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音楽マネージャーとライター、事業家などに夢中になっているうちに、いつの間にかかなりの月…

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音楽マネージャーとライター、事業家などに夢中になっているうちに、いつの間にかかなりの月日が経ちました。何か新しい楽しみを発見している最中です。

最近の記事

「失意」を慰めてくれる川の畔

川は過ぎたこと、戻らぬことへの未練を忘れさせてくれる 「失意」という言葉を聞くと、私は大きな川のほとりを一人で歩いている情景をイメージする。人と共通に「失意」を感じるというケースはあるにしても、「失意」の場合はやはり一人でいるのがふさわしい。こういう時に川をイメージするのは、川は途切れることなく流れていて、人間の無常観を象徴するものだからだと思う。過ぎたこと、戻らぬことへの未練の思いを、知らず知らず忘れさせてくれるのが、川の流れなのかも知れない。 私は、大阪、京都、東京にそ

    • 家一軒分の値段がする牛の「すき焼き」

      音楽の世界で私の役割とは? 音楽マネージャーの仕事でも、オフィスワークとステージの仕事があって、これはおそらく上司の独断で、特に理由もないのに、お前はステージ、お前はオフィスワークといい加減に分けられていたように思う。私は入社した当時社内で一番若かったので、初めから力仕事と思われていたステージ担当ということになり、しかもほとんどがツアーの担当だった。しかし後になってよく考えてみると、音楽の世界でも確かに特性というものがあって、上司が有能だとは思わないが、それなりに適材適所と

      • 「夢千代日記」と「松葉ガニ」の時代

        仕事を切り上げ、大阪から車で4時間の「湯村温泉」へ 企画や広告制作の仕事をしていても、経済状況や社会の動向によって多少仕事の内容にも変化があった。ちょうどこの頃はレジャー産業に活気があって、旅行パンフレットの受注が盛んだった。かなり昔のことだが、私たちの会社も、大手旅行会社のパンフレットの制作を担当していたことがあって、クライアントである旅行会社から、特別料金で兵庫県美方郡にある「湯村温泉」の名物旅館を紹介してもらったことがあった。「湯村温泉」は、その当時仕事の拠点だった大

        • もてなし、てんこ盛りの「道の駅」

          鉄路に駅があるのだから道路にも駅が! 「道の駅」が流行っている。本来は鉄路に駅があるのだから、道路にも駅があってもいいのではないかということで、自然発生的にどんどん「道の駅」が全国に広がったのではないかと考えていた。しかしそれは出来過ぎた話で、気になったので少し調べてみた。 すると、やはりそれほど牧歌的でも理想的でもなかったが、考えてみれば確かに道路は国土交通省の管轄で、やはり彼らが音頭を取って広げた公共的なものらしい。「道の駅」の出来た経緯はどうあれ、全国各地の道路上に「

        「失意」を慰めてくれる川の畔

          私の最新作『「台風」と私の距離感』はkazぼすメンタルアナリストさんのマガジン『気づきSTATION』に紹介いただきました。

          私の最新作『「台風」と私の距離感』はkazぼすメンタルアナリストさんのマガジン『気づきSTATION』に紹介いただきました。

          「台風」と私の距離感

          大嫌いだが、気になる「台風」という存在 私は幼いころから長く大阪に住んでいた。また大阪の中でも大阪湾、大阪港にかなり近いところに住んでいたので、台風が来るとすぐに家が水に漬く。会ってもまったくうれしくはないが、大嫌な親戚のおじさんのようにわが家と「台風」とは切っても切れない関係にあった。大自然のダイナミズムとでも言おうか、台風の進路は千差万別だが、大阪に住んでいたせいか、潮岬、紀伊水道、大阪湾、大阪市というように大阪に住んでいる人にとって、最悪のルートを辿ることが多いように

          「台風」と私の距離感

          「雷」の爆発的な迫力を描いた絵画は?

          雷は無条件に恐ろしい ごく最近、私の住んでいるマンションに大きな雷が落ちた。と、錯覚するほどマンションの近くへの大きな落雷があった。これほどの大きな雷なら、だれもがそう思うのではないかと思う。しかし落雷直後の物理的なショックから少し経って、いくぶん冷静になると、落雷の現場はこのマンションではなく、近所だったと認識できるようになる。結果を言うと、私のいるマンションから二軒先のホテルだったようだった。もちろん落雷したと言っても避雷針に落ちたので、腹の底にずしんと響くような落雷の

          「雷」の爆発的な迫力を描いた絵画は?

