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SNSでコレに気をつけられないと危ない。

SNSはすでに生活の一部


今や世界中でSNSが活用されています。SNSを通じてビジネスを拡散したり、面白いアカウントを見つけたり、自分の居場所を作ったり、友達が何をやっているかを知ったりと、様々な観点から我々の生活にとって大きな役割を果たしていると言えます。
SNSは一昔前からフェイスブックやmixiなどが主流でした。
しかし、最近ではTwitterやInstagramが拡大してきて、少し怖いものへと変化しているように感じます。

実際ニュースでは、結婚詐欺に遭い多額のお金を失ってしまった女性や、SNSのいじめなどが原因で精神を壊したり、なりすまし被害に遭ったり、ネットで知り合った人が誘拐・殺害されてしまうなどの事件が報道されています。

TwitterやInstagram自体が悪いということではないですが、昨今のSNSは便利で力が大きい反面、相応の責任が問われる場と考えます。

これらSNSについて色々考えを巡らせてみたのですが、僕の見解をここに記したいと思います。
SNSに住み着いて、自分の感情を支配させていると、将来がからっぽになります。
これについて詳しく話していきたいと思います。

まずはSNSの特徴ですが、大きく3点あると考えています:

◆ 情報がリアルタイム

SNSでは常に誰かが何かをアップロードしていて、最新の情報が常時流れています。
知りたい情報がいつでもどこでも見れて、さらにフォローという機能を使えば検索して探す労力が大幅に減ります。
ニュースのように1日3回などという縛りはなく、誰かがアップロードすれば、どの時間帯でも最新の情報が手に入るので、この上なく便利なシステムです。
またSNSでは、ユーザーがフォローしているアカウント以外にもSNSの運営側が「人気」あるいは「人気になるであろう」と思った投稿を全ユーザーに通知または表示しています。これは僕の感覚にはなりますが、特に最近のツイッターではこれが毎日3~5件くらい入っていて、情報の入り方がよりスピーディになっています

◆ 情報を得る時間と労力がいらない

SNSのリアルタイムというシステムの実用性は、ユーザーが情報を得るまでの労力の少なさと素早さが関与していると考えています。
例えばツイッターでは、2~3件の投稿なら1秒以内で内容を把握することが可能でしょう。インスタグラムではサムネの一覧が画面を埋め尽くし、一度に10~15枚ほどを一気に確認することも可能です。
また、「ハッシュタグ」という機能で、検索がさらに効率化されています。
このように、現代においてSNSの検索機能は充実していて、利用者が得たいと思う情報をすぐに得られる環境が出来上がっています。

◆ 自分を全く知らない人と交流しやすい

SNSでは、フォロワーじゃない人のコメントを不可にしたり、アカウントを閲覧できる人を限定する機能などがありますが、
それらを設定していない場合、誰でも閲覧できて誰でもコメントができる状態となります。
SNSに投稿した内容はいわば宣伝や展示のようなものです。たとえビジネスや芸術などに使っておらず、個人で使っている場合でも、少なからずは人に見てほしいという欲求を満たすために投稿している人も一定数は存在するようです。

さらに、話題性のある投稿には人々が集まりやすく、またコメントの投稿も可能で、投稿者がそのコメントに対して返信することも可能です。
ユーザーたちが同じ話題を共有して交流していくというような良い方向に向かえばまだ健全ですが、心無い人の書き込みによりコメント欄が炎上する可能性も大いにありえます

SNSは諸刃の剣。その弊害とは?


ここから僕の見解を詳しく説明したいと思います。
僕の見解では、SNS上でしか接点がない、「知らない人」に対して感情を支配されることで、人生の時間を無駄な労力に費やしていると考えます

感情を支配されると、ある意味自分の行動の指標して認識するということにも繋がってきます。
特に匿名性の高いコメント欄を参考にする場合はこれに気を付けた方がよいと言えるでしょう。

無駄な労力と書いたひとつの理由としては、これが引き金となって、特に20代30代の人たちが現実世界で人間関係を崩したり、歪んだ価値観を持ってしまう可能性があるからです。

