猫仕様だったわが家の食卓まわり
家族の食卓か、猫の食卓か
私の父は、あまり人間的な美質を持ち合わせていなかったが、かなり変則的な母の不思議な食事習慣に一切口を挟まず、好きなようにさせていたのは父の数少ない美点だと思う。自分の母の欠点をあげつらうのはよくないと思う一方、母の奇妙な生活習慣についてはつい人に話したくなる。私の母は、およそ家事と言うのが嫌いだった。直接母に聞いたことはなかったが、もし許されれば夏なら涼しいところで、冬なら温かいところで、ひとり寝転んでいたいと思うような人だった。
とはいえ、父と結婚し家庭を持ち、たくさん子供もいたのでまったく家事をしないわけにはいかなくて、しかもどうしたわけかいつもかなり広い家に住んでいたので、現実的には家族がいない場面では、結構忙しく家事に没頭していたのかも知れない。しかし私たち子供の眼には、私たちが知っている一般的な主婦とは違った生活文化を堅持していた。まずは母は猫が好きだった。しかし、いわゆる猫好きというのでもなかったし、場合によっては猫ではなくて犬の場合もあり得たと思う。自らペットショップで猫を買うようなタイプではなかったし、野良猫問題に社会的な関心があって、積極的に野良猫をケアーするのでもない。つまりは、子供たちが家に持ち帰った野良猫を決して拒絶せず、そのまま家で飼うというただそれだけのことだった。そうすると家の猫が増えるばかりだが、母としてもそれは困るので多彩な母のネットワークを駆使して、猫の譲渡には努力していたようだった。器量が悪くて譲渡できなかった猫は家で飼うのだが、そうすると平均的に家にはいつも見栄えのよくない一〇匹程度の猫が残ることになる。子供たちは妊娠した猫も構わず保護するので、どんどん猫を知り合いの家に譲渡しても、かなりの数の猫がわが家の飼い猫になるという事になる。
これは、決して意図的なものではなく、どの生命もそこそこ大切なのでできるだけ大切にしようとする母の本能みたいなもので、母の性格の一つだと言える。
食べて飲んで寝るのも母だけの流儀
母は食事の際に、テレビを見ながら多少の酒を飲む。もともと酒に強いわけではないので、少し酒を飲むとすぐ眠くなってくるようで、いつの間にかそのまま寝てしまう。初めは普通に食卓に向かって食事をしているのだが、眠くなると家族をそのままにして、仰向けになって寝てしまう。冬場なら炬燵(こたつ)に入ったまま寝込んでしまうのだ。ただ食卓の周辺には枕がないので、寝入りそうになると母は、すぐに手近な枕になりそうなものを引っ張り寄せて枕にする。大抵は「山本山」などの海苔のブリキの缶が枕になる。そのまま母は寝入るのだが、そうなると困るのがたくさんいる猫たちだった。猫たちは通常の猫缶などの食事とは別に、母の食卓にある夕食のおかずを母にねだるのが楽しみなので、母が眠たくなるにつれて猫への対応がいい加減になる。そうなると猫たちも黙っておられなくて、寝ている母の胸の上に載っておかずを請求するのだった。
寝入りばなの母は、仕方なく小さなお皿におかずを適当にとって猫に与えてすぐに寝るのだが、時間の経過とともに眠りが深くなるものだ。しかし猫はそれでは困るので、ますます母の周辺に集まってきて、眠っている母におかずを請求し続けるという事になるのだった。
こうなると母は、睡魔に襲われてきているので、猫への対応がますます面倒になってくる。その時点では、家族のうちの一人や二人はまだ帰宅しておらず、秋刀魚や鯖ならそのまま一匹お皿の上に残されている。すると、猫におおかずをほぐしていくつかの皿に分けるのが面倒な母は、半ば寝たままその誰かのおかずの魚一匹を、自分の寝ているところから少し離れた場所をめがけて放り投げるのだった。猫たちは、その魚が放り投げられて場所にかけてより、みんなで魚を食べるという経過になるのだった。一般の家なら大変なことなのだが、わが家においては日常茶飯事なので、他の家族は母と猫を放置して、そのまま食事を続けるのだった。この経過には前後があって、私たち家族は母の日常的な行動を知っているので、母が猫たちに魚を投げる場所をほぼ正確に理解しているので、その場所にはかなり厚手のビニールを予め準備していて、食後はそのビニールの後始末をする習慣が出来上がっていた。だから母が酔いから醒めて食卓に座り直した時には、食卓の周辺は原状復帰しているという事になる。
ただ、元の状態に復帰したとしても、長期的には厚手のビニールが置かれてあった周辺の畳は、長い時間が経つとかなり油が染みたりするので、時間の経過につれて、置かれるビニールシートの大きさはどんどん拡大するという事になる。
実はわが家には、私たちが日常的に食事をしている和室とは別に、本来のダイニングのための洋室があり、いつも食事に使っている和室があまりに雑然としてくると、応急的に食事の際はダイニングや別の和室を使い、食事に使っている和室を整理整頓してクリーンアップするある種のシステムが出来上がっていた。部屋の汚れに対応して食卓のある部屋を巡回するというのも、私たち家族から見ると縄文時代以来の母の習慣の延長上にあると思えるのだ。母は、割合と豊かな商家の出身で、そういう性格の由来はよく分からないのだが、こうした習慣は終生変わらなかったので、それを許容し続けた私たち家族も変わっていたと言われればその通りかもしれない。