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旧日本軍から公安警察、内閣調査室、NSC(国家安全保障会議)まで『日本インテリジェンス史』小谷賢

帯のキャッチコピーは「「国家の知性」の暗闇でたどる戦後75年の秘史」。インテリジェンスというのは、情報収集や分析、防諜活動です。私の場合、MI6というとかっこいいイメージになってしまうのは『007』シリーズのせいだし、CIAならアメリカが世界に派遣して暗躍するエージェント組織というイメージで、KGBというとCIAに対抗するソ連の闇の組織感バリバリなのも小説やマンガのせいです。

では、日本の場合はというと、本書がわかりやすく、そしておもしろく紹介してくれます。まず戦前は、外務省と陸軍、海軍がそれぞれ情報収集活動を行っていて、横の連携ゼロ。だから、日本海軍の作戦が危ない情報をつかんでも、陸軍はそれを「機密だから」と知らせなかったのは有名な話。

ただ、旧日本軍の諜報活動がザルだった、アメリカの暗号を解読できていなかったという別の有名な話は、戦後に戦犯を逃れるための軍人たちの方便だったとのこと。実際、戦後しばらくして、とある女性関係のルートからアメリカの暗号を解読できていたことがアメリカ側にバレてしまいました。だから、むしろ戦後の方がザルなのかもしれません。

もちろん、戦前でも抜け目ない軍人もいて、敗戦が明らかになると大量の収集情報を軍や政府機関が処分して、火事のような煙があちこちでたつ中、重要情報を個人で秘匿して、その後アメリカに売って身を守ろうとした人もいたそうです。ただ、最終的に彼や他の関係者たちが「旧日本軍の復活」を目指していたことが危険視されて、そういう動きは成功しなかったとのこと。

他方で戦後から冷戦時期には、資本主義陣営というアメリカの枠に収まっていれば、対外的に独自の諜報活動をしなくてもだいたい事足りたので、結果的に情報収集能力が低下してしまったとか。それだけではなく、社会主義陣営側の中国やソ連のスパイが日本政府関係者にかなり食い込んでいたために、日本での情報漏えいが当たり前になっていて、アメリカに再三改善を要求されていたそうです。

転機となったのは、やはり冷戦後。アメリカが日本を信用しなかったことで、なにか国際事件についての重大発表があるときには、日本政府への連絡が前日だったり、数時間前だったりという苦い経験を重ねた日本。

ペルーで日本大使館が占拠され、日本人が多数人質になったとき、独自の諜報や交渉ルートがなく、現地ペルーの警察に頼りっぱなしで何ヶ月も経過してしまったり、オウム真理教の地下鉄サリン事件を事前に察知できずに、事件前は無関係の民間人を免罪で捜査していたり。そういう残念なニュースは、私もうっすら記憶にあります。近い記憶では、最初の北朝鮮のミサイル発射に右往左往し、アメリカの発表を待たないといけなかった事件もありました。

外務省と自衛隊、公安警察、公安調査庁、内閣調査室など、それぞれの組織がバラバラで、しかも各組織が集めた情報をトータルで分析する機能もなければ、アメリカやイギリスのように国のトップに定期的に情報があげられるわけでもなかった日本。しかも、敗戦の影響で自国のスパイ活動を制限する法律はあるものの、他国のスパイ活動を取り締まる基準も法律もなかった日本。

アメリカの「テロとの戦い」でも、偽のイラクの核開発を鵜呑みにするしかなかった日本は、第二次安倍内閣以降、ようやく独自の諜報活動ができるように法律を整備したり、アメリカのような大規模ではない、イギリスのようなインテリジェンス組織を可能な限り整備して、新しい時代に対応する方針にまとまったとか。国家安全保障会議(NSC)がそれだそうです。

ただ、それでもまだ日本にとっては、歴史の浅い分野なので、独自のスパイ衛星を保有したり、情報を集めるだけでなく、どうやって分析して政府の活動に活かすのか、サイバー攻撃にどう対応するのか、課題は山積み。

本書は、読んでワクワクするといったら不謹慎なのですが、実際、事実は小説より奇なりなので、おもしろいです。絶対に必要だけれど、マイナスイメージがつきまとい、実際、私的に悪用されてしまいがちな諜報活動。インテリジェンスというと、ちょっとマイナスイメージが払拭されますね。情報公開と防諜活動。矛盾する2つの活動のせめぎあいの歴史と現実が、わかりやすくまとめられていて、値段の3倍くらい楽しめました。



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