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青春の理想と現実は、あたり前だけど違います。氷室冴子『アグネス白書』

娘に氷室冴子さんの『クララ白書』を勧めた結果、自分が再度読みたくなって、シリーズを一気読み。懐かしい気分に浸っています。

続編の『アグネス白書』がコバルト文庫で出たのは1982年とか。ちょうど中学生の頃。自分の気持ちを上手く言葉に表現できず、持て余していた思春期をなんとか乗り越えられたのは、氷室冴子さんの作品があったからです。反抗期&中二病の沼の底で、誰にも頼まれないのに勝手にもがいていた私ですが、氷室さんの作品を読むと、現実を少し忘れて楽になれました。

今回、手にしたのは初出から10数年たった1996年版のリニューアル『クララ白書』と『アグネス白書』。最初が文庫版で、10数年後がハードカバーの愛蔵版。部分的に内容もリニューアルとのこと。

確かに、昔読んだ記憶とは違う部分もあったけど、とにかく懐かしさが先行して、思い出深かったです。つらつら読みながら、自分のバカだった中学・高校時代も思い出したりして、顔から火が出そうになるのまでお約束のような。

ところが。あとがきを読むと、大恩人の氷室さんもやっぱり高校時代のトンガッたり、小さかったり、了見が狭い自分を心の中で美化して小説に書いて忘れていたそうです。ものすごく驚きました。

しかも、好きになれない自分を、好きになれそうなキャラクターつくって託して、こうあるはずだった高校生活のストーリーを書いて「再記憶」していたとか。そして、すっかり忘れていた自分のイタイ高校時代を、昔の友達の発言で思い出して、いたたまれなく、申し訳なくなったなんて話まで書かれています。

つまり、これは私たちが「こんな学生時代を送れたら」と思いながら読んでいた小説の作者も、実は同じように「こんな学生時代を送れたら」と思って書いていたということなんですね。でも、よく考えれば、子供のときや若い時は誰だってイタイですし、バカなことやっちゃうからこそ、「青春」なんて美化した言葉があるんですよね。

よく、ジブリ映画の『耳をすませば』や、ひぐちアサさんの漫画『おおきく振りかぶって』を読んで、「まぶしすぎて、自分の高校時代があまりにも暗くて、何の価値もないものに思えて辛い」なんて感想を目にします。自虐気味のほめ言葉なので、テンプレです。

でも、それって当たり前。リアルで救われないから、せめてフィクションで救われたいってのが多くの人の願いなのだから。そのための少女小説だし、青春小説だし、ライトノベルだし、エンタメ小説ですもんね。当たり前に気づくまでに、人生の半分がすぎちゃいました。あと半分は、せめて大人でありたいです。がんばろう……


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