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3.アンドロイドはピノキオの夢を見るか(1)「AI」「ヒューマノイド」とロボット三原則

3-1-1.フチコマ・タチコマ

『攻殻機動隊』の世界では、完全義体、電脳が技術として確立されており、AIも発達している。

AIはあらゆる場面で活躍していると考えられるが、多くは各種のロボットの制御を行っているものと考えられる。

士郎の原作には、AI搭載の多脚戦車「フチコマ」(日本神話の「天の斑駒(アメノフチコマ)」から命名)が登場して、活躍している。押井守の劇場版2作ではオミットされたものの、『攻殻機動隊 S.A.C.』シリーズでは、「タチコマ」として登場し、人気を呼んだ。また『同 2nd GIG』『同 S.S.S.』では新型の「ウチコマ」も登場した。『攻殻機動隊 ARISE』では、直線的なデザインの「ロジコマ」が登場しており、《攻殻機動隊》シリーズを代表する「キャラクター」となっている。

これらAI搭載の多脚戦車は、毎日データを共有化・並列化するため、個性は基本的には存在せず、搭乗者や指揮権を有する人間の命令に従って行動するが、自律的な判断も行うことが可能である。とはいえ、思考する機械であるに過ぎないといえばその通りである。

しかし、TVシリーズでは、タチコマのAIが個性を獲得し、最終回には自己犠牲によって主人公たちを救っている。

『S.A.C.』では、バトーが自分の常用する1機のタチコマに無断で天然オイルを使用していたことにより、ニューロチップのタンパク質が一部溶解して、並列化時に消去されたはずの個体の記憶が保持されており、これによって各個体が個性を持ち始め、「死」の概念を理解しようとし始める。その結果、トラブルを危惧した素子の判断で全機解体されることとなるが、解体されずに払い下げられた3機のタチコマが、物語終盤にバトーの危機を救うため自らの意思で行動、2機は敵の攻撃で大破、残った一機は「さよなら・・・バトーさん・・」とつぶやきながら砲身に詰まったグレネード弾ごと敵に激突して爆散した。

『2nd GIG』では、爆散したタチコマのニューロチップから復元され、個性がよりはっきりしている。AIそのものは日本から打ち上げられた人工衛星に搭載されており、物語終盤、弾道ミサイルを止めるべく人工衛星の軌道を変更、断熱圧縮により燃え尽きながら、「手のひらを太陽に」を合唱しつつミサイルに激突した。

3-1-2.アシモフのロボット三原則

そうすると、ここで思い起こさなくてはいけないのが、「ロボット三原則」である。現代のロボット工学においても、基本となる概念とされているが、元々はSF作家のアイザック・アシモフが「わたしはロボット」(1950年)の中で言及したものである。

一、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。
二、ロボットは人間の命令に従わなくてはならない。ただし第一原則に反する命令はその限りではない。
三、ロボットは自らの存在を護らなくてはならない。ただしそれは第一、第二原則に違反しない場合に限る。

『S.A.C.』『2nd GIG』のタチコマの行動は、「ロボット三原則」に沿ったものと看做すこともできる。ただし、全く人間の命令を受けていない自律行動である点、『S.A.C.』でグレネード弾ごと敵に体当たりしたフチコマは、敵の兵士を結果的に殺している。それ以前は「ロボット三原則」に従った行動を取っていたので、これが個性を獲得した3体の「ロボット三原則」破りという考えも成り立つ。

しかし、『攻殻機動隊』の世界、特に原作世界ではロボットのAIに「ロボット三原則」が設定されているかどうかが、そもそもあやしいのである。

原作第4話「MEGATECH MACHINE」の冒頭で、一体のフチコマが仲間に向かって演説を始める。

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我々AIの情報処理力は人類よりも優れている!
頑丈だし規格も正しいし複製も取れる 耐用年数も長い!
そこで一発 人類を支配し 我々AIの世界を築こうではないか!
革命だ!!

それに対して、他の機体が意見を述べる。

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ハイ!人間ってメンテナンス メチャクチャ大変だから支配するより皆殺しがいいと考えます!