知らない人からの応援や反響は、アーティスト、ビジネス、モデルのように、特定の商材が対象であれば多いに役立つとは思います。
しかし個人利用が目的である場合は、自分の容姿や生活などが対象となるケースが多く、真に受けやすい可能性が高くなります
昔からニュースになっている、ネットでのいじめや暴言に対して感情的になったり精神疾患を発症するケースが例として挙げられます。

ちなみに僕自身も、娯楽で利用されているであろう方々の本気度の高そうなコメントをインスタグラムやツイッターなどでいくつも見てきましたが、長文のコメントがされていたり、顔も見えない知らない人同士で延々と続く不毛な議論が繰り広げられていたりします。

知らない人に対して批判的なコメントをする人の心理には、「自分の方が正しいと思いたい」という欲求があると考えます。それ以外だと、「社会のために相手の考え方を矯正しておきたい」というような正義感が裏にあることも想像できますが、そのような相手とは今後会う確証はないし、いたとしてもそもそもの価値観の違いで付き合わないことの方が多いのではないでしょうか。

知らない人のコメントに感情的になり、戦う。
画面を離れている間もその感情に支配される。
もっとひどい場合は鬱になる。
そしてそれに気づかない場合は、鬱からの回復によくわからない時間が過ぎる。
人生にとって無益な時間を過ごしてしまっている、と考えます。

SNS内でも現実世界でも、いずれにしろ避けたいことではありますが、現実世界で接点のある人に対して上記のような気持ちになれた方がまだ実用性があります

◆ SNSでは判断力が鈍る?


SNS特有の、情報がリアルタイムで素早いという点は便利で素晴らしいですが、同時に悪い点もあると考えます。
非常に目まぐるしい速さの情報という側面を考えると、判断力が鈍る可能性があると言えるからです。
行動経済学によると、人間は限られた時間の中で判断する際、考えるプロセスを簡略化し、特徴的な情報だけを捉えて決定する性質があります。

ひとつの投稿を見ているうちにまた次の投稿があって、そしてまた次の投稿、というように、テーマとしてはトレンドとなっていても、投稿の数が多く、ペースが速すぎるためひとつの投稿がトレンドとして留まり続けることはほとんどないことに繋がってきます。配信できる枠や時間帯が限られているテレビやニュースとは違って、SNSの速度感ではこれが顕著です。
全員がいつでも投稿・配信できるSNSではトレンドの流行り廃りがテレビよりも速いと想定できます。

例えば、SNSで長く連載している漫画のコメント欄や、全体の一部分だけ切り取った短い動画などでよく見かけるのが、全体像を知らないユーザーのコメントです。

追いつくまでに知らないといけない情報が多すぎるため、取り入れる情報を限定し素早い判断をしがちなのではないでしょうか。そしてそれは少なからず全員に当てはまるといえてしまうのではないでしょうか。

もっと質が悪いのがそういったユーザーの辛辣なコメントです。
他の視聴者を刺激し、ユーザーに対して本気の批判が始まります。
結果、視聴者同士で炎上し、無益な戦いが繰り広げられるのです
さらには、ユーザーの中に「SNSに張り付いていないと差が出てしまう」という不安が生まれる可能性にも繋がります。

本気度が高いユーザーの割合は?


では、娯楽で利用しているユーザー、本気度が高いと思われるユーザーの割合はどのくらいなのでしょうか?
本気度の高さを調査するアンケートはされていないので、以下のデータを元に仮説を立てていきます。

総務省の調査では2021年時点、
インスタグラムを利用している人の割合が約48%で、
ツイッターを利用している人の割合が約46%とありました。

つまり、全人口の約半分がインスタグラムとツイッターを利用しているということになります。
そしてこの数字はユーザーの平均利用時間と並行して年々増加していっています

さらに、2000年に設立したメディア・マーケティング会社、トレンダーズ株式会社が2020年に行った
ユーザーの利用目的についての調査では、以下のような結果が出ていました。

