結局、周りにほどほどに合わせて生きるのが幸せなんじゃない?

 インフルエンサーの影響もあって、「本音で生きる生き方」とか「周りの目を気にしない生き方」とか「自分の言いたいことを言う」とか流行ってるじゃないですか。

でも、こういう生き方で幸せな人って何らかの分野で結果を残してる一部の人達だけで、いわゆる普通の人で幸せな人って少ないと思うんですよね。

ある程度実績なり知名度があれば、本音で何か言っても人と違うことやっても、その人の考え方や生き方を共感・肯定してくれるファンが出てくるんですよ。そしたら、SNSのいいね数とかコメント数とかも増えて、自己顕示欲なり承認欲求なり満たせる上に、ある程度影響力も持てて幸せだと思うんですよね。

でも、いわゆる普通の人が同じことやると「うわ、面倒くさい人だ」って思われてみんな離れていくパターンが多い気がするんですよね。
いわゆる面倒くさい人って、実は正義感が強かったり、本当に人のためを思って言ってる・やってる場合も結構あるんですよ。でも、いくらその人の言ってることが正しかったり理にかなったりしてても、受け手側からすると面倒くさいんですよ。

Twitterに延々と政治とか生き方について語ってる人いるじゃないですか。言ってることは正しい場合もあるんだけど、周りは正直面倒くさく感じてると思うんですよね。
だってほとんどの人って「自分と自分の周りが幸せならオッケー!」って感じじゃないですか。だから、「正しさよりも楽しさ」を優先するわけなんですよ。自分たちに直接関係しない(と思っている)政治とかどうでもいいんですよね。
飲み会で、くだらない恋愛話や噂話ばかり盛り上がるのが良い例ですね。政治の話とか真面目な話してみてくださいよ。みんな離れていきますよ(笑)。いや、もちろん、どんな人が集まるのかにもよりますけどね。

 まとめると、「周りに縛られない自由な幸せ」は手に入れられても、周りから人が離れていくので、「寂しさ」なり自分の意見が受け入れられなかった「悔しさ・残念な気持ち」の方がそれより強くなる気がするんですよね。これ結果的に不幸せになってませんか?後者を感じない人なら幸せかもしれないですけど。そんな人いますかね?人間ってやっぱり他者から受け入れられる喜びが必要だと思いますよ。

断っておきますが、僕は自由な生き方・言動は全面肯定ですし、面倒くさい人も話してて楽しいんで大好きです。でも、こう感じる人って稀だと思うんですよね。

 最後に、僕からの提案ですが、人やコミュニティによって態度変えてみてはいかがですかね。冒頭の生き方なり言動を認めてくれる人達の前では、そういう振る舞いを存分にして、そういうことを理解してくれなさそうな人達のところではその人たちに合わせて振る舞う。


そうすれば、どっちのコミュニティの人達からも好かれる(少なくとも嫌われはしない)だろうし、友好関係なり人脈なり観察眼なりがついたりしてお得だと思うんですよね。んで、ある程度影響力持ったら、誰に対してでも思う存分好きなように振る舞えばいいと思うんですよ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?