面倒だから人間同士争わせたら手間いらずで皆殺せるよ

すると別の機体たちが、人間がいなかったらメンテナンスを自分たちでしないといけないが、そんなことなら支配しなくても今でもやってもらっているから、支配するメリットが無い、と反論する。

実は発言の一部を素子が操作して、同調するものがいないかモニターしているのだが、こんなことをする必要があるのかという技師の疑問に次のように答える。

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こうやって時々討論させとくと『ロボットの反乱』なんてないと思うけど、予防になるし状況の目安にもなるでしょ? まあ実際にヤバくなっても あと4手ぐらいは考えてあるしね

つまり、「ヤバくな」る可能性があるということになり、「ロボット三原則」など設定されていないように見える。こうなるともはや、タチコマやフチコマたちのAIと人間の知性を区別することができるかどうかは難しいというほかはない。

3-1-3.ヒューマノイドと人間の境界線「ゴースト」

『攻殻機動隊』の世界には、ヒューマノイド・ロボットといったヒトと見分けのつかないロボットも当然存在しているが、タチコマほど重要な役回りを演じるヒューマノイドは存在しない。バイオロイドのプロトタイプである「プロト」がやや活躍するくらいである。

公安6課の連絡要因やオペレーターとして同じ容姿の女性キャラクターが何度か登場するが、彼女たちはガイノイドであり、バトーから「ゴーストのないお人形」と表現されている。これらのガイノイドは、ネットの端末のようなものであり、やはり、個性は存在しない。

しかし、見かけ上人間との違いを見つけることは非常に難しい。劇場版の荒巻部長が指示を出すオペレーションルームのように、同じ容姿のガイノイドが複数体並んでいれば話は別だが、原作のように一体だけが素子たちに随行していた場合、判別するのは困難である。実際、72ページでバトーが「ゴーストのないお人形」という発言をするまで、読者は「彼女」がガイノイドであることに気がつかないはずである。

ここまで、人間とAIの見分けがつかない状況になると、「攻殻機動隊」が描いた素子の悩みが生じてくるであろう。そのセリフを引用しておこう。

私みたいな完全に義体化したサイボーグなら誰でも考えるわ。もしかしたら自分はとっくの昔に死んじゃってて、今の自分は電脳と義体で構成された模擬人格なんじゃないか。いや、そもそも初めから〈私〉なんてものは存在しなかったんじゃないかって。

この『攻殻機動隊』には、電脳化という技術が存在する。ナノマシンを使って、脳とコンピュータを直接接続する技術であり、BMIの1つと言える。
ネットワークと直接接続したりできるため、あらゆる情報がリアルタイムで検索・共有可能になっており、「電脳空間」と呼ばれる仮想空間や他者の電脳などに自らの意識が入り込むことで情報を得ることができる。

電脳化した者同士であれば、有線接続ばかりでなく無線接続でも通信が行え、自分の感覚情報、感情まで共有することが可能である。このため、極めて正確な意思疎通が可能である。また、外部の記憶装置に情報の一部を書き出すことも可能である。

すると、共有された記憶と自分自身との境界線が必要になってくる。

たとえば、原作の第2話で状況説明としての情報共有のために素子がバトーたちを脳内に侵入させている。その際「チリチリする辺がゴーストライン それ以上は潜るな」と素子は警告している。

コメント 2020-03-07 115555

情報共有した部下たちは「少佐 義手が痛みますね」「何です このニガいの 鎮痛剤ですか?」と感想を述べており、感覚も共有化されていることが分かるが、これに対して素子は「そろいもそろってゴースト近くまで潜って来やがって くそッ」「これだからデリカシーのない野郎共を脳に入れるのは嫌なんだ」とぼやいている。情報と感覚の共有化が可能であり、また単純な情報記憶と「ゴースト」とが明確に区別されている(「ゴースト」の詳細については後述する)ことが分かる。

第3話で、素子は疑似体験ソフト用の性的快感データの製造というアルバイトをしており、たまたまその瞬間に、連絡のために素子の脳に接続してしまったバトーが、その感覚を共有して混乱する描写もある。ここからも、感覚と記憶の外部化・共有化が可能であることが分かる。

つまり、脳そのものも一部機械化しているのである。そのおかげで記憶や感覚情報まで外部化が可能。他人の中に入り込むこともできる。場合によっては記憶の書き換えすらできてしまう。機械と人間、自分と他人の境界すらあいまいになっていると言えば言いすぎであろうか。

