想像力が可能性の空間を産み落とす場合・産まない場合 whether your imagination makes the space of possibilities
もしあなたがこれから何かをする場合、例えば外食に行く場合、そこにはさまざまな選択肢がある。すなわち、カレーライスを選ぶこともできれば、カツ丼を選ぶこともできるし、パスタや定食を注文することもできる。言い換えれば、あなたの将来の行動についてあなたは一定の想像力を既に持っていて、カレーライスを食べた方が満足なのか、ラーメンを食べた方が満足なのか、両方食べた方が満足なのか……といった諸々の可能性の中から、味や食感の好み、価格、健康や体調に与える影響などを材料にして決定することができるのである。仮に、あなたがこれから食べる食事をサイコロやくじ引きで決める企画が提案されたとしても、あなたは何も違和感を感じないだろう。なぜならば、元々意図的に選択していたものを無作為の選択に置き換えただけで、諸々の可能性から選択するという点では同じだからである。
このように未来のことについては何が生じるか生じないかわからないし、まだ決めてないことだらけであるから、そこには我々が想像し得る限りの選択肢の束、すなわち可能性の空間が広がっている。未来の或る時点が到達したときに、あなたはその「空間」のどこかにいることになるような、そんな空間である。具体的に言えば、例えば{カレー、カツ丼、ラーメン、パスタ}という空間があれば、それは4つの位置(要素 element、元)を持っており、あなたは次の昼食のときにその中でどれか一つの位置を占めるということになる。あるいは、例えば「首相なんて誰がやっても一緒でしょう」というときは、首相に誰を選ぶかには複数の選択肢があることは知っているけれども、それはどの選択肢を選んでも類似の結果しかもたらさない無意味な選択だとみなしていることになる。つまり実質的に可能性の空間はたたまれてしまって、もはや空間ではなくひとつの点になってしまっているという意味であろう。つまり、一つしか無い選択肢はもはや「選択肢」ではない。それもやはりあらかじめ可能性の空間が開けていればこそ、それをトリビアルなものとして閉じることが可能になるのである。
一方、自分が生まれたときから変わらない既成事実について、我々がそれを選択肢のひとつ、あるいは多数の中のひとつ one of them だと捉えることは困難である。なぜならば、既成事実以外の事態にそもそも直面したり体験したことがないからである。例えば、我々は自分がトラルファマドロス星人である可能性について考えないだろう。なぜならば、我々はトラルファマドロス星人などという名前は聞いたこともないだろうし、仮にトラルファマドロス星人という名前を知っていてもその詳しい実態や我々が共感可能な部分を持った生活を織り成す生命体かどうかもわからないからである。したがって、我々は「トラルファマドロス星ではなく地球に生まれてよかった!」とか「トラルファマドロス星人に生まれればよかったのに!」と考えることがない。なぜならば、我々にとっては地球上にヒトとして生まれたことが既成事実としてあって、それはもう選び直すことができないからである。例えば、輪廻転生を信じるならば「もし◯◯に生まれ変わったら……」とか「◯◯だったらこう感じただろう」といった反実仮想をリアリティを伴って想定できるだろう。しかし、それは他人や他の生き物に自分自身のあり方を投影できるからであって、たとえ輪廻転生を一種の既成事実として信じていたとしても、トラルファマドロス星人はそこから仲間外れにされてしまうのである。
とはいえ、トラルファマドロス星人という突拍子もない存在が実在すると信じ、なおかつそこに我々との共通点や人格を承認していくことにでもなれば、我々にとって新たな可能性の空間が開かれていくことになる。言い換えれば、我々が我々の経験を「トラルファマドロス星」という地域や「虎ルファマドロス星人」も人間のカテゴリに入れていいと記号列で共通にくくることから新たな可能性の空間が生じるのである。
本稿では、我々は未来のことについては可能性の空間を手にしていること、また我々にとって生まれたときから所与の、もはや選び直す余地の無い既成事実については可能性の空間は無い場合が多いが、記号列の使い方によっては、そうした既成事実についても「そうではなかった可能性」を想定することができるようになり、そこから新たな可能性の空間への扉が開くことを述べた。
(1,819字、2024.04.25)
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