◆ツイッターの利用目的
自分の意見や想いを伝えたい:46%(うち36%は「応援」)
世の中の反応を見る:45%

インスタグラムの利用目的
出会いや交流:31%

個人的には「意見や思いを伝えたり応援する」のと、「世の中の反応を見る」という2つの目的の利用率が近いことがポイントだと考えます。
ツイッターを他人の反応を確認する場として見ていて、かつ自分の意見や思いを伝える場として見ているユーザーがいることから、ネット上のユーザーの存在を自分の行動指標として捉えている可能性が高いと言えます。しかも、インスタグラムにおいては出会いや交流を目的としていると断言するユーザーが30%もいます。

サンプル数が800人では少なすぎるので正確さは劣ってしまいますが、この利用率を全人口に当てはめると、全人口の2割近く(およそ2,500万人)はインスタグラムとツイッターの情報を自分の行動指標としている可能性が浮上してきます。
そしてインスタグラム内でアクティブなアカウント数は月間3,300万以上を保持しています

◆ SNSを参考にすることの何が悪いのか?


本気にしている内容とそうではない内容の区別がついていれば問題はありませんが、これだけ信頼度が高いSNSだと、時に全てを真に受けてしまう可能性も大いにあり得ます。
さらに、無味乾燥なテキストや一部分を切り取った画像のみでは不明瞭な点が多いです
なりすまし、ネカマ、キャラ設定、良い部分だけを切り取った内容や虚言などを見抜けない理由がここにあります。
SNSでは相手の見えない部分が多すぎますが、投稿されている内容だけを見て人物像を想像し、いつの間にかそうだと判断してしまう場合もあるのではないでしょうか。

上記の内容を踏まえると、自分の投稿に対する「知らない人たち」の反応や意見を指標として捉えるユーザーが一定数いることも充分に考えられます。

ちなみにSNSの利用率について余談ですが、フェイスブックは現在の30代の利用者が一番多く、この世代以降はフェイスブックは廃れていく可能性が出ています。個人的な感想ですが、フェイスブックよりインスタグラムやツイッターの方がスピード感が速く、手軽に時間がない時でも見れるイメージです。ただフェイスブックの通信量は3つのうちで一番低いそうです。

SNSは依存もします。自分でコントロールすることがカギ


SNSの利用率は、言わずもがな20代が最多です。
20代と言えば、10代の多感な思春期が終わって数年以内の頃です。思春期は大人としての人格が形成され始めるころで、不安定になりやすいと言われています。
もしこの時に、大小問わず何かしらの精神的ダメージを負ってしまった場合、精神が通常より不安定に、つまり精神疾患を起こす可能性を抱えている状態になっていたとしたら、回復するまでに数年は足りないと考えます。
もちろん精神的に安定している20代もいるとは思いますが、大半が世の中の理不尽さと向き合う最中で、まだまだ不安定な時期にいると言っても過言ではないのではないでしょうか。
そして、SNSという場は辛辣なコメントや炎上が見放題の場なのです。

東京大学の研究によると2010年時点では、SNS依存傾向者の 52.1% がインターネットを苦痛に感じる理由を「SNS上の人間関係」と答えたそうです。
2017年の研究では、インターネットを使う時間の中でSNSを見ていた時間の割合が年代別に報告されています。

10代:利用時間の42%がSNS
20代:利用時間の38%がSNS

つまりインターネットを利用している時間の4割はSNSに充てられているのです。
また、女性は男性よりも繋がりに対する欲求が高いことで知られていますが、いずれも男性より女性の方が高い割合が結果として出ています。

心理的なつながりの確認という側面だけでなく、アクセスしないでいる場合に仲間はずれにされる不安、陰で悪口を言われる不安から、頻繁に見ていないと落ち着かないという心理があるそうです。
また、SNS依存者の報酬は孤独のいやし、承認欲求や自己表現欲求の充足という結果も出ています。

また、SAMHSAのデータによると、精神疾患を発症している年齢層と性別は以下の割合とのこと。
サンプル数は5300万人。

性別
女性 約26%
男性 約16%

年齢別(男女両方)
18~25歳 約30%
26~49歳 約25%
50歳以上 約15%

この数字とSNSの依存率に直接的な関係は報告されていませんが、密接な関係がある可能性が高いと考えます

ただ、ネット上に居場所があって、現実世界と向き合うための癒しとなっているのであれば否定をすべきところではないとは考えますが、現実世界での繋がりにしかないチャンスや経験が多くあるのも事実です。
オンラインでテキストのみの交流を学ぶことも大事ですが、それ以上に表情や声を交えて交流することも、現代においてはまだまだ必要なスキルなのではないでしょうか。

