「自分にできる範囲で」の甘さ
今やっているライターとしての仕事に、ちょっとやる気が出なくなっているので、気分転換的に今日あった話を自分なりに感情を踏まえて考察してみたいと思っています。
今日、ビジネスパートナーである友達に、
「〇〇の件、進捗どお?」
って確認をしました。
まぁ、お盆ということもあって、忙しかったみたいで進捗は全く進んでいませんでした。
簡単に説明すると、私がコンテンツを作って、その子が集客をする。
という流れでした。
で、その流れで少し仕事の話をしていた時に、
「自分のできる範囲でがんばります」
と言われました。
ちょっとここで個人的に、感情が揺れました。
私自身は、自分に対するハードルが高いと自覚しています。
「頑張りすぎてしまう自分」を自覚した上で、できない自分も受け入れようと決めたのが、2年前の事でした。
それまでは、目標を設定して、できなかった自分に対しては嫌悪感を持ったり、罪悪感を持っていました。
「なんでこんな事もできないんだ!」
そう思って自分が嫌いになる時期もありました。
でも、それって違うなって思った時期があって、そこからは
「だめな自分でも良いじゃないか」
なんて思えるようになりました。
そうすると、たしかにストレスは減ったように感じますし、自分が嫌いになることはありません。
「自分は自分の味方」
であるということは、自己肯定感を高める上でも重要だと感じています。
しかし、「自分にできる範囲で」と言われて感情が揺れたのは、それが「甘え」や「言い訳」に聞こえてしまったからでしょう。
元々、その子のことを仕事が早いという認識は持っていません。
また、本人的にはやっているつもりかもしれませんが、効率が悪いなと思う場面もあったのだと思います。
極端に言えば「もっと頑張れるだろ」と感じていたからでしょう。
だから、そんな子が「自分にできる範囲で」なんて発言をしたのが、
「そんなに頑張る気はないけど、それなりにゆるゆるとやるょ」
といった印象を受けたからこそ、イラッとしたのかもしれません。
これは、この子が悪いというわけではなく、自分自身にも当てはまるなって感じました。
いつの間にか
「できない自分もオッケー」
という認識になっていた私ですが、本当のことを言うと、もっと頑張れるはずです。
「最近、やる気が出ない」
やる気がでないことを理由にして、やっていないだけなのではないか。
そう感じました。
一時は、平日の8時半から17時半までプログラマーとして働き、朝晩で1万字以上のライターをしていた時期もありました。
この時期に比べると、今は休みの日でも5000字書くのが限界の日もありますし、今日も仕事は休みなのに、1万字ほどでかなり苦痛を感じていたり。。。
これを良しとするのか、自分の基準をもう一つ上げて、できるような努力をするのか。
これは、一つの大きな選択ではないかと感じています。