          わたしの記事「寝台列車」はいわのり@お仕事ですさんのマガジン《推したい記事》に収集していただきました。ありがとうございます。

          わたしの記事「寝台列車」はいわのり@お仕事ですさんのマガジン《推したい記事》に収集していただきました。ありがとうございます。

          「和食」はなぜ世界に好かれるのか

          ちょっと美味しいものが食べたい 最近は、あまり美味しいものを食べた記憶がない。毎日、栄養バランスも考え、規則正しく三度の食事を摂っているが、どうも人間はそれだけでは満足できない。と言って何を食べたいのかと聞かれたら、焼き肉、ステーキ、ハンバーグと答える若い者のように即座には答えられない。そこそこ大人になって、日常の生活でちょっと美味しいものを食べたいという曖昧な感覚は、どうもそんなところにあるようだ。私の知人は、京都の「錦市場」で珍しい食材や食品を見つけてきたり、自分のとこ

          「和食」はなぜ世界に好かれるのか

          バクは「悪夢」を食べてくれるか?

          夢を食べるという「バク」の発想が好き 私は昔から「バク」という動物が好きだった。実際に動物園で見てから好きになったとか、絵本で知って興味を持ったとか言う前に、子供のころから「夢を食べる動物」という考え方そのものが好きだった。子供心にも、夢を食べるというダイナミズムに圧倒されたのだと思う。「バク」という動物は漢字で「獏(ばく)」と書かれるが、この漢字は古い中国の「麒麟(きりん)」と同じように想像上の動物であった可能性もある。だから、「獏」という漢字が、昔から現存していたマレー

          バクは「悪夢」を食べてくれるか?

          死者たちに捧げる安息の場

          生活の場から次第に遠くなる「墓地」 私の住んでいるマンションの部屋から、眼下に京都の中心部としては珍しい大きな「墓地」が見える。ここは京都なので、この辺りにも全国的に名を知られた古刹も多く、寺領に付属している「墓地」ならいくつもあるが、寺と切り離された、ただの「墓地」だけの存在は数少なくなっているのではないかと思う。おそらくその背景には、管理が行き届かなくなって荒廃している「墓地」は、有利な不動産物件になるということがある。 私はいつのころからか、「墓地」とは人間の社会が死

          死者たちに捧げる安息の場

          「不浄負け」という不思議なルール

          相撲でまわしが取れると「不浄負け」に 相撲でまわしがほどけると、「不浄負け」という決まりがあって、まわしがほどけた力士が負けになる。そんなことがあるのかと思う人もいるかも知れないが、かつて「若秩父」という力士が、まわしが取れて負けたことがあったらしい。あったらしいとは何とも歯切れの悪い表現になるが、この相撲の取り組みの様子を「なぎら健壱」というコミカルなシンガーソングライターが「悲惨な戦い」という歌にしている。 昔そういうことがあったので、その後私はこの「不浄負け」という

          「不浄負け」という不思議なルール

          「天才少年」が選んだ道

          同級生に「将棋の天才少年」が 小学校時代、私の同級生に「将棋の天才少年」がいた。確か最初に同じクラスになったのは、小学校の五年生の時だった。私は将棋のことにはまったく疎かったので、まず「将棋」というものの社会的な存在感が分からない。しかも私自身が将棋というゲームに無関心だったので、将棋の天才少年ということの具体的な意味が理解できていなかった。「将棋の天才少年」という言葉は、彼の天才ぶりを報道した新聞記事のヘッドラインだったが、野球などのスポーツの天才少年であったら、私のよう

          「天才少年」が選んだ道

          相手が機械だったら、これでいいの?

          必要もないのに、自動販売機が増えてきた 最近は、店頭で店員からモノを買うのではなく、「自動販売機」で買う機会も増えた。相手が人間だったら、失礼な態度の場合は怒るが、機械が不調な場合は、仕方がないとあきらめることが多い。例えばそこで、機械と人間とのやり取り、もっと簡単に言えば「自動販売機」とのやり取りをシミュレーションしてみる。そこには、人間同士ではありえない、無礼なやり取りがあると思うのだが、いつも人間が我慢しなければならないのだろうか。 一応、ある程度リアルなシミュレーシ

          相手が機械だったら、これでいいの?

          なにげなく懐かしいかつての日常の街

          「亀有」で触れた東京の日常 何の変哲もない日常からも遠く離れると、時にその日々が色鮮やかな一枚の絵ハガキの様によみがえって懐かしく感じることがある。私がよく行ったJRの「亀有駅」のその辺りはビジネスエリアではなく、いわゆる商業地域だった。サラリーマンの昼食需要が多いとも思えなかったが、昼の11時半を越えると、さすが一気に私がいる店もお客さんで一杯になった。お客さんの様子を見ていると、昼飲みの中年アベックたちが3割、昼食にやってくるサラリーマンがやはり3割、それにこの店がある

          なにげなく懐かしいかつての日常の街

          chibi3さんが運営されている「何度もよみたいnoterさんの記事」にコレクションいただきました。

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