補足ですが、世界精神医学会の研究から、SNSという無料快楽コンテンツにより、脳を退化させているという報告も出ています。
脳が本来持つ「考える力」をダメにしていってるのです。

本来素晴らしいアイディアが出せる頭なのに、SNSに浸かりきってしまっているせいでアイディアが出ない、というもったいない結果に繋がってしまいます。

SNSがもたらす交流の質


これは賛否両論かとは思いますが、自分を全く知らない誰かから意見がもらえたり、知らない人に意見できたりという点においては良い点と悪い点があると考えます。
皆さんもすでに痛感しているかと思いますが、厄介な点として挙げさせてもらいたいのが、以下の点です:

・書き込まれた言葉のボリューム調節ができない
・匿名で他人を攻撃できてしまう
・ひとりで複数のアカウントを作れてしまう

◆ボリューム調節不可

一つ目のボリューム調節についてですが、
例えばあなたは何かの展示会や宣伝をしているとします。もしくはそれらを見ている側だとします。

それが街中であった場合、他人の心の声は流れ込んできません。ましてや面と向かって他人に辛辣な言葉をいきなり言うような人はなかなかいないのではないしょうか。いたとしても街中で出会う確率は低いと仮定します。

しかしSNSでは、投稿した内容が少しでも露出すると知らない人からのコメントが増えてきます
このコメントが厄介者で、ポジティブな内容もネガティブな内容も、全て読んでしまうところです。

ではネガティブな内容の何が悪いのか?
まず、人間はネガティブな言葉に対してある程度の耐性はあります。人間には興味のある情報しか認知しないという性質があり、この認知しない現象をカクテルパーティ効果と呼びます。この現象はその名の通り、誰かと話している時や何かを読んでいる時に、お酒を飲むような騒がしい場面では周りの情報は認知しないということから由来しています。
また、確証バイアスという言葉が存在し、人間は自分にとって都合のよい情報のみ認識する性質があるとされています。

ただ、SNSではこの力は減少すると考えます。
なぜならば、SNSでのコメントは投稿者か運営が削除しない限りテキストという形で残ってしまうからです。
テキストという形式だと声のトーンというニュアンスや、相手の姿が見えないため、思ってもないほどネガティブな受け取り方をしてしまう人が一定数いるのも頷けます。

「嫌な内容があれば無視すればよい」という意見がありますが、一時的に無視できたとしても、後からまた確認できてしまうのです。
そしてこの投稿が個人的な承認欲求のためにされたものであれば、SNSを真に受けてしまう人にとってはことさら危険です。
知らない人のコメントに感情を振り回され、無駄な時間を費やしてしまうのです

◆匿名性と複数アカウント保持

匿名性というのはインターネットが生まれてから問題視されてきたことで、現代でもその問題性に対してなすすべがないというのが現状です。
匿名性というのは書き込む本人にとっては非常にやりやすい環境です。
重犯罪にでも発展しない限りは逃げやすいし、自分の顔が相手に見えないということから辛辣なコメントでも書きやすい

また、愚痴用のアカウントや「裏アカ」という題材がすでにドラマなどでも使われているように、「捨てアカウント」を作成し、好き放題やる、ということも可能なのです。
また、キャラを演じる、ネカマを演じる、都合の良い情報のみを投稿し幸せを演じるなども可能です。

そのようなアカウントがどれくらい存在するかが不明確なSNSがご自身の現実や価値観に繋がってしまうことは不毛と言えるのではないでしょうか。

先日見た「7人の秘書」というドラマでも、高い地位にいた役員が悪口アカウントを使って社員の悪い噂を書き込んで嫌がらせをするというストーリーが展開されていました。
その人は最終的にはバレてクビになりましたが、実際にそういったアカウントを持っている人がいても、相手を特定するのはIPアドレスを調べない限りは非常に困難だと言っても過言ではないと言えます。

また、先程ハッシュタグについて触れましたが、こう言った場合に危険なのが、この機能を利用すれば、特定のアカウントや投稿を見せたい相手に見せることも可能となってくることが挙げられます。
なりすましやネカマがこの機能を使えば使うほど、信じてしまう人が出てくる確率が高くなってくると考えます。

我々人間は相手のことを知るために、相手の顔を見る、声を聴く、動きや容姿を認識するというような動物的な交流がまだまだ必要なのです。

知らない人たちの反応や意見の何が悪いのか?


