秋だ、サンマが旨い。
スーパーにサンマが並びはじめた。
まだちょっと高いなあ、と主婦目線では思いつつ、何度か素通りすること数日。うん、でもやっぱり買おう!と手にとった。わかりやすく、旬に弱い。
「旬のものを食べられる贅沢」を人一倍かみしめてしまうのは、かつて一年以上を外国で過ごしたことがある、という経験もやっぱり影響しているんだろう。
日本に帰国したとき、雪がふっては感動して涙が出て、桜が咲き始めてはまた感動してため息が出た。そういう景色の中での四季の移り変わりにも感動したが、加えて、食卓での四季の移り変わりにもいたく感動したのである。
秋になれば栗ごはんやサンマに梨、冬になれば白菜のたっぷり入った鍋物、春がくれば七草粥に、山菜、菜の花。夏になったらスイカにメロン、そうめん、ざるそば、冷やし中華。薬味にみょうがやオクラも添えて。
なんのレストランでもなく、ただの一般家庭の食卓が、1年を通してこれほどまでに彩りを変える。なんと贅沢な体験であることか。
もともと以前から、「旬だからね」と旬のものを食卓に並べようとする母の影響で、旬のものを食べることは好きだった。でもその「ありがたみ」を思い知ったのは、海外生活を経て帰国したときだった。
* * *
そこへきて、スーパーのサンマである。あらまだちょっとお高いわ、と思っても、いやいや、まず一回は食べておかなくちゃ!と手が伸びた。
なるべくおいしくいただきたいと「サンマ おいしい焼き方」で検索。
ふむふむと見て、「あら?こっちの魚屋さんとこっちの料理家さん、言っていること真逆だわ〜」とか思いながら、結局そのどちらも中途半端に取り入れた自己流で塩をふり、手ですりこむ。
予熱しておいたグリルを開け、サンマを並べて、待つ。換気扇は「強」にしておくのもお忘れなく。
途中、焼き具合を見ようとグリルを引き出したら、もうその焼けている様子がたまらない。脂がじゅわじゅわ、ぱちぱちいっていて、光り輝く表面の皮がほんのりきつね色に色づきはじめている。
わたしは旅のなかで、目的地よりもそれまでの移動が好きなタイプだったのだけれど、食べものにも似たようなところがあるのかもしれない。焼き上がっていく様子を見ているときが、いちばんわくわくしていた。
うーん、美味しそう、美味しそうとひとり、心のなかでつぶやきながら。
* * *
焼き上がったサンマは、おいしく家族の胃袋のなかにおさまった。
1歳の娘も、サンマの塩焼きデビュー。そのままでは塩気が強いかなと、皮をのぞいてごはんに混ぜてあげたら、パクパク食べた。嫌なものは「べえ」と舌を出して吐き出す主義なので、どうやらお気に召したようだ。
「お魚、おいしいね。サンマだよ。秋のお魚だよー。おいしいもの、いっぱいあるよ〜」
娘に向かってスプーンを差し出しながら、だれに聞かれるわけでもなく、ぶつぶつとつぶやくわたし。
ふだんは「手抜き料理よ、手抜き料理」と言いながらも、旬のものだけは「旬だからね~」と、毎年毎シーズン、食卓に並べつづけて育ててくれた母の気持ちが、いまならわかる。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。