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1. A Cyborg Manifesto(1)サイボーグの起源

1-1-1.サイボーグという概念

「サイボーグ」という言葉を知らない人は恐らく現代社会にはほとんどいないだろう。しかし、サイボーグとはどのような存在であるのかを問われた場合、それをきちんと説明できる人は多くはないだろう。それは、「サイボーグ」が広く用いられるようになったために、イメージが広がってしまってためでもある。

ここでは、原点に立ち返って考えてみる。

『大辞林(第三版)』(三省堂)には以下のようにある。

生物に、生物本来の器官同様、特に意識しないでも機能が調節・制御される機械装置を移植した結合体。宇宙空間のような生物体にとっての悪環境下での活動のために発想されたが、その後、電子義肢・人工臓器など、医療面での研究が進められるようになった。

簡単に言えば、機械によって生物器官の一部を置き換えた存在が「サイボーグ」である。

「サイボーグ」という語が誕生したのは、1960年5月26日である。アメリカのテキサス州にあるブルックス空軍基地内のアメリカ空軍航空医学校で開かれた「宇宙航行の心理・生理学的側面についてのシンポジウム」の壇上で、ニューヨーク州ロックランド州立病院 (現・ロックランド精神医学センター)で精神薬理学を研究していたネイサン・クラインと、サイバネティクス(生物と機械における制御と通信を統一的に研究する理論体系)を研究していたマンフレッド・E・クラインズが、「薬物、宇宙、そしてサイバネティクス(Drugs, Space, and Cybernetics)」と題して、薬物使用や人工装置の移植によって、人間の体を宇宙環境へ適応させる方法を考察した発表をおこなったときである。ここでサイバネティクスを元に人工装置と接続された有機体としての人体「サイバネティクス・オーガニズム(cybernetic organism)」、つまり「サイボーグ(cyb-org)」が誕生したのである。
この発表は翌年、クラインを第一著者にして「サイボーグと宇宙(Cyborgs and Space)」の題で「Astronautics」 誌に掲載された。この論文では「サイボーグ」の語はクラインズが発案したものであることが明記された。

クラインとクラインズがこれらの中で主眼を置いたのは、宇宙空間において身体の機能が低下して正常な精神活動が妨げられる点に対する「治療」である。より高次である精神活動を恒常的に、地球環境にいるのと同じ正常な状態に保つために、より低次である身体に人工装置を接続することを提唱したものであった。つまり身体の機械による改造は手段でしかない。

しかし、その一方で二人は薬物や人工装置によって身体の機能を「拡張」するという概念を幾度か述べている。「サイボーグ」という語はその誕生から、後の「機械によって機能強化された人間」というSF的イメージを内包していたと言える。

1-1-2.ホールデンの『ダイダロス』、バナールの『宇宙・肉体・悪魔』

サイボーグが人工装置によって人体器官の一部を補ったものであるとすると、実はサイボーグの語が誕生する以前から、その様な存在は描かれていた。クラインとクラインズの提言は科学的見地からのアプローチと「サイボーグ」という言葉を生み出したという意味で革命的であったが、機械による人体改造という概念そのものを生み出したわけではなかったのである。

その今日的な起源を求めれば、1924年に遺伝学者ジョン・バードン・サンダースン・ホールデンの『ダイダロス』に行き着くと考えられている。この中で、ホールデンは、遺伝工学による形質の改造や人工生殖工場による体外生殖などによって、人間の生物学形質までも管理することによって、生物学的なユートピアを実現できると説いた。この論は極めてショッキングなもので、H・G・ウェルズの『来るべき世界』(1933年)、A・ハクスリーの『すばらしき新世界』(1932年)などの古典的SFの名作は、ホールデンの『ダイダロス』の影響の下に誕生したものである。

とはいえ、ホールデンは人工物によって人体を補完あるいは強化するという概念は示しておらず、人体改造を肯定的且つ積極的に捉えているにとどまる。本格的な機械的人体強化のビジョンは、ホールデンに大きな影響を受けたジョン・デスモンド・バナールの『宇宙・肉体・悪魔』(1929年)によって提示された。

同書は、宇宙への居住を目的としたスペースコロニーである「バナール球」についての言及でも有名であるが、この中でバナールは、精神活動の最大化を人間の進化と定義し、生物学的身体がその足かせになるとし、脳以外の器官を人工的な代替物に置き換えることが「必要だ」と説いた。この観点は、後のクラインとクラインズの視点に近いと言える。しかし、その発想は、約30年後のクラインやクラインズはもちろん、約1世紀後の我々の想像をもはるかに超える。