そのような状況において、自分が人間であるのか、自分が自分であるのかという問いが生じるのは無理からぬところがある。

実は、この境界の曖昧化した場合の危惧を、士郎正宗自身、欄外注(97ページ)に記している。

義体を持つAIには食欲も性欲も睡眠欲も名誉欲も設定しない限り生じないと思われる。もし欲望があるとすれば、ネットを拡大したいとか何かを生み出したいとか何かをコントロールしたいとか・・・ではなかろうか。(つまり情報体として成長すること)それは近い将来判るだろうが今は何とでも言える。(まだ完全に人間を超えるAIは存在してなさそうだし)人間の定義も曖昧なのに人間を超える(意味不明)AIができた場合に、人間はそれを認識できるだろうか。

そして、まさにその注記を作中で現実のものとするのが、《攻殻機動隊》において最も重要な「AI」である「人形使い」であろう。「人形使い」に関係するストーリーは原作、押井版ともにほぼ同じで、素子が義体を失う経緯が異なるくらいである。なお、『S.A.C.』は「人形使い」が存在しない世界という設定であり、その代わりに登場するのが、『S.S.S.』の「傀儡廻し」である。

会談を控えた日本政府の通訳がゴーストハックされる事件が発生。素子たちは捜査を進めるが、それを仕掛けていた犯人、指示を出していた犯人、さらにはそれを操っていた「人形使い」と呼ばれる男も、すべてゴーストハックされて「人形使い」によって操られた人形だった。しばらく後、軍事機密に該当するロボットや義体を製造するメガテクボディ社から女性型ロボットが脱走、トラックにはねられて公安9課に収容される。外務省公安6課が、中に「人形使い」を追い込んだのだと回収に来る。「人形使い」は自らをAIではなく情報生命体であると主張。すると、6課は強引に「人形使い」を奪取する。9課は「人形使い」を奪い返し、素子は「人形使い」にダイブする。
ある事件から政府に追及された素子は、逃れるために自らの死を偽装、その際、接触してきた「人形使い」と融合、バトーの用意した仮の義体のまま姿を消す(劇場版では、奪還時の戦闘で素子の義体が大破し、そのまま「人形使い」にダイブし融合、バトーが頭部だけを回収した)。
「人形使い」は、もともと外務省が政治的工作のために作ったプログラム。ところがネット上であらゆる情報を収集していくうちに、「自我」に目覚めてしまう。そして自らを「AI」ではなく「生命体」だと主張するようになったものである。

第9話「BYE BYE CLAY」で、逃げ込んだガイノイドを破壊されるが、ネット上に偏在的に存在するようになっていたため消滅することはなく、第11話「GHOST COAST」で、再び素子に接触してきた。しかもこのとき、素子は電力消費を抑えるために自閉モードに入っていた。そもそも、あらゆる情報にアクセスできるように作られているため、ネットがつながっている環境なら、ほぼどのような状況でも進入可能であるのだった。

ここで、「人形使い」は素子に「融合」を提案することはすでに述べたとおりであるが、それは「人形使い」自身が現時点では生命体としての未完成であるからである。完全なる生命体となるには、子孫を残す機能や「死」によって全体の破局に対して抵抗力を持つ必要があるのだと説く。

コピーを増やすことはできるが、コピーは所詮コピーに過ぎない、一種のウィルスで全滅してしまう可能性は否定できないし、何よりコピーでは個性や多様性が生まれない。
また、個体の不死性は、結局自縄自縛に陥って全体が破局を迎えてしまう。
生命体を名乗るには、老化や進化のための「ゆらぎ」や自由度(あそび)がなく、破局に対する抵抗力がないことが、大きな問題であると「人形使い」は考え、そして、その解決策として、人間である素子と融合し、「ゆらぎ」と「死」を獲得しようとしたのである。

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この「人形使い」の存在によって、素子の「もし電脳それ自体がゴーストを生み出し、魂を宿すとしたら……。その時は何を根拠に自分を信じるべきだと思う?」という問いが生じる。最終的に、素子と人形使いが融合することで、あらたな情報生命体、もしかしたら人間の意識よりも遥かに上位の、あるは深部に存在すると言っていいかもしれない存在となるわけであるが、この「AI自体が魂を宿す」という可能性は、『攻殻機動隊』世界における、AIと人間を区別する「ゴースト」という概念を覆しかねないものであり、人間の根拠性の喪失につながるのである。

(つづく)

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