「もういいかな……」の判定
たまに「もういいかな……」といって何かを打ち切る人がいる。このフレーズで示したい事態とは、はっきりとした根拠は示すことができないか、やめる根拠を敢えて示さなくてもいいだろうけれど、とにかくもう止めた方がよい!ということである。言い換えれば、「そろそろ潮時だ」とか「もういかなくては」とか「いいかげんにしろ」などでもいい。例えば、それは会話の打ち切りであったり、遊びの打ち切りであったり、ケンカの打ち切りであったり、仕事の打ち切りであったり、ギャンブルの打ち切りであったりする。
ときどき、「もういいかな、もういいでしょう……」と言われても、私には何を根拠として「(打ち切って)いい」のかよくわからないこともある。ただ、私も一応それなりに世渡りはしてきたので、相手からそういわれたらそういうものかと思って従ったほうがきっといいだろうと思う。
どんな理由が背景にあるのだろうか?
例えば、自分は疲れているし、みんなも疲労しているだろうから、あるいは汗をかいている様子が見てとれるから、「もういい」なのかもしれない。言われた方も、自分自身がすでにかなり疲労していることを自覚するか、体力がなさそうな他の人が限界を迎えているか、もしくは楽しくやれないところまで来ていることにそう言われて察するのかもしれない。
例えば、夜がふけて活動したり騒ぐのに適した時間帯ではなくなったから「もういい」なのかもしれない。翌朝の都合はそれぞれあるだろうから、それに気がついてもらいたい、という意図なのかもしれない。
例えば、怒りが爆発して言い争いになり、殴り合いが進んでそれなりに争う双方ダメージを負って、当事者だけだとひたすらやり返さないと気が済まないだろうから、第三者が止めに入って「もういい」と叫ぶのかもしれない。当事者たちにも争いを始めてしまった、応じてしまったというメンツがあるから一方的にやり込めない限りはなかなか途中で自制することはできない。だから、誰かに「もういい」と言われたのをチャンスとしてお互い踏みとどまれるという効果があるのかもしれない。
例えば、賭け金が底を尽きそうだから「もういい」なのかもしれない。「あなたの軍資金は底を尽きそうだ」なんて第三者の前で言って面目を潰すものではないから、そこははっきり言わずにただ「もういい」と言って止めてあげるのがよいということかもしれない。
例えば、腕立て伏せなどのトレーニングが規定の回数を超えたから、「もういい」なのかもしれない。自分の中でハッキリした基準があって、深堀りすれば理由も言えなくもないが、或る意味では反復しているから当たり前過ぎるので毎回言わないだけなのかもしれない。
例えば、今の活動を続けてもいいけれど、別のことをやり始めたいから「もういい」なのかもしれない。楽しく食事したり会話したりしていたけれど、「もういい」から相手を抱き寄せたりするのかもしれない。
今日はこれぐらいにしておくか。
(1,216字、2024.04.05)
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