骨格の代わりに頑丈な繊維物質の外骨格に覆われた身体内部には、様々な人工器官が配されている。脳は丈夫な円筒容器に収められ、人工心臓によって絶えず新鮮な血液が供給され、電子的なネットワークに結合される。それによって、人間は場所の制約から解放される。しかも、他者の神経系ともネットワークを通じて直接つながるため、完全な形でのコミュニケーションが可能になる。
さらに、他の脳との連結は「群体脳」を形成し、人間の「個」という限界をも突破する。ネットワークに接続された脳は互いにすべての記憶と感情を共有するため、群体の中の一つの脳が死滅したとしても、その記憶と感情は保存される。つまり「個」を超越するということは同時に、死という概念からの解放でもある。
そしてやがては自我という概念すらなくなり、「複雑な一つの脳」そして「複雑な一つの心」に至る……。

「サイボーグ」ばかりでなく「電子ネットワーク上の精神」「スペースコロニー」「テラフォーミング(惑星改造)」などと、後のSFで用いられる多くの要素についてすでに説かれており、後世におきな影響を与えた。これがバナール27歳のときのビジョンであることは驚愕すべきことである。

SF作家のアーサー・C・クラークは『未来のプロフィル』(1962年)所収の「廃物となる人間」の中で、人間を機械と接合するというアイディアが、バナールの『宇宙・肉体・悪魔』に由来し、オラフ・ステープルドンの『最後にして最初の人類』(1930)で発展(同作に登場する、巨大な脳と、脳を維持する装置だけで成り立つ第4期人類などは、バナールの直接的な影響を受けた存在とも言える。最終的に「人類」とは「人類を受け継ぐ知的生命体」にまで拡大していく)、のちにクラインらによって「サイボーグ」と名づけられたと述べている。しかし、クラークは人間と機械の結合体にとって純粋に有機的な部分つまり脳はいずれ障害になり、機械の側から捨て去られる運命にあるとしている。

1-1-3.英米のサイボーグSF

さて、それでは改めて「サイボーグ」のビジョンを辿っていくこととしよう。

バナールに遅れること2年、1931年にはニール・R・ジョーンズによる《ジェイムスン教授》シリーズが始まっている。この中で、自分の死体を人工衛星内に冷凍保存していたジェイムスン教授は、約四千万年後に、死の星と化した地球の周りを回り続けていたところを、宇宙旅行中のゾル人に発見され、脳再生と機械の身体への移植の結果、「最後の地球人類」であり永遠の命をもつ機械人「21MM-392」として蘇る。その姿は、金属製の立方体の身体、360度の視野を持つ円錐状の頭部、6本の触手と4本の脚、飛行用の翼という、御世辞にも「人間」とは言えないもので、極めてバナール的であると言える。

1940年から1951年まで連載されたエドモンド・ハミルトンの《キャプテン・フューチャー》シリーズには、「生きている脳髄」と呼ばれるキャラクター、サイモン・ライトが登場している。摘出した脳を、培養液入りの透明金属のケースに収納し、それだけで生存しているという姿は、《ジェイムスン教授》の発想に近いといえる。

機械による器官の代替では、1952年のバーナード・ウルフ『リンボー』が特筆すべき存在とされる。

この作品世界では、第3次世界大戦後のアメリカにおいて、武装解除・軍備廃絶のために攻撃性の根源である人間(男性)の四肢が「自発的に」除去(Vol-Amp)されている。Vol-Ampされた部位が多いほど、攻撃性を自主的に排除したという意味で社会的に高く評価される。非暴力主義原理主義者たちは四肢欠如のまま生きるが、ほとんどのものは四肢を義手や義足で補っている。しかも、それはただの義手・義足ではなく、火炎放射器や回転鋸などの武器や、二重反転ローターなどの移動装置であることすら少なくない。超越的な力を持った人工の四肢を介することで、人間は機械を支配して自然界の心の支配者となることができる……。

発表当初に高い評価を受けたものの、異端とされて長く正当な評価を得ることがなかった。

実は、この機械により改造・強化された人間、つまり「サイボーグ」というテーマは、英米SF界では1980年代の「サイバーパンク・ムーブメント」が起こるまで傍流であり続けた。誰もが知るサイボーグのアイコンである『ロボコップ』の第一作が劇場公開されたのは、実に1987年のことである。
それでも名作とされる「サイボーグSF」は先の例以外にもいくつか存在している。

