丈夫でしょうか。実際に纒向の形成には吉備も強く関わっていたことが判明しています。そういえば卑弥呼の時代の桃の種も纒向で以前出土しましたね。唐古・鍵遺跡は弥生時代に銅鐸の一大生産センターでしたが、古墳時代に入る頃には衰退し始めており、纒向以前のヤマトの都なのかも知れません。
『ヤマト王権誕生の礎となったムラ
— よねちゃん〜奈良deシカ🦌聴けない物語(#奈良deシカ)from神奈備の郷〜わたしは、奈良派〜🤗 (@ty701226) September 16, 2019
唐古・鍵遺跡』
新泉社
田原本埋文センター所長
藤田三郎氏 著
弥生時代、奈良盆地中央部の田原本唐古・鍵遺跡に日本最大級の環濠農耕集落が誕生し、纏向遺跡が誕生する2世紀頃迄隆盛。
丁寧で読み易く、総ての人が
唐古・鍵を理解するにこれ一冊で充分な本です‼️ pic.twitter.com/xGTK0fW8fP
徐福と邪馬台国
ほぼ日 徐福ちゃん
— ゾノ (@ZnononZ_F) October 12, 2020
「邪馬台国を復興中のマスターが行ってる水田耕作などは、実は徐福ちゃんが日本に渡来した際に伝えたとされる伝説があるそうです。※諸説あります」#ほぼ徐 pic.twitter.com/YES3d7ixnr
※稲作自体は縄文時代からあったようですし(諸説あります)、水田稲作も徐福の数百年前には伝わっていたようですが、かわいいのでよしとします。
次に筑紫邪馬台…現在の佐賀市あたりのクニ。元は秦の始皇帝に不老不死の薬の探索を命じられた徐福と共に海を渡った三千人の末裔の一族。現在の王はヒミコ。大陸の先進知識の交易によって栄えているが、王族の主力は秦を滅ぼした漢が朝鮮を支配下に置いた時点で奈良に移住している。 #ナムジ pic.twitter.com/hnU7vNmCvg
— 浄法寺亘@『頼みたくなる住宅営業になれる本』amazonで発売中 (@grex_joe) September 18, 2017
※安彦良和氏の漫画『ナムジ』は原田常治氏の『古代日本正史』を下敷きとし、徐福が筑紫の山門に最初の邪馬台国を築き、100年後に主力が奈良に遷った(九州と畿内の両方に邪馬台国があった)としています。そして畿内邪馬台国の統治者が登美の長髄彦で、彼の婿が饒速日(於投馬王スサノオの子)や神武(卑弥呼=日向邪馬台国女王アマテラスの孫)だというのです。物語としては面白いですが、さてどうでしょう。
投馬国出雲説
<投馬国>
— kensyou_jikenbo (@kensyou_jikenbo) March 23, 2020
→観点はやや違うのですが、投馬国は「出雲」かな、という気がして来ました。
当時、倭より遥かに進んだ文明の魏の船は、大きさや形状などが倭の船とは随分違ったでしょう。
地形複雑で流れも速い瀬戸内海を、倭人に経験のない船の案内をさせて安全に渡れるか。
日本海側の方が容易かも。 pic.twitter.com/iZcLun9d0H
※つのもそう思います。ただ水行で1日20kmは遅いので、里数と同じく日数も誇張されていると推測しています。15世紀朝鮮の『成宗実録』には「壱岐から北海(日本海)を渡れば順風なら8日で若狭に至った」とありますし、海流に乗り風を利用すれば、宗像から出雲まで4日、出雲から丹後まで2日で移動は可能でしょう(理想速度であり常にこうとは限りません)。丹後からヤマトまでは200kmほどで、山道とはいえ陸路で1ヶ月もはかかりません。30日を5で割れば6日、1日33kmです。
邪馬台国の彼方にあるという21の「其餘旁國」は、南でも北でも東でもないなら西です。最後に「奴国」が出て「その南」に狗奴国が記されるため、瀬戸内海を西に進んで北部九州最大の国(2万戸)である奴国に戻るルートでしょう。「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種」は奈良から見て東、伊勢湾の彼方の濃尾地方です。「去女王四千餘里」の侏儒国は伊豆諸島でしょう。「周旋可五千餘里」は誇張されていない推測実数で2170km、およそ西日本全体になります。つまり、こうです。
末盧→伊都→奴→不彌→(水行)→投馬(出雲)→(水行)→ 丹後
│ ↓
│ (陸行6日)
│ ↓
奴←――――――――二十旁國(豊後~瀬戸内)←―――――邪馬臺――→東渡海(伊勢湾)→倭種(濃尾)
↓
狗奴(菊池・球磨・曾於)
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【以上です】
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