香港青春グラフィティ。『I AM JACKIE CHAN 僕はジャッキー・チェン』
香港の映画の歴史を少し知りたくて、読んだジャッキーの自伝です。分厚い本の大部分が、ジャッキーチェンの下積み時代の苦労&貧乏の話でおどろきます。ジャッキーが成功するまでの苦労話は、並大抵のものではありませんでした。
勉強が嫌いで、小学校にちゃんといかないジャッキーを心配した父親の勧めで、入った京劇の学園。しごきのすごさは、映画『覇王別姫』を思い出します。
まあ、清朝末期と違って、戦後の京劇学院ではそこまで厳しくはなかったらしいですけれど。そして、戦後はだんだん伝統京劇が人を呼ばなくなり、映画のアシスタントで生活をするジャッキーと仲間たち。それすら苦しくなっていく時代。映画『七小福』の世界です。
その中で、アメリカ育ちのブルース・リー(李小龍)が大成功させた「香港アクション映画」。以来、ブルース・リーの模倣ばかりになっていく香港映画界の中で新しさ、自分らしさを表現したいともがいた若い頃のジャッキーが切ないです。
一番驚いたのが、ジャッキーは小学校をちゃんと卒業していないので、字がかけなくて、GFの父親からの手紙が読めなかったエピソードです。貧しく、学のないお前なんかと娘をつき合わせないという、その手紙すら読めなかったジャッキー・チェン。
その後も、香港で芽がでなくてオーストラリアに行きますが、英語で苦労しますし、アメリカでも苦労は同じ。今のジャッキーからは想像もできません。そして、香港のショービジネスとアンダーグラウンド社会の関係。それは中華民国時代の「幇」(父親は山東幇と関係があった)とも関係するようで興味深かったです。
若い頃のテレサ・テンとの関係にも、さらっとふれていますし、台湾人の女優さんとの結婚と息子の誕生、自身の浮気性も匂わせつつ、自伝は終わりです。この本は1999年に日本語版が出版されたので、実際にはもう少し前で記述は終わっているはず。
その後の中国の経済発展と、ジャッキーの中国政府よりの発言の数々で、香港や台湾のファンはジャッキーを支持しなくなった人が多いように思いますが、日本ではまだまだネームバリューだけはあります。
ここにある、サモ・ハン・キンポーやユンピョウとの友情物語は、イギリス植民地時代の香港の下層世界と可能性を感じさせます。香港のアクション映画黄金時代に興味がある人だけでなく、60年代、70年代など中国返還前の香港の雰囲気を知りたい人にもおすすめできるかもしれません。