「言葉の暴力」なんてものは無い There is no such things as a "verbal violence" in literal meaning.
なんでも〝それは暴力だ、これも暴力だ〟という人をみると思うことだが、「暴力」という観念をむやみに拡張すべきではない。なぜならば、暴力とは物理的なカテゴリに属するものであり、それ以外のカテゴリに延長すると何が暴力なのか曖昧になるばかりだからである。
例えば、暴力を物理的な行為あるいは被害以外の文脈で使うのは飽くまでも比喩的な、あるいは言葉が足りないので強弁したい、とにかく刺激的で強い言葉を使うという程度のことであって、文字通りの暴力は文字通りの暴力として確固たる範囲で使われるべきだろう。よって、暴力は物理的な暴力としてまずは確認された上で、それのレトリカルな使用法としっかり区別される必要がある。そうしないと暴力という言葉の濫用を招くからである。もし単に人権侵害のことを「暴力」と呼びたいのであれば、近年は「ハラスメント」という便利な言葉ができたのだから、そちらを広く使用すれば済む話である。人権侵害は暴力による被害だけではないからである。
暴力には色がある。つまり、善なる暴力もあれば、許容される暴力もあるし、禁止される暴力もあれば悪なる暴力もある。
例えば、外科手術は「正当行為」として法的に許容されるし、正しい暴力であると見受けられる。しかし、外科手術が患者を意図的に傷つけていることは疑いようがない。また、ボクシングに代表される格闘技についても、やはり許容されている。野球のデッドボールですら許容されている。さらに、殺人にしても、冤罪があり得るにも関わらず、死刑が存置され執行されている国が少なくない。戦争は言うまでもない。さらに自衛隊であろうと軍隊であろうと警察であろうと、暴力を駆使して様々な制限をおこなう。それらの中には正当とみられるものもあるが、もちろん不正なものもあり、実際に不祥事に発展している。
民間人にしても、毎日自動車を運転して「これがないと地方では暮らせない」という。だが、自動車があることによって交通事故が起こっているわけで、そこには構造的かつ物理的な被害が生じている。工場でも大型機械に人が巻き込まれて怪我をする。身体的な危険、防げたはずの危険が放置されている様子を挙げれば切りが無い。また、肉体を傷つけるという例を挙げたが、もちろん精神的外傷というのもあり、これは実際に神経がダメージを受け、痛みを感じているのである。そして、筋トレのような自傷行為と同様に、トラウマを受けた人がトラウマの傷から立ち直ると以前よりも神経が強くなるという現象すらある(ポスト・トラウマティック・グロウス)。
とにもかくにも暴力は、たとえ物理的なものに限っても日常的に存在するものであり、ことさら特殊なものとして扱ったり我々の日常から切り離された位置に置かれるべきものではない。我々は常に暴力的な活動に納税を通じて貢献しているし、暴力を抑止するための暴力、福祉や健康を促進するための暴力にも寄与している。このように暴力という概念を広く捉えてから、では特殊な暴力としてどんなものが不当なのかを考えていかなければ、暴力について概念整理することができず、何を禁止して何を許容すべきなのか、次第にあやふやになってしまうだろう。
だから、軽率に「言葉の暴力」などと言うべきではない。
(1,338字、2024.07.13)
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