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機械と人間の狭間で ―サイボーグ、AI、アンドロイド―

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『攻殻機動隊』を中心に、欧米、日本のSF小説、漫画を題材にして、機械の人間の狭間を考えます。全8回。(完結) ※文中のAmazonへのリンクはアフィリエイトではありません。
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2020年4月の記事一覧

4.わたしは機械?(2)身体を捨てて生きられるか

4-2-1.VR世界の誕生『攻殻機動隊』で「人形使い」と融合後の草薙素子は宇宙空間の託体施設に肉体を保管し、義体にダイブして地上に現れるようになる。またネット上に自らの変種を拡散してもいる。 『アンドリューNDR114』でアンドリューは、電子頭脳を持った人工臓器の集合体であるにもかかわらず、人間として認められた。 こうなると極端なことをいえば、脳が必要であるかどうかもあやしいと言える。 果たして、情報だけの存在も人間なのだろうか? もっとも、現実問題としてそこまでの技

4.わたしは機械?(1)AIと人間を分けるもの

4-1-1.「ゴースト」という概念サイボーグ技術とロボット技術は不可分の存在である。そこに高度に発達したAIが加わったとき、サイボーグ=人間とロボット=AIの境界線は揺らぎ始める。 《攻殻機動隊》において最も重要な「AI」である「人形使い」はまさにそれを体現する存在である。「人形使い」は、もともと外務省が政治的工作のために作ったプログラム。ところがネット上であらゆる情報を収集していくうちに、「自我」に目覚めてしまう。そして自らを「AI」ではなく「生命体」だと主張するようにな

3.アンドロイドはピノキオの夢を見るか(2)機械はどこまで人間か

3-2-1.ピノキオ神話一般的に、ヒューマノイド・ロボットという人の形をしたものが、人のように考えて行動するようになった場合、人間とヒューマノイドの境界線が問題となるのは、当然のことと言える。それが、『攻殻機動隊』においては、人間の側の人間であることへの疑問という形で表出していた。 しかし、より一般的には、作品中において、ヒューマノイド・ロボットの側の「人間という存在への希求」という形で示される。この問いかけの最も有名なさきがけがディズニー版『ピノキオ』(1940年)であろ

3.アンドロイドはピノキオの夢を見るか(1)「AI」「ヒューマノイド」とロボット三原則

3-1-1.フチコマ・タチコマ『攻殻機動隊』の世界では、完全義体、電脳が技術として確立されており、AIも発達している。 AIはあらゆる場面で活躍していると考えられるが、多くは各種のロボットの制御を行っているものと考えられる。 士郎の原作には、AI搭載の多脚戦車「フチコマ」(日本神話の「天の斑駒(アメノフチコマ)」から命名)が登場して、活躍している。押井守の劇場版2作ではオミットされたものの、『攻殻機動隊 S.A.C.』シリーズでは、「タチコマ」として登場し、人気を呼んだ。