最後の貴族たちへのレクイエム。『嵐を生きた中国知識人』章詒和
サブタイトルは、「右派」章伯鈞をめぐる人々。
中華民国の時代は、少し前までは中国国民党とそのトップだった蒋介石の独裁政治と言われていたけれど、研究が進んだ現在は、蒋介石でもまとめきれなかった中国政治の複雑さや、中国共産党以外にのいろんな人達が、いろんな政治思想を持って、活躍したことがわかっています。
民主諸党派といわれる人たちも、そういう大勢の中の1つのグループ。作者の章詒和は、章伯鈞の娘で、父親が民主主義をめざして中国国民党の政治を批判して、中華人民共和国成立に貢献しました。その結果、新しい中国政府の高官になりましたが、その後の中国政治闘争の中で、「右派」として批判されてしまいます。
中国共産党が支配する中国では、「左派」が一応正しくて、「右派」はアメリカみたいな資本主義のスパイ、日本でいうと「国賊」みたいな意味で使われます。父親が、「反革命」=革命に勝利した共産党の敵という烙印を押されたので、章詒和も一緒に批判されて、10年間投獄されます。
このあたりは、最近ベストセラーになった中国のSF『三体』の女性主人公を思い出すとわかりやすいと思います。『三体』では批判された父親が殺されて、母親と妹は父を見捨てますが、章詒和の母親は父親を見捨てず、彼女も両親のそばにいて、両親とその友人たちの交流を見てきました。そして、長い時間がたって、大昔の罪が名誉回復された後、文筆活動に入りました。
ただし、章詒和の最初の本『往事は幻のごとくならず』は、検閲で全体の1割の2万字を削除して、ようやく中国大陸で出版できたそうです。それでも30万部が売れる好評となったのですが、そのおかげで2ヶ月後に発禁になってしまいました。
少し前の中国は、今ほど規制が厳しくないので、海賊版がでたそうです。それから、削られた2万字を復活した本が、香港で『最後の貴族』とタイトルを変えて出版され、イギリスのOxford university pressからも出版されました。日本語版も香港版をもとにしているそうです。
余談ですが、中国では作家の知らないところで、編集担当や出版社が勝手に(政府に忖度して)文章を削除するので、作品を書く人たちは中国語版と英語版の二つを用意しているそうです。そして、外国語に翻訳する場合は、英語版をもとにするのが常識なのだとか。『三体』も日本語版は英語版をもとにしているのは、そういう理由があると聞きました。なんと、まあ……
日本語に翻訳された『嵐を生きた中国知識人』の文章にも、張りつめたような美しさがあります。1950年代から60年代にかけての中国知識人(エリート)たちの、まるでヨーロッパの貴族のような精神性。彼らは学生時代に海外留学したり、西洋の新しい知識を得て、自分たちの国の発展に貢献したかっただけなのですが、それが中国政府には邪魔でしかなかったとは残念です。
章詒和の2作目、3作目もすべて中華人民共和国では発禁ですが、台湾では入手可能。そして、章詒和が執筆後にどう暮らしていたかについては、福島香織さんの『中国の女』に詳しく書かれています。