日本人にとって美味しいもの
御所文化と密接な関係にある料理の味
東京の食べ物がおいしいか、大阪の食べ物がうまいかというのは、昔からよくある食文化についての論争のネタだ。関西には奈良、大阪、京都と受け継がれた長い御所文化がベースにあるので、日本の料理文化はどう見ても京都や大阪が源流で、これらが段階的に全国に広がっていったことは間違いがない。今でも日本料理の修業となると、必ず京都か大阪の有名な料亭で見習いをする。しかし、現代では人の往来が盛んになり、また外食チェーンが食文化の中でかなりのウェイトを占めるようになって、料理の味も全国的にかなり平準化している面がある。だから単純に東京の食べ物がおいしいとか、大阪の食べ物がうまいとかいうのはあまり意味がない。
元々料理というものは、その地方で採れるものをベースにして、その地方で育まれた味覚によって創造されてきたので、当然料理のバリエーションにも地域としての限界があるし、料理の中身もある程度限定されてくる。まったく鮭の獲れないところで、鮭調理はないだろうし、牛を飼育できない場所に名物の牛肉料理はないと思うのだ。その代わりその地域独自の魚や鶏などの名産品や、風土に磨かれた野菜や漬物があるのかも知れない。そうした環境を受け入れて、できるだけ豊かな食べ物を育むのが地域の食文化のテーマだと思う。
料理の材料と味は、時代によって変化する
それだけではなくて、食文化の環境はどんどん変化する。何しろ、和歌山の湯浅の醤油などは、和歌山から船で江戸に送られる過程で、台風か何かで千葉県沖で沈没し、その際に醤油の樽が流れ着いた千葉の人々に醤油文化が伝わり、おそらくこれが千葉の醤油産業の発祥につながったのだろうという説もある。さらにはこれをきっかけに、関東で急速に醤油が普及するといったことがあったのかも知れない。また、紀州のかつお節がやがて全国各地の漁場に伝わって、土佐や焼津など日本各地に鰹節の製法が伝搬していって、やがて料理の旨味がうまいものの基本となっていったが、これも日本の食文化においては大きな変化だったと思う。
関東の味、関西の味という話になると、一つは軟水で豊かな旨味を出す昆布と、硬水でも旨味がでるカツオの使い分けなどが一つのポイントとなるが、昆布だしを大切にするのはやはり関西料理の特徴と言える。もう一つのポイントはやはり醤油の塩加減かも知れない。これについては、塩分が濃い醤油の料理を好む関東と、薄味を好む関西というようにとらえられているが、それは少し違っているように思う。私の経験からいえば、関西は薄味というより、料理の素材の味を大切にしているので醤油の味をできるだけ控えめにしようという発想があるのだと感じる。一方、塩味を重視する関東は、個別の食材の素材の味を楽しむというのではなく、料理全体としての濃いめの味覚バランスを受け入れる傾向にあるのではないかとも思う。
自分だけの新しい料理と味があってもいい
いずれにしても、味覚というのはその人が生まれてきて、生きてきた履歴のようなものなので、その味覚への愛着は深い。それだけに自分の味覚を否定されるということは我慢にならないことで、そのことは理解しておいた方がいいと思うのだ。しかし私たちの現代の味覚は、明治以降の中国料理、欧風料理の流入と、戦後のパン食、肉料理重視の外来食文化の浸透、国際化の圧倒的な進展で一気に多様化、複合化して、自分の味覚アイデンティティが崩壊の危機にあるような気がする。そこでこれまでの自分の味覚をいったん横において、赤ん坊のように一旦無垢の舌に戻して、そこから自分の味覚を再発見し、どこの国でも、どこの地方でもない新しい自分の味を再構築してもいい時代なのかもしれない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?