帝王學II the Emperor Time
大学で学んだことのひとつに、ドイツの古典哲学者ヘーゲルの教説がある。彼は暗号のような書き方をすることでも有名で、そのため今日でもヘーゲルが何を言おうとしていたのかよくわからないという研究者もいる。だから、私がここで述べることもヘーゲルを部分的に読めばそうも読めるということでしかない、と予防線を張っておく。
ヘーゲルによると、事柄の真理(正体)を探求するに当たっては、高みに立たなければならない。なぜならば、その事柄の全体を見渡せすには高みに立つ必要があり、かつ、事柄の真理を探求するためには全体を見渡す必要があるからである。そして、歴史において事柄の全体を見渡す立ち位置にいたのはカエサルやアレキサンダー、ナポレオンといった「皇帝」たちであったというのである。
第一次世界大戦以前は、国境は比較的単純であり、戦争 war もひとつの決戦 battle によってその勝敗が決定された。そして決戦がおこなえるような、部隊が展開できる広い平野は限られていたので、将軍たちや他国から来た観戦武官はその決戦を高い位置から一望の元に監視し、自国の部隊に命令を伝達することができたのである(むろん、陣頭指揮を取ったケースもあるだろうが)。そういう点では、戦争という当時最も込み入った事象を高所から分析し、実際に大軍を動員指揮して敵に勝利するというプロセスを踏んで皇帝の地位にまで登り詰めたカエサルやシーザーはまさに「全体」を把握するにふさわしいだけの才能を持っていたからその地位に行けたのだろう。
また、ヘーゲルは人類の歴史は「自由」の拡大であるとも言っている[要出典]。しかし、ヘーゲルの自由は独特であり、我々が考えがちな単なる束縛からの解放、いわゆる消極的自由とは異なっている。おそらく、そこにはカントの「自律」の概念も絡んでいるのだろう。歴史において、自由は多くの人に普及したのだが、古代の専制君主であれ、彼の時代の立憲君主であれ、君主というものは自由だと彼は考えていた。しかし、君主の自由はそれ未満の民草の自由、すなわち消極的自由とは異なるものだ。なぜならば、君主は今の日本なら三権に分かれている司法・立法・行政を一手に引き受けているから、君主は自分自らが従う法律を自らの名で作り、自ら従わなければならないからである。君主は立法者であると同時に行政の運用者でもあり、また裁判官でもなければならなかったのである。
しかし、時代が下ればそうはいかない。君主は臣下たちに権限を委譲しなければならない。なぜならば、君主一人の才覚で国家や軍隊を率いて勝てる時代はナポレオンの頃に終わったからである。すなわち、戦争や政治の規模がテクノロジーの進歩によって拡大し、またそれと共に民衆の要求水準も上がって来たからである。だから、君主は首相や参謀総長、国会、最高裁判所といった専門家や国民の付託を受けた人々に権限と責任を委譲したのである。
今では反対に、その君主というのが国家にとって盲腸のように不要なシロモノではないかと疑われ、共和制で運営される国家も多くなってしまった。むしろ、君主の方が、国民に必要とされる存在であろうと努めると共に、君主としての普通の国民からの超越性・隔絶性を同時に維持しなければならないという板挟みに合っている。ご苦労されていることと思う。しかし、君主はその国の文化や伝統の創設者 founder として、あるいは国民の一種の標準として機能しており、例えば国家公認の資格や裁判所の権威などの供給源とも成っているとも考えられる(それを定量化することは極めて難しくまた危険でもあるが……)。
私個人も、別段何の血筋もないので額面通りの君主に成れるわけではないが、自分自身で定めたルールにしたがい、秩序を創設し布教することによって君主のような存在になりたいと思ってはいる。独立国家建国である。しかし、余生も多くはないかもしれないなか、なかなかそのような境地にたどり着くことは難しいかもしれない。
(1,635字、2024.01.19)