もうひとつの中国とオリンピック『北緯43度の雪 』河野啓
1971年、中華人民共和国(中国)の国連加盟に反対して、国連から脱退した中華民国(台湾)。翌年、蒋介石(1887-1975)は札幌オリンピックのために8人のスキー選手を送り、中華民国の名を宣伝して、中国に傾いている国際社会の関心を再び台湾に引き戻そうとしました。
でも、選ばれたメンバーは在日中華民国国籍の若者や台湾原住民のアミ族の若者、そして両親が中国から逃れてきた台湾生まれの若者と多様で、大半が雪さえ見たことのない未経験者でした。この本は、政府の都合で無理なミッションを押し付けられた若者たちの物語です。
河野さんの本を読む前は、映画『クールランニング』の台湾版をイメージていましたが、中身はかなり違っていて、冬季五輪を軸に台湾の歴史と選手たちの個人史を重ねたノンフィクションでした。なので、実際のスキーのトレーニング部分は、あまり多くなかったです。残念。
日本にスキーが伝わったのは、明治の終わりの1911 年1 月。オーストリアのレルヒ少佐が、新潟県の高田(現在の上越市)で日本にスキーを伝えたのだそうです。スキー伝来百年を記念した2011年は、新潟や長野でいろんなイベントをやっていました。
実は、若い頃の蒋介石は、高田の陸軍13師団に留学していたことがあります。オーストリアから軍事目的で伝えられたスキーを、当時の蒋介石も見たかもしれません。でも、そこからいきなり「札幌オリンピックに台湾のスキー選手を派遣する」ってのは、ちょっと河野さんの無理筋な気がします。いくつか試してみたうちの1つの宣伝活動だったっていうなら、なんとなく、わかる気もしますが。
余談ですが、長野県の野沢温泉村には日本でたった1つのスキー博物館があります。以前そこで、なぜか中華民国スキー連盟のペナントが飾られていたのがものすごく印象に残っていました。当時、沖縄よりも南にある台湾とスキーは、どう考えてもつながらなかったのですが、この本を読んでやっとわかりました。
中華民国政府は、札幌オリンピックに派遣する選手を育成するために、1968年、全日本スキー連盟に依頼して、監督を台湾に招聘したり、その後も群馬の草津で選手にトレーニングを積ませて、札幌オリンピック以後も冬季競技に出場し続けたそうです。
不思議な展示といえば、1958年の中国のスキー競技会らしき写真も意味がよくわかりませんでした。これもできれば調べてみたいです。