通訳から見る政治の世界。『日・中・台 視えざる絆』本田善彦
サブタイトルは、中国首脳通訳のみた外交秘録。
中国の周恩来首相の通訳だった神戸華僑の林麗韞と、台湾(中華民国)の外交官だった林金茎を通して、1972年の日中国交回復とその裏側の日台国交断絶を丁寧に取材した本。
若い人にとって、台湾は親しみやすいらしく、そのせいで日本と台湾には国交がないと知らない人も多い。そして、かつて台湾が日本の植民地だったことも知らない人がいる。この本は、そういうことを教科書で習わなくても、肌で知っていた時代の人たちの記録。
著者の本田さんは、最初、単純な日中関係秘話を想定していたらしい。でも、取材を進め、情報を整理するうちに、日中関係や日華関係に携わっていた台湾人が、じつは台湾海峡の水面下を横切る人間関係で中国と台湾をむすんでいることに気がついたそうだ。その感覚、よくわかる。
神戸なまりの台湾華僑、林麗韞。この経歴を聞けば、日本人は親しみを覚えるかもしれない。でも、林麗韞の一家は戦前の台湾で日本人から差別的な扱いを受け、それを逃れるために神戸に移住した人たち。そして、戦後、彼女は祖国「新中国」にあこがれ、中国大陸に渡る道を選び、そこで見出されて政府の日本語通訳になった。
彼女の華々しい活躍には台湾に残った親戚も、こっそり喜んでいたらしい。でも、一方で中国政府の対日工作に従事するのは、微妙なものがあったのも事実だという。1972年の日中国交正常化の国際政治の裏側にあった中国の混乱事情、それでも完璧にその場を準備した中国側スタッフ。予想外の出来事に驚いた田中角栄たち日本側。本書のディテールの1つ1つがおもしろい。
一方で、国交を断絶された台湾の中華民国。林金茎は、台湾の南部の田舎で育ったので差別を受けるほど日本人との接触はなく、父親から中国の古典を叩き込まれて育った知識人。戦後の一時期、中国大陸に渡ったものの、共産党の実態を知り、台湾に戻った。そして政府の外交の仕事に就いた人。
林金茎は、自分たち日本語教育を受けた世代。だから、日本人の立場にたって発言することも多かったけれど、そのことには、いい面も欠点もあった。今後は、若い人たちが新しい方法で新しい関係をつくっていけばいいとインタビューに答え、2003年12月に亡くなった。この本は「日本の人たちへの遺言のつもりで」と丁寧に受けたとのこと。
林麗韞、林金茎を中心に、日本と中国、台湾に関わる多様な台湾人のインタビューがあり、興味はつきない。個人的には創生期の北京放送の話がおもしろかった。これからも少し調べてみたいと思っています。
ちなみに、台湾でも本書は出版されています。