伏見大手筋商店街周辺を歩く
前回と同じ日の話↓
8月7日
さて今回はおっさんと伏見大手筋商店街をメインに歩いていきます。
商店街の歴史
文禄3年(1594年)に豊臣秀吉が伏見城建築に伴い大手広庭を形成。その場所に大手門を築き、それより少し曲がって西方に道を作ったのが大手筋です。
人口の増加や交通の発達など様々な理由により大手筋通りを通行する人は著しく増加。それと同時に、商店街的性格を高めようとする機運も高まっていきました。
大正時代に沢山の寄付金を得て約30基の街路灯を設置して、商店街としての形成を確立。街路灯は、すずらんの花をかたどったランプが5個ついているデザインでした。
伏見大手筋商店街
金魚可愛い。
タペストリー
名所などを紹介しているものもありました。
からくり時計は調整中。
此付近伏見銀座跡
銀座とは一定の品位をもつ丁銀や小玉銀などの銀貨を製造する独占鋳造所のことで、それは特権商人達によって構成されました。
慶長6年(1601年)5月、徳川家康は後藤庄右衛門と末吉勘兵衛に銀座取立を命じ、この地に屋敷を与えました。
有力商人の座人が集められ、銀鋳造に関しては特殊な技術を持っていた大黒常是が担当し銀座会所や座人屋敷が立ち並びました。こうして徳川家康によって初めて銀座が置かれることとなりました。
慶長13年(1608年)銀座は京都の両替町に移され、伏見銀座は廃止されましたが今も地名が残されています。
商店街を通り抜けて、
何処に向かっているのか分かりませんが、おっさんについていきます。
近鉄桃山御陵前駅。
伏見桃山商店街。ここを通っていくの!?と内心思っていました。
総本家駿河屋伏見本舗さん、桂鮎可愛い。
機会があれば食べてみたいな。
その向かい辺りに何やら気になる建物を発見。もしかして…?とGoogleマップで検索すると前から話題にしていた建物でした。
鳥羽伏見戦の弾痕
江戸末期の慶応4年(1868年)1月3日と4日に新政府軍と幕府軍による鳥羽・伏見の戦いが起きました。
この戦いで、伏見の街は南半分が戦災焼失し焼け野原となりました。しかしこの建物は焼失を免れ現在も残されています。
後はもうコインパーキングに戻るだけなのですが、
「帰り道の途中にあるので、ここ行ってもいいですか?」
とおっさんが言うので、行くことになりました。
電気鉄道事業発祥の地
京都駅の近くにもありましたね。
地蔵尊があるからお地蔵さんなのでしょうか?
コインパーキングに戻り移動して、おやつ。
昨年、初めてサクレのゆずを食べて一目惚れしたものの1度しか出会えず季節は巡り今年の夏になりました。
「今年もサクレのゆず発売されないかな…」と、おっさんに話をしていたら発売されたんです!
だからこれから先、頻繁に出てきます。笑
晩ご飯。
夜は駐車場に車を停めて記事を確認してもらいながら、サブチャンネルの高校野球を見ていました。するとですね電波が弱かったのか突然オリンピックのレスリング男子にチャンネルが切り替わって、この日一番笑いました。
○参考にしたサイト