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誰かの親であり、誰かの子であり。

4歳と一緒に、実家に帰省しています。

帰ってきて母といろいろ喋っていて、大人になったんだなあと思いました。

だってさ。話す内容が。
誰かの何回忌がもうすぐだの、うちのお墓はどうするかだの、家はどうなるかだの。
そんな話ばーっかりしてたわけじゃないけど、20代の頃ならしなかった話題です。

そんな中で4歳は、自由に無尽に走り回ってました。いつもと違って大きいおうちは楽しいね。


子どもとお年寄りは、似ている部分があって。
できないことがあること。判断する力が弱いこと。

母と話していてすごく身にしみたのは、そのうちわたしは、父や母のことを、他の誰かと一緒に本人抜きで決めることが出てくるということ。
一人の人間だから、もちろん尊重されるべき存在ではあるんですけど。本人の意思を尊重しながらも、いや尊重するために、どういう風に生きるかを本人じゃない人と話し合う時間が、きっとそのうちくる。
しかも、ものすごーく未来の話では、多分ない。

子供とお年寄りは似ている。
子どもも、本人のいないところで本人の話をされていることがある。
わたしもやります。夫と、保育園の先生と、自分の両親と。

ゆくゆくわたしもそうやって、子どもにわたしのことを決めてもらう日が来るんだろう。
そうして、他の人たちで出された結論を、わたしのところに差し出される日が。

多分まだまだ先の未来のはずだけど、そんな風に考えていました。


30代。不惑まではまだもうちょっとだけある。
それでも、わたしの記憶にある元気な両親は、もういない。
人生を折り返して、少しずついろんなことが、できなくなっていく。

わたしは両親と、あとどれだけのことができるんだろう。


子どもが生まれてから、子どものことばかり考えていて。子どもが親の手を離れるとき、巣立つときのことを空想したりしていて。
寝ても覚めても、今は子どもが一番で。
でも、わたしも誰かの、両親にとっての子どもだったことを、今回の帰省で改めて思い出しました。

両親がいて、わたしがいて、4歳がいる。
すべて、つながっている。


今日も読んでくれて、ありがとうございます。

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ただのはる
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