火災事故で身体に大きな損傷を負い、唯一無事だった脳を機械の体に移植され、自分が人間であることを証明するために舞台に復帰することを熱望する女性アーティストと、それに反対する科学者を、元マネージャーを通して描いた、C・L・ムーアの『美女ありき』(1944年)。

宇宙での遭難時に見捨てられ、自らの運動神経を強化して復讐を果たそうと生きる男を描き、宇宙版「岩窟王」とも呼ばれるアルフレッド・ベスターの『虎よ、虎よ!』(1956年)。

身体に異常があっても精神・知能に問題が無い場合、機械と脳神経を接続した殻人(シェルパーソン)として生きることが選択できる世界で偵察船XH-834号となった少女ヘルヴァを描いたアン・マキャフリーの『歌う船』(1969年)。

スターに憧れながらも醜い容姿で、自殺未遂による瀕死の状態から救われた後 、自律的に動けないクローン美女デルフィと接続され、広告塔を演じる女性フィラデルフィアを描いたジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『接続された女』(1973年)。

人類滅亡を回避するための火星移住計画によって、複眼の光学センサー、強固な人工皮膚、太陽光発電用の黒い翼を持った異形のサイボーグとなったロジャー・トラウェイを描いた、フレデリック・ポール『マン・プラス』(1976年)。

この移住計画のために人体を異形の姿に改造するという基本アイディアは、2018年にNetflixで配信されたSF映画『タイタン』も同じである。

その他、サミュエル・R・ディレイニー『ノヴァ』(1968年)、マイケル・クライトン『ターミナル・マン』(1972年)など、数としては1970年代には増加傾向をたどるが、先にも述べたとおり「サイバーパンク・ムーブメント」が起こる1980年代まで一般化しなかった。

例外的には、航空宇宙評論家としても知られるマーティン・ケイディンが1970年に発表した『サイボーグ』をTVドラマ化した『600万ドルの男』(1973-1978年)、そのスピンオフである『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』(1976-1978年)が大ヒットを記録している。

しかし、繰り返すが英米SFにおいてサイボーグは1980年代までメインストリームにはなれなかった。それは作家の素性も関係していたのではないかと言われている。

C・L・ムーアは、リー・ブラケットが1940年にデビューするまでは、アメリカSF界ただ一人の女性作家だった。

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアは女性作家であるが男性作家を偽装していた。それはムーアやブラケットのような例が稀であったためである。

アン・マキャフリーは姓からもわかるようにアイルランド系の女性で、1970年に離婚した後にアメリカからアイルランドに移住したシングルマザーであった。

サミュエル・R・ディレイニーは「黒人初の著名SF作家」と呼ばれる存在で、ホモセクシャルでもあった。

アレフレッド・ベスターとバーナード・ウルフはユダヤ人であり、しかもウルフはSFファンダム出身(SFファンあがり)でもなかった。

SF界のみならず、当時のアメリカ社会一般でマイノリティと考えられえる人々が多かったのである。やはり、当時のアメリカ社会を象徴する存在は、WASP(ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント)の男性であったのだ。

それは、マーベルやDCのヒーローにも表れている。スーパーマンにバットマン、アイアンマンにキャプテンアメリカ。頼れるヒーロー、つまり理想像はまさにWASPだったのだ。スーパーマンは異星人だが、いかにもWASP的な「クラーク・ケント」を名乗っている(その点で1941年に誕生し、1960年代にはウーマン・リブ運動のアイコンになったワンダーウーマンの存在は貴重である)。

因果関係かどうかはともかく、英米SFという狭い世界の中で、サイボーグSFはさらにマイノリティな作家が扱う、よりマイノリティなテーマだったのである。

「ニュー・ウェーブ運動」「サイバーパンク」のさきがけと言われる「リンボー」の作者ウルフは1985年、サイバーパンク・ムーブメント勃興を見届けて亡くなった。そしてその年、現代思想史上においても、後に「サイボーグ・フェミニズム」と名づけられる潮流(SF界において、この旗手とも言えるのが先にもあげたサミュエル・R・ディレイニーである)の発端となる、ダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」が発表された。

サイボーグが一躍、時代を象徴する概念となったのであった。

(つづく)

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