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機械と人間の狭間で ―サイボーグ、AI、アンドロイド―

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『攻殻機動隊』を中心に、欧米、日本のSF小説、漫画を題材にして、機械の人間の狭間を考えます。全8回。(完結) ※文中のAmazonへのリンクはアフィリエイトではありません。
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#SF

4.わたしは機械?(1)AIと人間を分けるもの

4-1-1.「ゴースト」という概念サイボーグ技術とロボット技術は不可分の存在である。そこに高度に発達したAIが加わったとき、サイボーグ=人間とロボット=AIの境界線は揺らぎ始める。 《攻殻機動隊》において最も重要な「AI」である「人形使い」はまさにそれを体現する存在である。「人形使い」は、もともと外務省が政治的工作のために作ったプログラム。ところがネット上であらゆる情報を収集していくうちに、「自我」に目覚めてしまう。そして自らを「AI」ではなく「生命体」だと主張するようにな

3.アンドロイドはピノキオの夢を見るか(2)機械はどこまで人間か

3-2-1.ピノキオ神話一般的に、ヒューマノイド・ロボットという人の形をしたものが、人のように考えて行動するようになった場合、人間とヒューマノイドの境界線が問題となるのは、当然のことと言える。それが、『攻殻機動隊』においては、人間の側の人間であることへの疑問という形で表出していた。 しかし、より一般的には、作品中において、ヒューマノイド・ロボットの側の「人間という存在への希求」という形で示される。この問いかけの最も有名なさきがけがディズニー版『ピノキオ』(1940年)であろ

2.機械の中の幽霊(1)

2-1.日本SFにおけるサイボーグ~『009』から『攻殻機動隊』へ~2-1-1.日本サイボーグSFの黎明 少し時間をさかのぼって、日本におけるサイボーグの受容を眺めてみよう。 クラインとクラインズの「サイボーグと宇宙」が刊行された翌年である1962年には、日下実男『地球物語 : 地球の生成から消滅まで』(早川書房)において、早くも「宇宙人間サイボーグ」と題して、その内容が簡単に紹介されている。 その年には光瀬龍が《宇宙年代記》シリーズを書き綴り始め、「スーラ2291」(1

1. A Cyborg Manifesto(2)ダナ・ハラウェイ『サイボーグ宣言』

1-2-1.政治神話としてのサイボーグ「我々はサイボーグである(we are cyborgs.)」というセンセーショナルな言説で知られ、フェミニストやSF関係者にも幾度となく再読されてきたハラウェイの『サイボーグ宣言』であるが、本来は当時の社会情勢下における、社会主義/フェミニズムの観点からの政治的提案である。 ハラウェイ自身『サイボーグ宣言』の中でいくつものSF作品に言及しているし、サイバーパンク作品群を読み解く理論として多くの場で持ち出されてきたが、そもそも文学理論で

1. A Cyborg Manifesto(1)サイボーグの起源

1-1-1.サイボーグという概念「サイボーグ」という言葉を知らない人は恐らく現代社会にはほとんどいないだろう。しかし、サイボーグとはどのような存在であるのかを問われた場合、それをきちんと説明できる人は多くはないだろう。それは、「サイボーグ」が広く用いられるようになったために、イメージが広がってしまってためでもある。 ここでは、原点に立ち返って考えてみる。 『大辞林(第三版)』(三省堂)には以下のようにある。 簡単に言えば、機械によって生物器官の一部を置き換えた存在が「サ