悲しみ依存症
こんばんは、「WTFブログ」です。
悲観的になれる要素はいくらでも自分の中に存在していると思います。そこへスポットライトを浴びせるかどうか、あなたの自由です。
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「悲しみに暮れている方が、人は立ち向かうことよりも楽ができる」といったページを見かけました。
自分は自分が可哀想と言われる理由を持っています。それをひけらかして、事情を認知させて優しくされることは果たして良いことなのか疑っています。
哀れみで見られ、いつまでも非力で、いつまでも社会不適合者だと言われ続けていたら、反出生主義どころの話ではなくなってしまう。
命を盾にしたり、他責にしたり、そういうのは、何も響きません。
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私が行なっているブログや音楽は、ネガティブからの昇華(吐き出し)によって生まれています。ですから、ネガティブに依存してるとも捉えられる。
私はポジティブシンキングを取り入れて「気持ちは満たされるけど、おかわりをしたくならないから、この思考だと安定に停滞する」と思いました。
けれど「安定がいけない」というのは、デフォルトの思考では思いませんよね。背伸びをしているから、そんな事を思うのです。
ポジティブシンキングに違和感を覚えて、ネガティブシンキングに戻っていくのは、依存しているからかもしれません。