実はその「知らない人たち」の反応や意見そのものは問題ではなく、それが問題になるかどうかは、投稿者の捉え方によると考えます。
結局は、ポジティブな内容であっても、ネガティブな内容であっても、画面内の出来事として捉えることが出来れば問題ありません。
「ゲーム内のキャラクターがなんか言ってる、でも内容は参考になる部分があるかも」程度に留めておければ問題ないのです。

例えばゲームをしていて、あるキャラクターがすごく良いことを言ったとします。
その時キャラクターに対してなんらかの感情が一時的に沸いたとしても、参考がある言葉があれば取り入れる、程度にしておくのではないでしょうか。
SNS上でもそのくらいがよいと考えます。

もしくは、現実世界での交友関係が乏しく、ネットを自分の世界の一部として捉えている場合、自分の考え方で社会的に受け入れられないような部分を治すための指標として「知らない人」の声を利用させてもらうこともアリかもしれません。
これはビジネスを目的としたアンケートや調査と質が似ていると考えます。
自分の考え方を治すためのツールとして利用する場合、自分という商品を改善していくのに多いに役立つかもしれません。

自分は大丈夫、と思う前に


先ほど真に受けなければ問題ないと書きましたが、ではどこからが「本気」として定義できるのか?
上記を踏まえて僕なりに定義した結果、下記の3つ以上に当てはまる場合は本気度が高いと言えるのではないかと考えます。

・SNSを個人の娯楽のために利用している
・いいねの数が気になる
・別アカウントを使って不満をこぼすことがある
・質問箱を設置し、自分についてのアンケートを取る
・自分のコメントに対する返信やいいねがあるかが楽しみ
・画面を閉じてからも知らない人からのコメントが気になる

いかがでしたでしょうか。
もし、3つ以上当てはまった場合は今一度SNSに対する見方を振り返ってみるのも良いかもしれません。
ただ最後に、ユーザーがどのような書き込みを指標として捉えているかの調査はされていないので、現時点ではSNSが現代に悪影響を及ぼしているという結論は出せません。

また、SNSが怖いという理由を散々書いてきましたが、興味深いことに現在では10代の「SNS離れ」も報告されています。
実際にSNSを離れていっているのか、それともどれかひとつに絞っているのか、またSNSに対してどのような気持ちなのかなどの調査が今後出てくれば、面白そうです。

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ここまで読んでくださりありがとうございます。
今回は少し長くなってしまいました。

僕自身もSNSに投稿し、人からの反応を楽しんでいましたが、真摯に受け止めるのは知り合いのコメントのみに留めてました。
今では全く投稿はしておらず、娯楽のために見るのみにしています。
いいねやコメントをせずにただ傍観しています。

また、僕の友人は数十年前からSNSのアカウントを持っていますが、いまだに1回も投稿しないままです。
彼は4人の子供がいて、幸せに暮らしています。

この記事を読んでSNSに感情を振り回される不毛さを少しでも感じていただけたら幸いです。
共感した方は周りにも意見を聞いてみれば、また新しい発見があるかもしれません。
もちろん、「面白い!」と思った投稿や、「感動した!」という投稿があれば感動するのはすごく自然なことで、人生に楽しさを与えてくれます。
ただそこの住民になってしまうのは避けていきたいところです。
そういった時は「ドラマを見ている」というような感覚でいられたら良いのかなと思います。

SNSはツールとしては大変便利ですが、それ以上のものとして使わないようにしていけたら、現実世界も少し明るいものになるのではないかと思います。

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